S5:千春、探しもの
青空千春が縁切乙と交際を始めた理由はただ、なんとなく一緒に居てもいいと思えたからだった。
当初の出会いの頃より、これとは相性が良さそうだと思い始めてもいた。もしかしたら、これが俗に言う一目ぼれかもしれないと振り返ってみたりもした。
告白を受け、キスもした。今では同じ屋根の下で寝泊りしている。布団を並べて寝ているなんて、夫婦みたいだ。
「夫婦? 違うか」
まだ、そういう関係ではない。物事は正しく表現しなくてはならない。
夏休みも終わりに近づいてきている。そんなある日、乙が夕方に帰ってくると告げて出て行った。アルバイトに行くとのことだ。
同棲を初めて数日は乙が信じられない行動に出ようとしたのでぶち切れまくっていたものの、今はお互い、いい関係を築けているはずだ。
そして、色々あってからも千春はいつものように受験勉強をしている。数式やら、古文の内容を頭に入れているとふと、視界の隅に町内会の会報が入り込む。
「……子育て体制の強化へ。イクメンを充実させるには、か」
勉強の手を止めて、一度コーヒーを入れた。再度問題集を開く気になれずにその代わりとして会報を開く。
「頭の悪そうな子どもね」
鼻を垂れた子どもが両手を広げて笑っている。その後ろには幸せそうな夫婦の姿があった。どことなく、男の顔が乙に似ている気がした。
家族の写真を見たからか、未来のこと、そして自分の過去を考えてしまう。
「夫婦、か」
専業主婦になるのも悪くない。両親とあまり一緒に生活できないと、自分のようなひねた人間に育ってしまう。
共働きの千春の両親はいつも帰りが遅く、そのため寂しい思いをよくしたものだ。
仕事を生き甲斐とし、あちらこちらへと移動している両親。ただ、それだけではなく趣味も同時に行っているのだから舌を巻いてしまう。傍から見たら完璧な夫婦なのだ。
「お父さんたちはな、趣味と仕事を両立できているんだ」
稀に話す機会があると、自慢げに父親は笑うのである。娘の考えていることなんてちっとも気にしない。子育てはどうなのかと、聞いてみたくなかったことも何度かあったが、結局言うことは無かった。
寂しくて、あほらしくて、両親のことは早い段階で諦めてしまった。もう二度と、あの二人と一緒に家族で何かをすることはないだろう。両親だからといって、同じ道を歩いているわけではない。
その点、勉強や情報は人を裏切らない。そして、人を動かす力がある。
乙に一度は自身の考えを聞いてもらいたかった。何と言ってくれるだろうか。
その時、チャイムが鳴った。
「あ、はい」
返事をし、短い廊下を歩いてのぞき穴を確認する。乙との約束の一つで必ず相手を確認してからあけて欲しいとの事だった。一人暮らしはこちらのほうが長いのだから、そんなのわかっていると答えておいた。
「どちら様ですか」
「ん? 女の声? あれ、ここ、縁切乙の住んでいる場所だよね」
「そう、ですけど」
むくっと起き上がるのは乙への猜疑心と同時に扉一枚を隔てた向こう側の女性への単純な好奇心だ。のぞき穴から見えるだろうか、その存在が。
「あの、あなたは?」
穴から覗くよりも先に問いかけた。
「相手の名前を聞く前に、自分の名前を聞くのが、礼儀ってもんじゃないかな」
少し悪戯っ気が含んだ口ぶりだった。
「それはあくまで、対面したときだけでしょう。もし、口にしてしまったらなにされるかわからない世の中ですから」
「なるほどなるほど。これは失礼したね。私の名前は……いや、やめておこう。私は縁切乙の師匠で、保護者さ」
少しえらそうな口調だ。
「師匠、保護者……」
時折乙の口から聞く存在だった。まさか、件の師匠が女だったとは。
「こっちはなんというか、立場を教えたのだからそっちの立場も教えて欲しいな」
「私は乙の彼女です」
「彼女?」
どこか愉快な雰囲気が伝わってきた。十中八九、相手は笑っている。
「へぇ、乙の奴、画面から女の子を取り出す技術を取り出したのか。日本の技術者は凄いなぁ」
せせら笑う感じが何ともいえない。苦手なタイプである。
「言っている意味は理解できませんが、私はれっきとした人間ですよ」
「そかそか。いやぁ、悪いね。君と話していると乙が好きになる理由も分かる気がするよ」
まだあって数分程度だというのにそんな分かりきったような口調で話す。普段だったら警戒しそうな雰囲気があるのに強くは出られない。なぜなら、あの乙の保護者だからだ。交際を却下されたらそれはそれで嫌なのだ。
「……保護者?」
「ん、どうしたの?」
「あの、保護者ってどういう意味ですか」
乙のことを以前調べたとき、その家族構成には調べられなかった。それが引っかかっていたりもする。
「……法律的にその対象を見てあげるというか、後見人って言ったほうが伝わりやすいかな」
「言葉の意味ではなくて、何故、あなたが保護者ですかという意味です」
「あの子にはね、表向き両親がいないから」
「え」
乙から聞いた事のない話だった。居候初日、お金の話をした際に、自立しているからいつまでもいて大丈夫といわれた。事実、通帳を確認させてもらったところ非常に潤沢な金額が通帳に入っていたのだ。
「表向き?」
「順を追って説明するわね。まず、エンキリという一族がいるわ。この一族は能力の程度はあれど、人と人との縁を断ち切ることが出来る。ここまではオーケー?」
「はい」
エンキリの話についてはほとんど乙から聞いてはいなかった。
「生まれたときからまぁ、能力はあるからね。あの子の場合、その能力が抜きん出ていたそうよ。生まれてすぐに何かの拍子で両親との縁を断ち切ってしまった。なかなか切れる代物じゃないらしいのにね。赤ん坊が、ここまでの力を持つのは異常だ。そういった理由であの子の力は吸い出された」
エンキリではない千春には詳しい事情はわからない。分かることは一つだけ。乙は、意図せずして自分の両親と断絶した事になる。縁を切る能力は、非常に危険なものに思えてならなかった。
「あの、どうして私にその話をしてくれたんですか」
「あなたが彼女だからかな」
「……違うかもしれませんよ」
「私の目利きは正しいの。いつだってね。それに今日は、乙の顔を見に来ただけじゃない」
「え?」
「あの子の両親を探しにいこうと思ってね。乙と一緒に。近くのホテルに泊まっているから、このこと、乙に伝えてくれないかしら」
「わかりました」
「いつ戻ってこられるか分からないことだからね。縁を切られた相手を引き合わせるのは大変だから。まぁ、根無し草でいるように教えていたから、別れを惜しむのはあなたぐらいでしょう」
どこか自嘲気味なのは相手の過去にそういった類のものがあるからだろうか。
「そんなことはありません」
気づけば、千春はそう言い返していた。
「そう、ま、いいわ」
連絡先を告げて、相手の気配は消えてしまった。
「乙が、いなくなる?」
久々にショックを受けた。そして、彼女は自身がそのようなショックを受けるなんて意外だと感じるのだった。




