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蓮腕

 そこは、静かな夜の森に酷似していた。


 天も地も漆黒の、広大な空間だ。一角だけが痩せた木の林になっており、その中心線に、小川が揺蕩っている。深海のように暗い蒼に、星屑の煌めきが見える。

 星屑の小川のほとりには、ちいさなログハウスが一軒、建っていた。

 その一軒家よりも一回り大きい――3人の女神がいた。


「どうしましょう」「どうしましょうね」「どうしましょうか」


 女神たちは水辺で談笑しているようだった。昴の川を覗き込み、きゃっきゃっと少女のような笑い声をあげる。

 その姿はまばたきする時間ごとに、変わり続ける。少女かと思えば、どろどろとした黒い液体に変わり、緑へと変色して、紅の獅子へと変わる。3人ともがそうやって姿を変え続けているため、個体識別は不可能である。それでも立ち位置は決して交換しないらしかった。3人の女神を見分ける方法は、それしかない。


「今度は女の子がいいわね」


 右の牝牛がそう言った。


「可愛い子がいいわ」


 左の海老がそう言った。


「では、わたくしが掬いましょう」


 中央の大岩がそういって、その体からにゅうと白く大きな腕を伸ばした。星屑の煌めく川へ手を入れて、撹拌するようにその奥を探る。


 やがて、中央の鹿の手はなにかを掬い、左右の姉妹に覗かせた。


「あら、いいじゃない。可愛い女の子」


 右の砂糖黍がそういうと、左の老人もうなずいた。

 中央の蛤が抱いていたのは、少女であった。十になるかどうか、幼い裸体はかすかに光を放ち、中央の稲の手のひらで茫洋と横たわっている。肩より少し長いくらいの、小麦色の髪、同じ色の瞳。指先は桃色に染まっている。


「素敵。指先がまるで蓮の花のよう」

「いいわねえ。では、この子の名前は蓮腕(はすかい)というのはどうかしら」

「いいんじゃないの。蓮腕ね」


 3人の若い美女は喜び合うと、さっそく、手のひらの少女をつついて起こすことにした。


「蓮腕。蓮腕。おきなさい蓮腕。この世から『消えた可能性』であるあなたに、仮初めの世界を与えてあげたわ」


「起きて、立って、その足で歩きなさい。すぐそこにあなたの新しい家がある」


「仲間たちがいるわ。これからあなたはそこで、時計を作るのよ」


「あなたに、運命と時をつかさどる女神の祝福を与えてあげたわ」


「さあ、起きるのよ。時計を作りなさい――――」


 蓮腕は目を覚ました。



 そこは、ひどく簡素なベッドであった。身を起こすと、辺り一面が茶色である。明るい木の色――室内は、ほぼそれだけで出来上がっていた。自身はいつのまにか、寝間着をまとっている。白地に水色の花模様がついた、やわらかな布のワンピースである。


「ログハウス……」


 呟いてみる。


「おっはよう!!」


「うわあ!」


 突然降り注いだ大声に、蓮腕は文字通り飛び上がって驚いた。寝ぼけ眼の正面に、長身の男が覗きこんでいる。


 美しい男だった。褐色の肌に、一点の曇りもない白銀色の髪。漆黒の瞳を、髪と同じ白い睫毛がふちどっている。服装は、明るい緑色のセーターとゆったりした白のデニム。少女といえど女だ、男の容姿とその距離に、鼓動が早くなった。


 男はそういった乙女心などなんら知る由もない人種らしかった。乙女の寝床に、四つん這いで覆いかぶさるような姿勢で、身を寄せてくる。その瞳は、女を見る男の目ではない。新しいオモチャを買い与えた時の犬の瞳。心の底から大歓迎。


「俺、高砂!おまえは?」


 唐突に自己紹介が始まる。蓮腕が名乗ると、「そっか、変な名前だな!」と一人でゲラゲラ笑った。ご機嫌である。屈託のない男の言動に、蓮腕は思わず噴き出した。


「高砂さん、うちで飼ってた犬みたい」


 自然とそう口をついて出てから、違和感を覚えた。


「犬?」


 うちで飼っていた犬。うち――うちってどこだ? たしかに、高砂の瞳に飼い犬を重ねたはずだった。だが思い出そうとして見たら、その映像はかすかにも浮かばない。名前も、飼っていたという家も、家族も、自分も。


「あ……あれっ? 私、わたし、は、はすかい……」


「無理して思い出そうとしなくていいですよ。どうせ無理ですしね」


 声をかけてきたのは高砂ではない。腰ほどの高さの仕切りの向こうから、老紳士が微笑んでいた。両手には紅茶のポット。秋の紅葉のような深いオレンジのシャツを着ている。翡翠のカフスが上品なアクセントになっている。


「おはようございます蓮腕さん。わたくしはガレオン。さあ、はちみつ入りのアプリコットティーをどうぞ」


「あ、ありがとうございます」


「記憶がありませんでしょう?」


「え、ええ……」


「女神からは、どこまで聞きましたか?」


 ガレオンの言葉に、蓮腕は首を振った。女神――三人の、運命と時の女神たちは、蓮腕に名を与えただけである。そしてそのまま地面へ降ろされ、指さされたログハウスへと移動した。おそるおそる扉をあけて、それで失神してしまったらしい。


「よくわかりません。ただ、この家に入って、時計を作れと」


「まったくあの方々は、そんなのでわかるわけがないじゃないですか、ねえ」


 苦笑いするガレオン。若いころはかなりのハンサムであったろう、細めた青い目は美しく、魅力的だ。なにもかも判らず不安のなかで、優しい男性達にもてなされ、蓮腕はホッと胸をなでおろした。しかし続いてガレオンが話してくれた内容は、少女の理性を失わせるものであった。


 ガレオン、そして高砂は、先ほどまでの明るい表情を一変させていた。あれだけうるさかった高砂も押し黙り、ガレオンは静かに、淡々と語る。


「この世には――ありとあらゆる選択肢があります。人生の、一世一代の決断ではなくても、人は皆日々ちいさな選択をして生きている。取捨選択、すなわち選ばれなかった方が捨てられる」


「えと……はい?」


「たとえば二つに分かれた道がある。左右のどちらにも湖があり、右に行けば男が溺れている。左に行けば女が溺れている。そんなことを知る由もないまま、どちらの道に行くかをあなたは選ぶ。選んだ先で、溺れている人を助けるとして――もう一方の者は人知れず死んでいく」


 それは、そうだろう。気持ちのいい話ではないが、仕方がないことである。唐突に始まったガレオンの語りを、蓮腕はゆっくり胸に通しながら理解していく。


「あなたが男を助けたとしましょう。死んだ女は黄泉へと落ちて、やがて転生していく。まあ天国にいって生まれ変わる、というやつです。それは不幸な事故ですが自然なことだと思います。女は運が悪かった。彼女はこの日、恋人に会いに行く途中だった。もしもあなたが左にいって、女を助けていれば、女は新しい命を授かる運命だった。だけどあなたの岐路に選ばれなかった。女は死に、まだ宿ってもいない赤ん坊は『消える』。よく言うでしょう、その選択肢は消えた、と。選ばれなかった選択はそこでフローチャートが途絶え、果てしなく続くはずだった未来は消滅するのです」


「…………」


「その赤ちゃんが、時計職人です」


 蓮腕は、しばらく意味が解らなかった。意味が解らず呆然とする。


 意味が解らない、なのに、理解をしてしまう。蓮腕は知っている。自分が女神によってすくい上げられたあの星屑の小川、あのひとつひとつが――


「女神たちはわたくしたちを『消えた可能性』と呼びます。わたくしたちに時計を作らせ、売らせている理由はよくわかりません。ですがわたくしたちは選ばなくてはいけない。時計を作り、『さかのぼる時間』を売り上げる。それを稼ぎ高として、最終ノルマ達成を目指す。そうしてその報酬として、わたくしたちは『きちんと死ぬ』ことができる。輪廻転生の輪に入れてもらえるのです。わかりやすく、良い言葉に言い換えるならばそう、『生き返ることができる』。ノルマはとても大きいので、わたくしたちはとてもとても頑張らなくてはなりませんが」


「その……輪廻に入れない、私たちは、どうなるのですか」


 言葉にしてから、蓮腕は漠然としていてまとまっていない質問だと思った。ゆっくり、ガレオンの言葉を反芻して、自分の疑問を確認する。

 その結果出てきた質問は、とてもシンプルだった。


「……ココは、どこなのですか?」


 高砂が困ったような顔をした。


「なんというんだろうなあ、実は俺たちもよくわかんねえの。天国とか地獄とかそういうとこでもない、三途の川でもないだろうし」


「虚無、異次元、異空間――そのような言葉が近いでしょうね。女神たちはたしか、可能性の海などと言っていたような。まああまり意味はないでしょう。彼女らにネーミングセンスはありませんからな」


「私は、これからどうなるのですか。何をすればいいのですか」


「時計を作るのです。ご心配なく、作り方はわたくしたちがゆっくりとお教えしますよ」


 ガレオンの言葉はとても優しい。それでも、蓮腕の感情はふつふつと温度を上げていく。


「どうしてそんなことしなくてはいけないのですか。私は何か、悪いことをしたのでしょうか?」


「それは――」


「どうして私がこんな目に合うの? どうして私は『消された』の? 誰が私を消したの?私は、なんでこんなところに――――!!」


 抑えきれない慟哭が、溢れ出してしまう。

 高砂が手を伸ばそうとした、そのとき。



「うるさいわよ」



 女は、いつのまにかそこにいた。


 といっても、ベッドからはずいぶん離れている。

 寝所から続くリビングテーブルで、なにやら書類作業をこなしていた。二十歳前後、高砂と同じくらいだろうか。顔の造形などは良くわからなかったが、特徴的な髪型をしていた。


 そして、上から下まで黒ずくめ。


 蓮腕は、一気にその熱が冷えるのを感じた。男性二人に対し、女の声はあまりにも冷たく投げやりだったのだ。いっそ怒号であったなら良かった。だが女は、書類から視線すらも上げていない。


 高砂が声を張り上げる。


「おい、亜郷。その言い方ねえだろ。つかお前もコッチこいよ、挨拶しようぜ。新しい家族なんだから」


「家族? あははははは。ヤダー高砂ったらおっかしいの」


 セリフだけで笑う。こんなにも感情のない声を、蓮腕は生まれて初めて耳にした。といっても、誕生してからまだ数分しか生きていないのだけども。


 結局、女はそれきり声も出さず、こちらへ近寄ることもなかった。高砂はしばらくやいやい叫んでいたが、ガレオンにたしなめられ諦めたらしい。嘆息し、再び蓮腕に向き合った。


「あの、無愛想な女が亜郷。あんなんだけど、お前さんのほかにいる唯一の女性だ。乳の膨らみ具合も似たような程度だから」


 金匙が飛んできて、高砂に当たった。ガレオンが引き継ぐ。


「最高の時計技師です。いろいろと教わることが多いでしょう。あとはもう一人――――というか二人というか、双子の技師がいますよ。こう言っちゃなんですが、亜郷さんのほうがずいぶんマシです」


「あのひとより酷いのがいるんですか」


 何の悪気もなく口をついて出た、蓮腕の言葉に、亜郷のほうは無反応だった。しかし男の声で叱られる。高砂だった。


「蓮腕。亜郷は何もお前の悪口を言っていないぞ」


 びっくりした。あまりに驚いて、ごめんなさいの言葉がうまく出てこない。咽喉が痙攣した。だが、高砂はそれでもうなんら残してはいないようだった。すぐに声音を最初の明るいものに戻す。


「ま、難しいことは、追々でさ。とりあえず歓迎パーティしようぜ! 新しい人くるの、すっげーひさしぶりだもんな。女神らが川のとこに降りてきたの見て、俺、仕事ほりだして窓にかじりついてたもん!」


「そうですな。そういえば高砂君、蓮腕さんを君の宝部屋に連れて行って差し上げては。若い女の子向けのものもたくさんあったでしょう。亜郷さんでは――いや、ゴホン」


「あっそうだよな!! よし、蓮腕こっちこい!いいもん見せてやるよ!」


 高砂は飛び上がらんばかりに笑顔をはじけさせた。蓮腕の両手の下から持ち上げて、小脇に抱えあげる。


「えっ!?」


 蓮腕の抗議など聞くわけもなく飛び出していく。途中、亜郷のすぐ脇を抜けたが、彼女は一瞥もせず、伝票を書きつづっていた。


 高砂に連れてこられたのは、ログハウスの外から側面にある勝手口。扉を開けると、ちょっとした納戸のようになっていた。乱雑にみえてよく見れば整然としている。床に置かれた木箱を、高砂はうきうきとした仕草でひっくり返した。すべてオモチャである。


「こ、これは」


「いいだろー? これな、時々客がせめてものお礼にって、くれるんだ。無料だとかえってきもちわるいってさ。あと俺が気に入ったやつ、駄目元でチョーダイっていったらけっこうくれる。ほら、これ」


 ひょいっと投げてよこす。ちいさな太鼓にふたつの重りがぶら下がっている。呆然としていると、高砂は蓮腕の手を取って、くりくりと回転させた。とんとんとんとんとん、軽い太鼓の音がする。


「すごいだろ。でんでんだいこ、っていうらしい。いい音だよな。どういう原理になってんだろうな」


「は、はあ」


「それからコレ、可愛いだろー。あとこれ。これ。これなんかどうだ?」


 高砂から次々と雑貨が渡され、しまいには勝手に髪飾りなどをさしてくる。蓮腕の髪に、一番似合っていたのは緑色のカチュームだった。それは幼い蓮腕の感覚をもってしても、幼すぎるような気がしたが。


 己のコレクションを見せられることが、高砂はよほどうれしいようだった。洋服も色とりどりで、ありとあらゆるものがそろっている。フリーマーケットのように広げて見せる彼に、蓮腕は笑いが止まらなかった。

 ほんとうに犬みたいだ。蓮腕よりもずっと大きな体で尾を振って、広い庭の端から端まで――――


「あ、れ……?」


 犬が。毛の長い、大きな。

 緑の芝生。父が餌を。母はそれを見て――――


「蓮腕?」


「あ、はい。なんでもないです。なにも……」



 その日、工房兼時計職人たちの住処で、ささやかなパーティが行われた。誰かが持ち込んだ食材と食器、だれかがこさえた料理と飾り付け。食事をとれば美味しい。満腹感がある。だけどいつまでたっても 空腹にはならず、疲労も眠気も覚えない。


 よくわからない。なにが異常なのか、蓮腕は知らないまま、ただいつまでも誰もつかわないベッドに違和感だけは覚えていた。

 時計つくりの勉強の合間、高砂の宝部屋にあった絵本を借りて読んでみた。


 ふつう、世界には朝日というものがあり、ひとは、排泄というものをするらしい。


 なにもかもが足りないログハウスと、成立しないはずの生活。それでも蓮腕は生きている。


 心臓に手を当ててみる。トクトクとちいさな鼓動を感じる。



 生きているのだ。


 たとえ存在しなくても。



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