68列車 静岡貨物
その夜。箕島は頭を抱えた。
(50%(パー)の自由かぁ。どうすれば・・・。)
考えても何も策が上がらない。天井を見上げる。そうしてほしいということは木ノ本から聞いた。きのう準備の永島はうるさかった。だが、それを抑えただけで今日は人が変わったようになってしまっている。もし、このまま永島が鉄研からさっていったら・・・。鉄研部として有力の人材を失うことにつながる。そういうことになる。電車のことに関して言えば留萌と同じくらいの知識がある。しかし、模型で言えば彼は模型をいじれるが、留萌はそういうことはしない。出来るのかもしれないが・・・。実際展示の時は車両選定など永島にまかせっきりなところも多いのだ。
「どうすれば。」
ふと言葉が漏れた。そもそも50%(パーセント)の位置が分からないのだ。どこまでの半分を自分たちとして許容するか・・・。こんなこと考えていると永島に対して腹が立ってくる。それは永島が子供だからだ。そんな理由が社会で通るはずもない。このうちでどうにかするなら、今このチャンスしかない。だが・・・。今この状況を踏まえるとそれを強行する方も強行する方ということになってしまう。
(あいつが気付くのを待つか。それとも、こっちからここまでならいいというものを出すか・・・。)
結論は結局出なかった。
その状況が数日続いた。5月15日。今日は静岡貨物での展示の準備。翌日5月16日に展示を行う。永島と箕島もその準備に赴いた。
「永島。これお願い。」
と言って永島にフィーダー線のコードを渡す。
「ああ。」
何か引っかかるような声で返事が返ってきた。もちろんこの準備も口数が少ないだけだが、どうもやりづらい。
それは翌日も同じだった。
「永島。外回りに何か出して。」
「ああ。」
だけ返ってきた。クリエイトの時は喜んで返事が返ってきたのに・・・。
永島は外回りに自分が家から持ってきた223系を出した。隣はEF210牽引の貨物列車。26両。これも永島が家から持ってきたものだ。
(永島のやつ。自分の役割は分かってるみたいだなぁ。)
とは思える。だが・・・。実際にあったら・・・。
午後になると少し自分たちの展示の方に余裕が出てきた。今この場にいるのは自分たちを含め8人。木ノ本と柊木はいま貨物駅をまわっているグループに交じって静岡貨物の中を見せてもらっている。醒ヶ井はここに来た人に対してのアナウンス担当。箕島と永島と北石で運転を担当している。ときどきその後釜としてシナ先生が中に入ってくれる。
「山科さん。永島。北石。次のグループで見学に行ってきていいよ。」
稲沢さんが僕たちの展示会場に入ってくる。
「永島君。」
シナ先生は稲沢さんから受け取った青いリボンを永島に渡した。これをつけてグループに紛れ見学しろということだ。
数分後。そのグループが入ってくる。そのグループが出ていく頃に展示場を出た。建物のすぐ隣を通って駅のほうへ行く。途中本線の下をくぐってコンテナヤードに出る。コンテナヤードまで来ると運よく貨物列車が止まっていた。EF66牽引だ。塗装は上が水色でしたが白。貨物機としての証だ。そして、自分たちの後ろにはEF210-119号機とEF66-25号機。EF64-1009号機が止まっていた。
「ちょうど消防署だな。」
シナ先生がその車号を見て冗談を言った。
「それを言ったら110は警察署ですね。」
北石が続ける。
「じゃあ117はアリコか。」
「・・・。そういうことになるなぁ。」
このときここの職員はここにある機関車、貨車の説明をしている。屋根のある線路の下に止まっているのはコキという貨車。僕は模型でよく見ている車両の実物だ。これには緑色のコンテナが5個積載してある。これは全国に50個しかないコンテナ。他のコンテナと同様の仕業についているため、貨物列車にこのコンテナが積載してある確率は限りなく0に近い。それほどJR貨物が所有するコンテナの数が多いのだ。もちろんそれを乗せている貨車も多い。聞き間違いだったかもしれないがJR貨物はこれと同型のコキ100形とコキ50000形。合わせて8000両近い数の貨車を保有しているのだ。そして僕たちの後ろにいる機関車の説明に入る。僕たちが後ろを向くと右から順番にEF64、EF66、EF210の順番に並んでいる。
「えー、みなさんから見ていちばん右にいる電気機関車はEF64と言います。」
この機関車は碓氷峠で活躍していたEF62という電気機関車から特殊な装置をすべて取り除いたものに近い。EF62と同様きつい上り坂などが存在する山岳路線用の電気機関車で製造コストは2億いく。
「中央に止まっている電気機関車はEF66と言います。」
EF66は国鉄時代につくられたハイパワーロコ。それまでEF64の平坦路線用の電気機関車EF65が2機で牽引していた1000t級の貨物列車(24両)を単機。つまり1両で牽引できるようになった電気機関車である。運用に就いた当初は国鉄の中でも有数のエリート列車の牽引を担当し、その後寝台特急の牽引にまで幅が広がった。製造コストは2億5千万。中には3億いくものもある。
「左に止まっている機関車は皆様見たことがあると思います。」
と言っても東海道・山陽本線沿線か、こちらまで旅してきた人しか見たことはないだろう。それともインターネットなどに投稿されている写真でだろうか。
EF210はJR貨物が開発した機関車の一つ。パワーはEF66より劣るが、1300t級貨物(26両)の牽引を任されることもある。なお、このEF210には「桃太郎」という愛称がある。これはこれの第一グループが岡山に配置されたことにちなむ。現在ではそこ以外にも配置され、東海道・山陽本線を走る貨物列車のほとんどの牽引を担当している。製造コストは3億円。
(3億。)
思わず目が飛び出るような金額だ。それだけのお金があれば遊んじゃうのにということをふつうに考えた。さらに考えを進めると・・・。JR貨物はすでにこれを70両近く保有している。つまりこれらすべてにかかったコストは210億円。もちろん機関車はこれだけではない。これまでに製造されてきたすべての機関車を合わせたら・・・。
(すごいなぁ。)
世の中には勝てるはずもないほど大きな利益を上げている企業がいるのだということを実感する。
説明を聞いている間にEF66か牽引する貨物列車が発車しようとしていった。僕たちは説明を聞くよりもそっち。カメラを構えて、ゆっくり発車していくEF66を収めた。その説明すべてが終了すると自由行動。EF210の運転室には入ることができるようになっていたが、まずは子供たちにその場所を譲ることにしよう。
場所をまわっていると今度は上りにEF210が牽引する貨物列車が入ってきた。この貨物列車はとう静岡貨物に停車するようだったので、とても遅い。カメラに収め、僕たちはEF210の運転室に向かった。
僕たちが乗り込んだのは大阪側の運転室。乗務員扉から普段はいることのできない運転室に乗り込む。自然とテンションが上がって自分でも心臓の鼓動を感じるほどになった。
運転席に座る前に右にある時刻表を建てるのもを差し込んであるものをカメラに収める。ここにささっていたのは静岡から稲沢までの時刻表。途中にはほとんどの駅と途中にある西浜松の通過・停車時刻が秒単位まで記載されている。
そのあとマスコンとブレーキをいじる。ブレーキのさらに左にあるのが前進と更新を決める模型のコントローラーで言うとディレクション。まぁ、これもディレクションというのかはわからないが・・・。それを前進に入れて、ブレーキを一番奥から手前に引く。それを運転という表示になっているところまで持ってくるとブレーキは解除される。これでマスコンを入れれば走るのだが、パンタグラフが上がってないからそれはない。次にマスコンをいじる。その位置には「切」という表示がある。これはマスコンが0。簡単に言うとパワーを発揮できないのだ。それをまずは1に入れる。次に2に入れる。と段階を踏む。数字は全部で18まで書いてある。ふつうの電車なら5段階ぐらいなのに・・・。
(なんだろう。この言葉にできないようなうれしさは。ずっとこのままでいたい。)
と心の中で思った。もちろんそれが不可能なのも分かっている。シナ先生に変わり、北石に変わった。
「感動。あれに触れるなんて夢にも思ってませんでした。」
本当だ。
「そうだな。」
それから数時間後片付けになる。EF210の機関車たちももうすることはなくなった。片付けている途中でEF210が東京側についているパンタグラフを上げた。パンタグラフは段階的に上がって行く。一気に上がるのではなく、ゆっくりゆっくり上がっていく。それが架線に届くと機関車内に電気が行く。EF210は片方の尾灯を点灯させる。他の電車と違い機関車は基本片方しか点灯することができない。
「ヒィィィ。」
EF210のモーターが動き出す。もちろんこんなの初めて聞いた。
「EF210ってあんなおとするんですね。」
「するよ。駅とかで聞いたことないのか。」
と話しかけてきたのは稲沢さんとはまた別のここの職員だ。
「いやだって。駅は通過してくだけだし。」
そうなのだ。通過していく時僕は「フォフォフォフォフォフォフォフォフォーン。」という音しか聞いたことがない。この音が去っていくと後ろにくっついていくコンテナ貨車が線路の継ぎ目をたたく音と積載されているコンテナが風を切る音に変化して聞くことはできない。
「・・・。」
相手はそうなのかという顔つきになった。
この人と悠長に話もしてはいられない。展示に使ったものを運んでコンテナの中に運び込む。最後の一個が運び終わると、
「おーい。」
ハクタカ先輩がみんなを呼び止めた。
「こいつらが心配じゃないのか。みんなで手を合わせてご愁傷様ですっていうんだぞ。」
(勝手に殺してる・・・。)
と思いつつも、稲沢さんも交じって全員手を合わせる。
この後このコンテナは無事だったらしく何の支障もなく浜松に戻ってきたらしい。僕たちが西浜松まで赴いて回収しに向かった。
数日後。テスト一週間前になって部活動が一時中断される。
(くそー。)
箕島は机の上にシャープペンを置く。
(勉強してる暇じゃない気が・・・。うーん。今は考えないことだ。永島も貨物の展示の後からは口数も増えてきてる。だけど・・・。完治したのが4か月後って聞くとまだ完治はしてないんだろうなぁ。)
その頃・・・、
「今度は何走らせようかなぁ・・・。」
車両庫に向かった。
「久しぶりにワムでも走らせるかなぁ。」
テスト一週間前だというのに・・・。それそっちのけで模型で遊んでいた。
「時には221系と223系の併結っていうのもいいなぁ。」
というと、
「じゃあ、221系たす223系5500番台でどうだ。」
駿兄ちゃんがそう言った。
「・・・。」
首をかしげる。どういうものかはわかっているが・・・。6000番台以外にも221系とキスするものがあるようだ。
「・・・。分かった。やらないよ。そもそも5500番台がなかったな。」
と独り言を言った。
これから一週間後。テストが始まる。今回の中間テストの結果は681点でクラス2位。1位は683点で宿毛が取ってくれたので安心した。
それからというもの文化祭まで準備をつづけ、文化祭は去年取れなかった優秀賞をとった。これが終わるとまた夏恒例の臨地研修に話が進むことになる。
(うーん。前朝風がブルトレに乗りたいって言ってたなぁ・・・。今回は乗せてやるかなぁ。あたしたちが考えるんだし・・・。でも、アド先生がこれで通してくれるかなぁ・・・。)
楠はそう考えた。これで通る方も通る方だと思った。
東海道本線を走っていく寝台特急は1日目を棒に振る状態になる。「出雲」に至れば0時35分の到着。こんなのでは通るはずもない。乗るのならなおさら向こうということになる・・・。
実際に「桃太郎」の中に入った時、心臓がバックン、バックンなって、自分でも興奮していることがよく分かりました。言葉で表現できない感動がそこにありました。今でも覚えています。
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