短編集
『緊急速報です!緊急速報です!』
私は料理をしながら聞き流していたテレビに目を向ける。手元では味噌をゆっくりと溶きながらも、最近話題となっていたニュースの続きだろうと、少し心が躍る。
『また、無事に解放されました!!これで4件目の人質解放です。』
テレビの向こうでは、少しでも臨場感をだそうとでもしているのか、乱れた髪を整えもせずにリポーター声を上擦らせながら実況中継をしている。
(今回の解放場所は河川敷か。)
私は少し慣れてしまった心境を感じながらも、ここ数ヶ月、人質が解放された3件の現場を思い起こす。
しかし、ニュースを追うたびに、私は解放場所に小さな不快感を覚えていた。
1件目は下町の住宅街の、浮浪者が住み着いていたような埃塗れの廃屋。
2件目は埠頭の、ドブのような油臭い海水が打ち寄せる工場裏のゴミ溜め。
3件目は市街地から少し離れた、湿った泥と虫が這い回る薄暗い山中。
そして4件目の今回は犬のフンやヘドロの臭いが漂う河川敷の線路下。
人目が付かないことだけが条件ではなさそうな立地。小学生や幼稚園児など、年齢には関係性はない。
一貫している点は2点。
1点は、恨みや何かしらの嗜好があるのか、と思うくらいに不衛生な場所に解放されていること。いくら無傷とはいえ、そんな不潔で冷たい場所に、まだ幼い子供たちが何時間も転がされていたのかと思うと、生理的な気味悪さを禁じ得なかった。
そう、この◯◯市では、ここ3カ月の間、毎月一件のペースで、児童誘拐が起こり、解放されていた。今回は制服からして山手にある私立の中学生の女子生徒のようだ。
ひとり親の私にとって、何よりも大切な愛息子と同じ年代ということもあり、4件目の情報には一層関心が惹かれた。そうじゃなければ、またか、と思って済ませてしまうぐらいの慣れがあるかもしれない。キャスターの迫真の伝え方も、妙に空回りしているように感じる。
鍋の火を止めて、味見用に小皿に味噌汁を少し取る。右後ろにあるテレビを振り返って観続けていた為、たった数十秒で首が痛くなってきた。身体ごと振り返り、シンクに腰を持たれて河川敷の線路下から件の女子生徒が運ばれる様子に目を凝らす。
男性警察官4人が、担架で土手の芝をゆっくりと運ぶ。土手の上には野次馬が映り、現場はかなり騒がしそうだ。そんな状況でも、まるで死んでいるのでは?と心配になるほどにこんこんと眠っている。
『やっぱり!!』
私は気づいて思わず声を上げた。まだ息子が帰宅していない、一人だけのリビングに寂しく響いたその声音は、どこか喜色だっていた。
ここ3件の事件から連続して、今回も、だ。
もう1点の一貫性。それは超富裕層の子女子息ばかり狙った、身代金狙いの犯行ということだ。
それも本当に無傷で解放される。
それならば、と、前回の小学5年生の男の子の時からニュースで個人名が出なくなった。
人の口に戸は建てられないというが、風の噂では超有名企業の御曹司らしい。
1件目、2件目は大々的にニュースになり、3件目は突然に報道は縮小化。しかしなるほど、解放後の諸々を考えると、確実に帰ってくるならば無かったことにするのが一番良い、というのは被害者心理というものだろう。
今回の件などは、今、速報で知った程だ。
『撮らないでください!!撮影はやめてください!!』警察官の一人が報道陣の前に立ち塞がる。
報道陣の数字を求める行動は、倫理観すら超えてくるのだろう。今回は警察に張りついたのか内部情報リークがあったのか、揺れているカメラを持つ記者は許可なく勝手に撮影しているに違いない。どんな富裕層の娘さんかはわからないが、あとでこのテレビ局へ親御さんからの猛クレームが入るのではないだろうか。
私は見てしまった。整った顔立ちの中学3年生が持っていたバック。あればmiumiuの新作で、数十万円はするものだ。
パートでなんとか日々を乗り越えて、来年高校生になる息子の制服代や諸々を想像して震えている私にとっては、到底手に入らないもの。
そのバックも取らずに解放するなんて、いったい身代金は幾らなんだろう。
他人の不幸は蜜の味とまではいかないが、同じ町だけど全く違う世界の出来事に、私は下世話な妄想をする。
まぁ、最悪な環境が解放場所だったとしても、本人達は薬品かなにかで眠らされているし、5体満足で帰って来たのは素晴らしいことだ。
『よいしょっ』
さぁ、盛り付けるか。
私はテレビから目を離して食器棚に手を伸ばした。
今日は焼き魚と味噌汁。
息子の好きな大根おろしも沢山用意した。
香ばしい匂いが漂いだした魚グリルを右手で慎重に引きつつ、部活からの帰りがいつもより遅い息子に連絡をしようかな、とエプロンに入れたスマホに手を伸ばす。
丁度手に取ったその時にブブッと、震えた。
『もうすぐ帰るよ!今駅!!』
息子からのそんな一文を想像した私は固まる。
【息子さんを、誘拐させていただきました】
手足を縛られて目隠しをされた息子の画像。
意識はないのか、眠っているかのよう。
車の中?寝かせられているのは、革地のソファのような場所なのはうっすらと解る。
意味がわからない。なに。とりあ、えと。警。
この吐き気は生臭さのせい?安売りセールの魚だったから?などとどこか思考がぼやけている。
私は、冷めちゃう、と場違いな思考を浮かべながらグリルを押し込み、閉めた。
ガチャガシャガ__プルルルル!!
突然非通知の番号からの電話に、吐き気を飲み込みつつ、回らない思考で受話器ボタンを押す。
『、、、はい。』震える声で返事をする。
心臓が口から出そうになりながら、果てしなく感じるほどの沈黙。
『ドクドクドクドクドクッ』
自分の鼓動の音が煩いほどに、聴こえて苛立ちを覚えることなど、人生で初めての経験だ。
『はい!!出てます、メッセージの人ですよね!!!』
なんとか絞りだした勇気を踏み躙るかのような、拍子抜けするほど軽やかな、若い男の声が響いた。
「あ、お母さん? 画像、見ました?」
『あの子を……息子をどうする気!? お金なら……!』
「あ、お金の話は後でいいですよ。それより、これまでの子たちと同じように、息子さんを丁重にお返ししようと思うんですけど。……解放する場所は、どこがいいですか?」
テレビの向こうでは、河川敷から救出される富裕層の子供の姿が映っている。私の脳は、そのあまりにも強力な【優しい前例】に縋り付いた。同じだ。この男が、あの誘拐犯。お金の交渉の前に、まずはあの子をどこか安全な場所に置いて、引き取らせてくれるんだ。でも何故、私。我が家。あの子。
『場所……? 場所なんて、どこだっていいわ! どこでもいいから、お願いだから今すぐあの子を解放して!!』
「わかりました。じゃあ、こちらで適当な場所を決めておきますね。皆さん、そう言われるんですよねー。……あ、その前に一応確認なんですけど、身代金の3億円、明日の12時までに用意できますよね? 〇〇君の家なら余裕ですよね?」
心臓が凍りついた。それは、それは違う。
そして理解した瞬間に、血が流れた。冷たくなっていた手足に血が巡る。
『ち、違います! うち、そんなお金ありません! 私はただのパートで、◯◯君は!その子はうちの息子のサッカークラブ友達の……人違いです! うちにはお金なんて一銭もないんです!』
(勘違い!人違い!我が家じゃなかった!)
必死で叫ぶ私の言葉に、受話器の向こうの男は、あからさまに不機嫌な、冷たい溜め息をついた。
「は?……マジかよ。なんだよ、貧乏人か。僕、貧乏人って本当に嫌いなんですよね。時間の無駄だし、一銭にもならないガキなんか置いておいても、餌代がかかるだけだしなぁ……粗大ゴミじゃんよぉ」
男は舌打ちをし、何かを値踏みするような短い沈黙のあと、思いついたように声を明るくした。
「あ、そうだ。いいことを思いつきました。お母さん、その〇〇君って子、このゴミの友達なんですよね? 明日の24時までに2丁目の廃墟に◯◯君を口にテープをして手足縛って転がしておいてください。あの、フェンスがある潰れた病院です。それができたらコレを解放しましょう。場所はご自宅の前に。」
楽しそうに、旅行の計画でも一緒に立てているかのような様子の男。
『そんな……そんなことできるわけ……!』
私は、息子のサッカー観戦で三年間の間に親しくなった親御さんの顔を思い浮かべながら必死に拒絶の言葉を出す。
「あーもう。なら、こうしよう。できなかった場合は、順番に解放していきますね。意味はちょっと変わりますが、、、」
何?順番??準備?さっきからガチガチうるさい私の歯の音のせいで聞き間違えた?
「改めて確認ですけど、解放する場所はどこがいいですか??」何故か先程と同じ質問。意味がわからない。しかしどこか楽しそうなスマホの向こうの男。
『場所、、、場所は、ほんとうにどこでも良いんです。返して!何もない私からこれ以上何も奪わないで!!』
叫ぶ。降って湧いた理不尽への怒りが、恐怖を上回る。
「あー、はいはい。うるさい。貧乏人。ゴミ。どこでも良いんですね。言いましたね。ふふ、ははは。」
いよいよ愉悦に塗れた笑いまで漏らしながら、男は、楽しいおもちゃを見つけたように言う。
「明日の24時までに出来なかったら
お返しする場所は
まずは右腕からで。」




