2
旧校舎は、当たり前だが五ヶ月前と変わらなかった。校庭に草がぼうぼう生えていたくらいで、これと言って恐ろしい雰囲気などどこにも感じられなかった。
「どっから入る?」
「校門、乗り越えるしかないんじゃね?」
「やっぱ、そうだな」
「ちょっと! 女子にそんなことさせる気!?」
「……ユリ、なんでお前、ここにいるんだ」
「るっさいわねぇ! あんた達だけじゃ心配だからでしょ! どうせろくなことしやしないんだからっ」
「ろくなことってなんだよ!」
「くっだらないことよ」
「なにぃ!」
「……な、もういいじゃん、ふたりとも。ユリ、ジーパンだから登れるだろ?」
「えー……」
「無理ならここで待ってろよ。あ、でも暑いから、帰った方が良いかも」
おれがそう言うと、ユリはしぶしぶ校門を乗り越えることを了承した。鉄製の校門は日に焼けていて、とても熱かった。ユリがタオルを持っていたので、手を掛けるところにそれを巻かなければ、とてもじゃないけどつかめなかったと思う。ユリのお気に入りだというタオルに赤さびがついて、ユリはひとしきり文句を言っていたが。
丈高く草が生い茂る校庭を突っ切って、昇降口にたどり着く。当たり前だが、校門同様、カギがかけられていた。
「入れないね」
「だろうと思った」
「ま、そうだよな」
三者三様につぶやくが、なんとなくあきらめきれない。
「一周してみようか」
「そうだね、ここまで来たんだからね」
そう言って、校舎に沿って歩き始めた。
一階の中央に昇降口があり、左側に職員室や事務室がある。なんとなく中をのぞきながら進むけど、不思議なことに先生方の机やロッカーが全て残されていた。
「あ、ひどっ! 思い出した、職員室の備品、新校舎のは新品なんだ! オレら生徒の机や椅子は、ここのを持ち込んだのに!」
「経費節減ってことね。見て、校長室の応接セットもまるまる残ってるわ。新校舎で新しいソファ、買ったのね」
立ち止まってぎゃいぎゃいと文句を言う二人に、おれは歩きながら質問をした。
「なぁ、幽霊が出るって、どの辺?」
上の階を仰いでいると、後ろから走って追いついてきたオサルが言う。
「うーん、タカが言うには、どことは言えないみたいなんだ。夜になると、ふらふらする灯りが見えたとか、誰かが歩いてる音がするとか、窓から白い影が見えたとか、そんな感じ」
「ええーっ、それって、わざわざ夜にこの山道登ってきた人がいるってこと? 誰よ、その物好きなのは」
「あ、言われてみればそうだな」
「それに、近くまで来なけりゃ、歩く音なんて聞こえないでしょ。ってことは、夜に校門乗り越えて、わざわざ旧校舎のそばまで入ってきた人がいるってことよね。なんなの、それ」
「ああっ、ホントだ!」
「オサルはホント抜けてるねぇ。もしかして、タカにだまされたんじゃないの?」
「いやいや、そんなわけ……ない、と、思う……けど」
ふたりの漫才のようなやり取りを聞きながらクスリと笑って、おれは口を開いた。
「まぁ、いいじゃん。少し見物して帰ろうよ。せっかくここまで来たんだし、な」
ふたりの同意を得て、おれ達は再び歩き始めた。本棟校舎、特別棟、体育館、プール、部室棟……つい五ヶ月前まで生活していた場所が、とてつもなく懐かしい。
おれ達は三人とも、一年の時、同じクラスだった。と言っても、三クラスしかなかったけれど。しかも一クラスの人数が少なく二十八人で、三十人を欠けていた。和気あいあいとした仲の良いクラスだった。担任教師も良かった。技術の先生で、休日に学校のあちこちを修理しているマメな人だった。自腹で買ってきたセメントをこねて雨漏りする部分をふさいだ、なんてこともあった。去年の四月中頃に横殴りの大雨が降った時、廊下に貼ってあった掲示物がびしょ濡れになって、とても悔しかったらしい。せっかくの生徒の作品がダメになったと泣きそうな勢いだったけど、おれらは『中学生になって』という、やっつけで書いたどうでもいい内容の作文なんて、雨にやられて捨てる羽目になったからと言って、失意もなにも全くなかったのに。まぁ、ゴミを片付けるのと、濡れた廊下の拭き掃除は面倒だったけれど。でも、そんな心の優しい、熱い男が担任だったので、一年の時はとても楽しかった。クラス全員、田貫先生が大好きだった。この旧校舎と同じく、定年退職でさようならをしたのがすごく残念だった。もっともっと一緒にいたかったのに。
歩くたびに思い出がよみがえってくる。
あそこの階段で走り上っていて、コケて向こうずねをいやというほど打ちつけたなとか、渡り廊下でプロレスしていたヤツが美術室の扉に派手にぶつかり、ゆがんだ扉が開かなくなって生活指導の教師からしこたま怒られていたなとか、掃除の時にほうきを振り回して戦っていたら手が滑り、壁にほうきの柄が刺さって穴を開けたヤツがいたなとか、三人で思い出を語りながら回って行った。
当然のように、いくつかある中へと通じる扉には全てカギがかかっていて、校舎内には入れなかった。それでもおれ達には楽しくて、今日のことは夏休みの思い出として記憶に残せたと思う。名残惜しくも校門を再び乗り越えて、振り返り、振り返りしながら自転車で帰路についた。夕焼けを浴びた旧校舎は、なんだか少し寂しそうに見えた。