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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Fragrance

作者: 羽崎さやり

ああ、くさい。


またあのニオイがする。だから、病院に来るのは嫌いなんだ。病院は必ずどこかからこのニオイがただよってくる。

まして、自分がいまお見舞いに来た病室がこのひときわ濃厚なニオイの発生源ときた日には、本気で回れ右して帰りたくなる。そのくらい、わたしは病院、特に入院できる病棟がある病院がきらいだ。

しかし、だからといって、いまさら帰るわけにもいかないのもまた事実だ。


「××ちゃん、来てくれたの」


病室のなかから、見舞い相手が嬉しそうに笑いかけてくる。

彼女からただよう強烈なニオイには全力で気づかないふりをして、「調子はどうなの?」と、わたしは穏やかにほほ笑みかえした。


その、一週間後だ。

彼女は病院で息をひきとった。

治らないような病気ではなかったから、彼女の訃報に、みんなが驚いた。彼女本人もきっと、自分が死ぬなんて思っていなかっただろう、入院するときもあっさりと「ちょっと行ってくるわ」なんて笑っていたくらいだったから。

しかし、現実に彼女は死んだ。死んでしまった。

結果としてわたしは今、彼女の葬儀に参列しているのだ。

友人席で読経を聞きながら、焼香の順番を待つ。

周りにいる友人たちはみんな、目を真っ赤に泣きはらしていたが、わたしはあまり、泣く気にはなれなかった。

…別に彼女がきらいだったとか、それほど仲がよくなかったとかいうわけでもない。むしろ、わたしと彼女は仲がよかった。

しかし、今のわたしには、彼女の死を悼むよりも、右隣の友人の男性からただようきついニオイのほうが、よほど神経に障っていたというだけだ。おかげで、親友だった彼女の葬儀だというのに、素直に泣く気にもなれない。


ああ、くさい。


そのあと順番がきたので焼香をすませ、彼女のご家族にあいさつをしてから、わたしは友人たちといっしょに歩いて帰宅した。

ニオイのしていた彼がまわりの友人に、3日後に海外へ出張に行くのだと話しているのを、ぼんやりと聞きながら。


彼女の葬儀から5日後だ。

平日だがシフトで休みをもらっていたので、自宅で洗濯物をしていたら、電話が鳴った。

海外へ出張に行く、と言っていた彼の恋人である友人からだ。

彼の土産の自慢かと思ったら、彼の母親が亡くなったという。

動揺している友人をなだめ、しかし彼とはそこまで親しくなかったので、わたし自身は葬儀には参列せず、友人一同、と書かれた花輪に名を連ねるにとどめた。

一週間後にばったり顔をあわせた彼からは、もうあのニオイはしなくなっていた。


それからしばらくは、特に何事もなく日々は過ぎた。

ときどき街の雑踏のなかで、すれ違いざまにあの鼻をつくニオイを嗅ぐことはあったものの、身近にあのニオイを発するものはなく、おおむね平和だった、といっていい。

が、その平和は今日、なにげなくバスに乗ろうとしたときに崩れた。

バスのステップに一歩、足をかけたとたんに、バスの中全体から、耐えがたいほど強烈なニオイが、わたしの鼻を直撃したのだ。


ああ、くさい。


いつもなら我慢するが、今日のこれはどうにも我慢できなくて、わたしが乗り込むのを待っていた運転手に詫びを入れ、わたしはそのバスに乗るのをやめた。

ニオイのせいか吐き気がしてきたのをこらえながら、バス停から遠ざかるバスを見送る。その、次の瞬間だった。

どおおん!

ものすごい音に驚いて、思わず座っていたベンチから立ち上がる。

わたしが乗るのをやめたバスが、対向車線をはみ出して突っ込んできた4tトラックに追突されて派手に横転し、道路脇の川に落ちていく瞬間だった。

事故に驚いたまわりの通行人が、あわてて携帯電話を取りだして、どこかへ電話をかけはじめるのも見えた。警察を、いや救急車をと、叫ぶ声があちこち錯綜する。


ああ…、だから(・・・)か。


やや放心状態でベンチにふたたび座り込みながら、わたしはあの強烈なニオイの理由を思う。


だから、あのバスからはあのニオイがしたのか。


遠くから近づいてくる救急車のサイレンを聞きながら、生存者はいないだろうな、と心のすみで冷静なわたしがつぶやいていた。




わたしは病院がきらいだ。

病院という場所は、必ずどこかからあのニオイがただよってくるからだ。

唯一の気休めは、自分自身に近い身内からニオイがしていたとしても、それは嗅ぐことができない、ということだろうか。

しかし、反対にいえば、他人のそれは嗅がされざるをえない、ということでもある。

生きている以上、これからも、わたしは周囲から、あの気が滅入るニオイを不意打ちで嗅がされ続けなければならないのだろう。


あの、「これから死ぬ人の」ニオイを。




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