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|エア・ボーン

作者: 美味礎 杏佳
掲載日:2026/02/26

夜の郊外は、どの家も同じように灯りを落とし、

静かな箱のように並んでいた。


街灯は低く、舗装された歩道に淡い円を落としている。私はその円から円へと移動しながら、住所を確かめた。

頭に深く刻まれた数字と、門柱の金属板に刻まれた数字が一致する。


——間違いない。ここだ。


私は背筋を伸ばした。軍服の襟を整えたつもりだったが、満足感は得られなかった。代わりに、冷たい空気が指をすり抜ける。癖のように行った動作だった。


——もうこんな仕事は、これで最後にしよう。


玄関灯は点いていない。窓の奥にだけ、テレビの青白い光が瞬いている。私は呼吸を整え、ノックをした。


コンコンコンコン。


しばらくして、扉が開いた。中年の女性が立っている。

戦場をいくつも越えたような顔だった。私を一瞥すると、はっとした表情を見せた。

取り繕うように、彼女は一度だけ外を確かめ、扉を閉めようとした。


「どうか」と私は言いかけた。


「帰っておくれ」


女性は、それだけ言った。


懇願したつもりだった。だが、女性はまるで風でも通ったかのように興味を示さない。

彼女は開けた扉もそのままに、テレビの前に戻って行った。


「……失礼します」


私は一歩、敷居の内側へ足を運んだ。


この家に張り詰めた空気を、私は知っていた。


居間ではテレビが流れている。音量は小さい。ニュースキャスターが遠い国のテロリズムを、平坦な声で読み上げていた。

女性はソファに座り、画面を見ているわけでもなく、ただそこにいた。テーブルの上には、開かれたままのアルバムがある。ページの中央に、若い兵士の写真が貼られていた。


私は女性の側に立った。


「陸軍長官を代表して」


「誠に残念ですが」


「ご子息は——」


言葉は届かなかった。女性は湯を沸かし、湯呑みに茶を注いだ。湯気がゆっくりと立ち上る。彼女はその一つを、自分の席にだけ置いた。


「今夜は、風がうるさいわね」


女性は小さく呟いた。独り言のように。

私の言葉を、どこ吹く風と聞き流してゆく。


ただただ、立っている。


夜は長かった。


茶の湯気だけが、私の輪郭を揺らした。


女性は時折アルバムを閉じ、また開き、台所へ立ち、窓の外を見た。私はそのすべてに付き添った。一兵士の死を伝える者として、遺族のそばに留まる。それだけだった。


時計が三度、時刻を告げた。


やがて夜明けが近づき、空が薄く白み始めた頃、玄関のチャイムが鳴った。


女性が立ち上がる。私は彼女の後ろに並んだ。


扉の向こうには、軍服を着た二人の男が立っていた。整えられた襟、磨かれた靴、そして静かな表情。彼らの一人が帽子を外し、名乗った。


女性の肩が震えた。


言葉は聞こえなかった。だが、女性はゆっくりと崩れ落ちるように膝を折り、声を失ったまま泣いた。もう一人の男がそっと支える。旗で覆われた静かな箱が、車から降ろされるのが見えた。


私は彼女の背に寄り添っていた。


「最期に、会えてよかった。母さん」


私の死亡通告が、完了した。


亡骸エア・ボーンが、届いた。

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― 新着の感想 ―
 手放しで歓迎する気になれないけれど、かといって投石や暴言までぶつけてまで追い払うべきか疑問な者などによるお話、色々考えさせられました。
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