第5話 笑顔の街にて
夜になっても、潮見の街は穏やかだった。
昼間の賑わいの名残がまだ路地に漂い、
パン屋の前には空になった籠が並んでいる。
ユウマはノエルの家の窓辺に座り、
遠くに光る海を眺めていた。
月明かりが波に映って、まるで金の糸が揺れているようだった。
「ねえ、ユウマおにいちゃん」
「ん?」
「今日ね、神様がとっても喜んでたよ」
「そりゃ、祭りだしな。みんな楽しそうだった」
「ううん。そうじゃないの。
神様は、“泣く人がいなくなった”って言ってたの」
ノエルは微笑みながら、両手で小さなぬいぐるみを抱いた。
その声は穏やかで、どこまでも澄んでいる。
「……それって、どういう意味だ?」
「悲しい人や、苦しい人はね、もういないの。
神様が連れていったから。だから、もう誰も泣かないの」
ユウマは言葉を失った。
昼間、通りで見かけた花売りの老婦人の姿を思い出す。
祭りの途中、彼女の屋台は片付けられたまま、
夕方には跡形もなく消えていた。
「ノエル、それって――」
「ねえ、ユウマおにいちゃん」
彼女が遮るように言った。
「やさしい世界って、きれいだよね」
その笑顔は、昼間よりもずっと静かだった。
ユウマは息を呑む。
その顔の奥に、まるで“人形のような均整”を見た気がした。
外から風が吹き込んで、部屋の灯りが揺れた。
遠くで鐘がひとつ鳴る。
昼のように八つではなく、たった一度だけ。
その音は、祈りの終わりのように静かだった。
ノエルは窓の外を見つめ、
「明日もいい日になるよ」と言った。
ユウマはうなずき、
その声が自分の中で何かを崩すように響いた。
夜が深まり、潮風が冷たくなる。
笑顔の街で、世界は確かに変わり始めていた。
第1章、これでひと区切りです。
読んでくださって本当にありがとうございます。
穏やかな空気の中に、少しずつ見えてきた“何かの歪み”。
第2章からは、その正体が静かに姿を現します。
また次回、朝の光の中でお会いしましょう。
――凪雨カイ




