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第1話 文芸暗部にカモ来たる

 牛島虎太うしじまこうたにとって、二〇一五年四月八日――つまり鶫台東高校入学当日は、生涯において三本の指に入る、運命の一日だった。

 もしも占いをしたなら、「転機の日」やら「運命の人と出会う日」などが一斉にこの日を示したことだろう。なぜなら彼はその日、加賀千種かがちぐさと出会ったからだ。


 入学式が終わり、新入生歓迎のレクリエーションも終わり、あとは帰るだけとなった一年坊主を待ち構えているのは、新入部員を獲得せんとする上級生らの勧誘合戦である。

 半被にハチマキ、のぼりを背負って宣伝をするのは、アイドル研究部らしい。全員が白衣に眼鏡のマメ博士みたいになって、小難しい口上を述べているのは、なるほど科学部だ。

 虎太は一階の廊下に勢ぞろいした先輩たちを眺めながら、こういうときは文系の部活のほうが奇抜な行動に出るんだな、なんて一人で納得していた。運動部は、それぞれのユニフォームを着て呼び込んでいるだけなので、案外ありきたりに感じた。


 中学になったら運動部に入る。それでもってモテる。それが野望の第一段階である虎太にとって、文化部は眼中にない。

 チェックするのは、ひたすらユニフォームに身を包んだ体育会系の連中だ。これまで体育の成績は良いほうだったので、どの運動部でもそこそこ活躍できる自信があった。だから、特に種目にこだわりはない。考慮すべきは、ユニフォームがある程度カッコよくて、モテ要素が高いかどうか。さもなくば、かわいい女子マネージャーがいるか否か。


 そんな下衆く安っぽく、舐めきった考えで脳を飽和させながら部活を物色していた虎太に声がかかったのは、その時だ。


「コタくん、コタくーん!」


 彼はこうたであり、断じてコタではなかったが、女子に呼ばれてシカトする耳は持ち合わせていない。それに、上級生に知り合いはいないはずで――厳密に言えば、彼の母親はここの卒業生だが――、声の主の素性が気になった。

 振り返ればそこに、見覚えのあるオカッパ頭がいた。同じクラスの女子の顔と名前は、だいたい頭に詰め込んである。男子は……二学期までに覚えればことたりるだろう。


「えーっと確か、大林?」

「そそー! 覚えてくれたんだ、感激だなー」


 大林美咲おおばやしみさきはちょっとうれしそうにしてから、虎太の制服の袖を、濡れ雑巾でも持つように摘んで引っ張った。

 少なからずショックを受けながら、連れられて人混みを抜けると、そこにいた――加賀千種が。


 艶やかな長い黒髪に、陶器みたいに白い顔。日本人形というと怖いイメージしかない虎太だったが、ほかに例えようを知らなかった。濃くて長いまつげがけぶるようで、少女マンガのキャラよろしく、白目の所在がわからない。最近のアイドルが横並びになって「クラスの女子とあんま変わんなくね?」と常々思っていた虎太だが、その主張を覆さなければならない時が訪れたようだ。

 アイドルどころか女優にも、このレベルの美女はちょっといないだろう。船舶よろしく等級づけをするなら、フェアリー級、もしくはエンジェル級だ。


「もしもしコタくん?」


 座敷わらし級の大林が、わずかに舌っ足らずな声を掛けてきて、虎太はようやく我に返る。


「あ、ごめん。なんだっけ?」

「もー。ちゃんと聞いててよね。文芸……部に入りませんか? 入りますよね? って聞いたの」

「ああ、文芸部なんだ、ココ」

「うん、まあねー」


 文化系の部活は総じてモテないというのが、虎太の持論だ。万が一チャンスがあるとすれば、自分が天才的才能を持つ薄幸の美少年だという場合。

 さもなければ、モテとは無縁のオタク街道を爆進する羽目になる。恐ろしい。


 残念ながら虎太は、これといった才能もなければ美少年でもなかった。小学四年生の三学期に全教科オール三という偉業を成し遂げた、凡人の中の凡人であり、頭に特になにも付かない部類の少年だからだ。


 したがって、いくら大林におねだりするように囁かれても、ここは「残念だけど……」と切り出すべきだった。


「いいよ、入る。ねえ、それよりあの人なんだけど」と、加賀千種を目で示して「この部の人だよね?」

「えっ……えー。もー、しんじらんなーい。千種先輩目当ての入部なのー?」

「千種先輩っていうんだ。いや、そういうんじゃないよ、断じて。文芸ダイスキー」


 最後のほうは棒読みになりながら、虎太は加賀千種を見つめる。彼女は同級生らしき女子と静かに話をしていて、勧誘合戦にはあまり熱心ではないようだった。そんなところさえ、なんだかステキに感じてくるからフシギだ。


 虎太が加賀千種に目と心を奪われている間も、大林はずっと文句をいっていたようだ。でも、彼女は同級生の少年の耳に空いた穴から向こう側の景色を見てしまったのかもしれない。あきらめた様子で先輩たちに泣きつきにいった。


「おねえちゃーん、千種せんぱーい! 不純な動機で入部しようとするくせ者がいますー!」


 どうやら加賀千種の話し相手のショートカット女子は、大林の姉だったらしい。自己紹介される機会は今後も永遠に訪れないのだが、彼女の名は大林珠貴おおばやしたまきという。

 加賀千種よりも少しだけ背が高くて、ややきつめの顔立ち。さしづめワルキューレ級といったところか。

 彼女の存在があって、ようやく虎太の合点がいった。どうりで新入生のはずの大林(妹)が勧誘なんぞしていたわけだ。


「ふーん、千種目当て以外で?」

「ううん、先輩目当て」

「ああ、なーんだ。それなら」大林(姉)は、路上でひかれて二日経ったカエルでも見るようなまなざしを虎太に向けて、「驚くに値しないね。どうする千種?」


 大林(姉)に促され、加賀千種の黒目がちで形のよい、大きな目が、ついに……ついに虎太に向けられた。

 なんの感情のこもらない視線にさらされるというのは、ひどく落ち着かないものだった。自分の体を突き抜けて、背景でも見ているんじゃないかと不安になる。


 麗しの君は、虎太ごときに表情を変えない。そして、しっとりとして落ち着いた声で命じた。


「部長の加賀千種よ。あなたの名前を聞かせてもらえる?」

「うし……牛島、牛島虎太ですっ」


 肝心なところで噛んだ。格好悪い。

 けれども加賀千種は、そんなことはどうでもよさそうに見えた。虎太から視線を外さないまま、よく通る声で命じる。


「小林さん、入部届けに名前を書いてもらって」


 なるほど、と虎太はうなずき、この日に限って胸ポケットに刺さっていたペンをスマートに取り出して待った。もちろん、入部届けを。


「小林、ぼさっとしてないでさっさと動く」

「ひえっ?」


 大林(姉)がそう言っているのは、間違いなく妹の大林(妹)である。自分の名字がいきなり変わるとはまさか思わない大林(妹)改め小林は、反論するという発想さえ浮かばなかったのか、上級生二人の言葉に従順に従った。

 大林(妹)改め小林は、小脇に挟んでいたクリアファイルからB5を定規を使って切ったらしいB6の藁半紙を取り出し、ボールペンと一緒に虎太に渡しかけて、ペンだけ引っ込めた。


〈「入部届け」 年 組 番 氏名〉


 それを受け取った虎太は、廊下の壁を利用して必要事項を記入し、小林へ返却する。小林から大林へ、大林から加賀千種へ、藁半紙はリレーされていった。


「うしじま……とらひろ?」

「すいません変な名前で。こうたって読みます。でも別に、とらひろでもかまいませんよ」


 加賀千種に呼ばれるなら、タケシでもボブでも怪人パンツ男でも何でもいい――虎太はそんな気持ちになった。


「うし……とら……」神秘的な声音が、神秘的なリズムで紡がれる。「鬼、ね」

「お……に、ですか?」

「丑寅という言葉があるわね。鬼門を示す方位よ。牛の角に虎皮の腰巻き、だから鬼」

「はあ……」

「でも呼びにくいわね、鬼って」


 そもそも鬼と名乗ったつもりはない。散々の言われようだが、話が続くものだとばかり思って待ち構えている虎太をよそに、加賀千種はこう続けた。


「では撤収。活動は火、木、土。明日からよ」


 周囲では当然、激しい一年生争奪戦が繰り広げられている。いまだ成果の上がっていないライバルたちにの前でまずは一人新入部員をゲットしたというのに、「ようこそ」もなければ「バンザイ」もない。そもそも、歓迎されているのかいないのかイマイチ不明だった。

 いよいよ声を大きくする他の部を尻目に、文芸部の三人は通学カバンを抱えて下駄箱のほうへと向かってしまう。取り残された虎太がようやく、あれで入部手続きは終わりだと納得したときには、三人の姿は人混みに消えていた。

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