空っぽ童心
両耳イヤホン詰め込めば、そこは僕だけの世界で。雑踏にはそういう世界があふれてる。
人混みに浮かぶ顔は、それぞれがだれも見てなくて。交わした視線はどこかへと通り過ぎていく。
凸凹に歪んだ心。鍵穴と鍵のようにぴたりと合う心が合るものか。
どこかで聞こえていますか。あなたの周波数はいくつですか。渇いているのはわかっているのに、どうしていいかもわからずに。
ネットの窓を開いてみれば、君を迎える物事ばかりで。興味のあることだけを見聞きして。
SNSとかブログとか。聞いてほしいのは自分語りで。
独りよがりのオンリーワンに価値などないと気づいてみたけど、そこから向こうが見通せなくて。
どこかで見えていますか。あなたのフィルターは抜けられますか。認めてほしいとわかっているのに、誰かの為には動けなくて。
どこかで泣いていますか。あなたの心は求めていますか。
どこかで叫んでいますか。あなたの隣はあいていますか。
勇気を出して右手を出すから。どうかどうか。あなたの右手を出して貰ってもいいですか。
「入れて」と一言唱えて仲間になれた童心は、大人の今はもうないけれど、大人になっても独りで居るのは辛いから。
嫌いな人付き合いの合間とかに携帯を開くとほんの少し安堵感を覚えるのは僕だけでしょうか。
持ち歩けるパーソナルな感覚は、安堵感をくれはしましたが、その分、なんかATフィールドが少し強くなった気もします。
こんなこと書きつつも、人ごみでは常にイヤホンを突っ込んで自分の世界に浸ってますがね。
今、読み返してみると、なんか今時の若者のパーソナル感を履き違えた保守的な大人の勘違いな感じの詩ですね、これ。
でもまぁ、自己という物が肥大してる気はしますね~。良いのか悪いのかは知りませんが。