第3章 遭遇
赤や青など、ステンドグラスから透き通った光が、彼女を照らしていた。
ぎしりと音を立てて、彼女が立ち上がる。
初めて、金色の瞳がこちらを見た。
「あの、何かご用ですか?」
声を聞いた途端、心臓が大きく跳ねた。
散々何を言うか考えていたはずが、一瞬でごちゃごちゃになり、表情筋がカチカチに固まる。
「あ、あの、おれ宗教委員になりまして???その、今日新しく........」
口が全く上手く動かなかった。
何故か変な汗まで出てきて、彼女を直視できない。まずい、こんな不審者みたいな言動してたら、ドン引きされる。もう既に逃げ出したい!
そう思っていたのに、彼女の表情はぱあっと花が咲くように明るくなった。
「本当ですか!?ああ良かった!」
ぱたぱたと走ってきて、目の前に憧れの存在が迫って大混乱する。
それどころか、俺の両手を掴んで、満面の笑みを浮かべてきた!
「は!?あの?!手........」
「私、川島澄っていいます!これからよろしくお願いします!」
きらきらと輝く彼女を見て、思考が停止した。
静止した俺を見て我に返ったのか、ばっと距離を取って、彼女が頭を下げる。
「すみません!テンションが上がってしまいました......」
「あ、いえ........」
天使だ、天使がいる。本気でそう思った。
「とりあえず、委員会のこと色々話しましょう!さあ入ってください!」
促されるまま、扉を閉めた。
赤い絨毯の先の、最前列の席へと招かれる。
こういう教会、よくドラマの結婚式のシーンとかで見るけど、生で見たのは初めてだな........。
ぼんやり考えつつ、川島さんの隣に座ると、また緊張が戻ってきた。
「改めて、自己紹介しますね。私は2年生の川島澄です。あなたは?」
「あ.....3年の長瀞信二です」
「じゃあ長瀞先輩ですね!敬語使わなくて良いんですよ」
長瀞先輩。
自分の名前を呼ばれて、こんなにも嬉しいことがあっただろうか........絶対に無かった。。
じぃんと感動していると、彼女はベージュの鞄からファイルを取り出し、俺に見せてくれた。
委員会の活動目的や、いまどんな計画を立てているかなどを細かく教えてくれ、最後に委員会とは名ばかりで、ほとんどメンバーがいないんですと悲しそうに呟いた。
そういえば他に誰も来る気配がない。
というか、俺も今日まで委員会の存在を知らなかった。川島さんがいるとなれば、大学見学の全ての男が殺到するだろうに。
「メンバーって何人くらいいるの?」
「2人です」
「え?」
川島さんは、悲しそうに俺と自身を交互に指さした。
つまり、委員会は俺と川島さんの2人きり?
「ええっ!?マジで!?」
目を丸くすると、更に悲しそうな表情になった。長い睫毛を伏せて、そうなんです........と小さく答える。
「まあ、ほら!学園祭まであんまり時間ないし、人数多いと統制取れないだろうし、逆に2人で集中してやったほうが、良いもん作れるって!」
フォローのはずが、全くフォローになってない気がする。
しかし川島さんは、ぱあっと花が開いたように明るくなった。
「そうですよね!私本当に嬉しいです!最近はずっと1人で寂しくて........!」
笑顔が眩しい!可愛い !ありがとう!!!
思わずにやけそうになり、ひとまず本題に入ることにした。
「で、学園祭の出し物って、具体的には何をするの?」
「はい。キリスト教についてのパンフレットなどを配布しようかと思います。」
「へえ〜........」
全く馴染みのないワードに、間抜けな返事しか出来なかった。
俺の反応が意外だったのか、川島さんは、不思議そうに目を丸くした。
「えっ........長瀞さん、キリスト教詳しいですよね?」
「えっ!?そうだよ!?なんで!?」
「だって、キリスト教の講義、いつも最前席じゃないですか」
午前中の講義がフラッシュバックした。退屈なリンゴの話、教授に2回も怒鳴られ、倉島にニヤニヤ笑われたあの時。
あれを見られ、覚えられたのかと思うと、顔から火が出る勢いで赤くなった。
「あー!!あの講義な!今日はたまたま眠くてちょーーっとミスったけど........」
「ふふっ、すごい音でしたもんね」
無邪気な笑顔が、グサッと刺さった。よし今度倉島にビンタしよう。
サラッと決意を固めていると、川島さんは楽しそうに続けた。
「あの講義って、ただでさえ自由席ですから、みんな後ろ側に座ってるじゃないですか。でも私はしっかり話が聞きたくて最前列に座るんですけど、あそこに1人だけってなかなか恥ずかしいんですよね........」
確かに。部屋が広いとはいえ、最前列から約10列ほど後ろはガラ空きだ。
まあ、大学生なんて、後ろでサボりたがる奴が多いから、よくある事だが。
「俺も実はあんまり興味なかったんだけど、なんとなーく聞いてみようかなと思って、出来るだけ最前列に座ってるんだよね」
嘘です。川島さんの近くに座りたかっただけです。
心で懺悔しながら、話を合わせた。
「そうなんですね!じゃあわからないところがあるなら、私になんでも聞いてくださいね!私、こう見えても一応、キリスト教徒なので!」
エヘン!と胸をはる動作が可愛い。それはさておき、話を続ける。
「そうなんだ。俺、正直今日のリンゴの話?もあんまりよくわかんなくてさ........」
「ええっ!?創世記はキリスト教の原点のお話ですよ!?」
ソウセイキ........。駄目だ漢字に変換できない。
苦笑いしかできない俺に、川島さんがずいっと顔を寄せてきた。
「うわっ!?ちょ........」
「あそこは基本中の基本なんです!宗教委員を務めるならば、しっかり学んでおくべきです!あとテストに出ます!」
急接近に狼狽える俺に構わず、川島さんは更に興奮したように話す。
「それに、1番分かりやすいお話でもあるんです!聖書といっても、創世記は昔話みたいな物語なので、きっと馴染みやすいかと!」
黄金色の瞳がすぐそこにある。爛々と光る瞳と、真っ白な肌に、絞り出すように問いかけた。
「........何を?」
そして俺とは正反対に、川島さんは大きな声で宣言した。
「今度私の家で、聖書の勉強会をしましょう!!」
「なあ北村助けてくれ。とろがすっっっげえ気色悪い」
「倉島......おまえ、またとろに噛みつかれるぞ........」
「あいつ、俺に昼飯奢ってくれた........」
「うっわ!!気持ち悪っ!!」
「何でだよ!!」
距離を離して騒ぐ2人に、後ろから吠えた。
講義終わりのざわめく廊下で、倉島たちはさりげなく離れて歩いて行く。
「まーてーよ!なんで若干遠いんだよ!」
「話しかけないでください、人違いです......」
「とろ、悩みがあるなら聞くからな......」
「ちげえよ!むしろ良い事あったんだっての!」
日差しが射す廊下を、スタスタと早足で歩いていく。
ようやく速さをゆるめた2人に並び、にやける顔を落ち着けながら、報告する。
「よく聞け......俺は明後日、川島さんの家に行く!」
「とろ、ストーキングはダメだぞ?」
「ちっげ........優しい表情すんな!」
穏やかな北村の手をはねのけて、リュックを背負い直しつつ続ける。
「まあ勉強会って名目だけどな!川島さん直々に色々教えてくれるんだよ........これも日頃の行いの賜物だな」
「とろ、一応男の必需品貸してやろうか?妄想用に......」
「そこは『念の為に』で良いだろ!素直に祝えよ!」
「はあ〜〜〜俺は拗らせ長瀞くんが、高嶺の花に届かないことを悟って、スッキリ振られて次の恋に生きれるように後押ししてやったはずなのに......」
「倉島、昼飯返せ。腹を裂く。」
「猟奇的発言やめろ」
北村に遮られながら、倉島の背中にべしっと1発入れた。
次の教室に入るなり、北村が腰掛けながら話を続ける。
「しかし、こんなに上手くいくなんてな。川島さんのファンに知られたら、とろ刺されるんじゃないか?」
「フハハハ。今の俺に怖いものなどない!」
「うわうぜえ。間違ってレポートのデータ消去しろ」
「それおまえの実体験だろ、クソ島」
「うわー!長瀞くんがクソ島って言った!北村先生!」
「良かったなあ」
「何も良くなくね?すごい穏やかな笑顔で流すのやめて?」
リュックを探り、ノートを取り出して準備をする。
教科書........と探り続けたが、いつもの場所に教科書がないことに気づき、それどころか鞄のどこにも無いことに気づく。
「うわ、やべえ!教科書さっきの部屋に忘れたかもしれねえ!」
「マジか!?ここの教授忘れ物にうるさいから、とってきた方が良いぞ」
「げえ〜........最悪だ」
既に殆どの生徒が、教室に集まってきている。始業まであと五分ほどで、往復して間に合うかどうか微妙だ。
考えてても仕方ないので、慌てて席を立った。
「わりい、俺とってくる!リュック置いてくからよろしくな!」
「おお〜遅れんなよ」
「ゆっくりでいいからな!」
倉島を無視し、早足で教室を出る。
講義前で廊下には殆ど人がおらず、それを良いことに走り出す。
講義室には誰もおらず、静かな中で時計のカチカチという音と、自分の荒い息遣いだけが響いた。
「........やべえ、席どこだったっけ」
思い当たる席を覗き込むと、隅の方に一冊の本が見えた。
安心しながら教科書を手に取り、振り返ると、同時に扉が開いた。
薄らと青い髪の、細身の女性がいた。
あっちもこちらに気づいたが、興味がなさそうに目を逸らした。
ここ、今から講義あったっけ?と思いながらも、何も言わずに扉に向かう。
「あなた、長瀞信二くん?」
目を逸らした女性が、気づけば真っ直ぐにこちらを見ていた。
扉の近くで足を止め、思わず視線を返す。
「えっ、はい、そうだけど........」
こんな知り合い、居たっけ?
記憶を巡らせていると、ふと違和感に気づいた。
興味がなさそうだった彼女の目は、明らかにこちらを睨みつけていた。
敵意だ、これは。
思わず冷や汗をかきながら、なにか失礼があったのかと慌てる。
それもお構い無しに、その人は突然こちらに向かって早足に迫ってきた。
カツカツとミュールの大きな音が迫ってきて、仰天する。
「えっ、ちょっ!」
右手を真っ直ぐに、俺の顔の真横に叩きつけてきた。
バン!と扉の音がたち、追い込まれる形で止まった。
時が止まる。近くなったその瞳は、とても青く、そしてとても冷たい色をしていた。
無表情なのに、静かに怒っている。
名前も知らないその人は、俺を睨みつけながら、氷のように冷たい声で言った。
「川島澄に、近づかないで」
遠いところで、講義開始のチャイムが響いた。




