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被害者の美少女

 女は体を洗っていた。


 アパートは古く小汚い、そのわりに、シャワーの水圧だけは十分なものだった。あるいはそれもまた整備不良なのかもしれないが。

 高温の水流を全身に当てていく。

 髪に。首に。肩に。


「ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう」


 若く、美しい女だった。しかし眉根を寄せ、醜くゆがんでいる。

 乳房、腹、性器を、激流で洗い流す。女の呟きは徐々に大きくなり、隣部屋にまで響きそうな怒号へと変わっていった。


「ちくしょう……!」


「邪魔するぜぇ」


 突如、男の声がした。驚き振り向いて、悲鳴を上げる。


「うわっ!! なにあんた!!」


 狭いアパートの、狭いバスルーム。小さなバスタブに、長身の男が入っていた。入浴、していたわけではない。バスタブにはもともと湯をはっておらず、男は服を着たまま、箱の中でくつろいでいただけである。

 口をぱくぱくさせて、女は全裸で呆けた。


 一人暮らしの女の浴室に、突然現れた男。となれば卑劣な目的の侵入者、というのが定石だが、男にそう言った気は無いようだった。

 女の裸を前にして、あひるちゃんのシャンプーボトルでぎゅっぽぎゅっぽと遊んでいる。


 むしろ、男のほうこそ美貌の主とたたえてもよかった。年は同じか、すこしだけ年上くらいか。伸ばした髪は染めているのだろう、眩しいほど煌めく白銀色。それに反し瞳は、女の知るだれよりも黒く澄んでいる。

 飾り気のないロンTとタイトなパンツはどちらも黒で、芸能人の休日部屋着、という感じがした。

 男の美貌にほんの少しだけ見惚れて――女は、自前を隠すのが馬鹿馬鹿しくなった。


「いや。で、あんた何」


「時計屋。高砂たかさごって言う名前だ、よろしくな。えーと名前は」


「小西樹里」


「こにしじゅり? 変な名前だな」


「そっちこそ、人名と思えないレベルだけど、親ってDQN?」


「俺のオカアサマは女神さまだよぉ。まあ気にするな。お前の名前も別に要らんのだ。うちで客に名を聞くのは俺くらいだ。名乗るのはルールだから、名乗ったからには聞かなくちゃいけないと思うのだがな」


「それは……逆なんじゃないかしら」


「そうなの? まあいいや」


 高砂とはコミュニケーションが成立しそうにない。


「それより樹里。急いだ方がいい。俺の時計は二時間しか戻れない」


 現れた時と同じ、突然そんなことを言う。


「……は?」


「もうすぐ二時間になるだろう。お前が男に襲われてから」


 女は目を見開いた。


「俺の作る時計は二時間限定。ただし、お前の身体をもリセットさせる。記憶は残るが、まあそれは現実問題、あったほうがいいだろう。でないと避けることもできず同じことの繰り返しになるからな。二時間前、お前はここからコンビニで、バイトのタイムカードを押したところだ。街道の暗がりで襲われるのはその十分後。今を逃すとどうにもならんぜ?」


 男はポケットから金属円盤を取り出した。それは、方位磁石コンパスに少し似ている。盤のなかに歯車のようなものが四つあり、それぞれが奇妙な動きをしている。数字もあるが、全くわからない絵文字も見えた。金属部分は光沢のない黒。何も考えなければ、メンズファッションウォッチかなと見逃しただろう。それは、何か特殊な計器のようだった。


 男の大きな掌で、オモチャのようにちょこんと鎮座する時計。


 男は続けた。


「なんも気にするな。願うだけでいい。金はとらない。願うだけでいい。

 それで、お前は綺麗な体に戻ることができる」


 女は願い、意識が遠のいた。そして――



 時を飛んだ。その二時間後。


 女は体を洗っていた。

 そのすぐ横、狭いバスタブには、一人の男が浸かっている。女と変わらぬ背丈、ふくよかな腹回り。かすかに混じる白髪。豚に似ていた。

 髪を洗い、化粧を落とした女が振り返ると、そこに、銀髪の美青年がいた。


「あれ、また来たの」


 女は驚かず、シャワーを止めた。バスタブの中年男は、突如あらわれた間男に気付きもしないらしい。機嫌よさそうにあひるちゃんと戯れている。

 時計屋はおっさんと美少女を見比べて、半眼で嘆息した。目を細めると、純白の睫毛が黒い瞳を遮る。


「……なんでこうなんの」


「あ、これ、バイト先の店長。前からコナかけてきてて超うざかったの」


「で?」


「だから、ボディガード。店を出てすぐ襲われたから、ほかに頼れる人いなくて。うん、もちろん本望じゃないけど、見知らぬ暴漢よりマシじゃない?」


「警察とか」


「……ん。ああ、うん、警官の彼氏ってのもいいよね。でも今すぐ来てくれそうな知り合いにはいないし。さすがにそっち系落とすのは時間かかるかなあ」


「あっそ」


 狭いバスルームに大人が三人、滑稽なほど窮屈な位置で、猫背気味の身体を伸ばす高砂。その男は間違いなく、この空間では最も美しかった。


「ま、いいや。おかいあげありがとーございましたー」


 ふわりと消えてなくなる――かと思いきや、普通にバスルームの扉を開けて出ていく。

 「閉めてきなさいよ」と女は言って、去りゆく時計屋に手を振った。



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