第4話 潮見の祭と小さな願い
朝、潮の香りを運ぶ風が街を包んでいた。
今日は「潮見の祭」――神に感謝を捧げ、悲しみを海へ流す日。
石畳の通りには花びらが敷き詰められ、屋台からは甘い蜜とパンの匂いが漂っていた。
鐘が三度鳴るたびに、人々が手を合わせて空を仰ぐ。
ノエルはいつもより少しきれいな服を着て、白い布を両手に抱えていた。
「ユウマおにいちゃん、お願いごとしたい?」
「お願いごと?」
「うん。“光の門”っていうのが海の向こうにあるの。
そこに祈りを流すと、神様が悲しいことをぜんぶ消してくれるんだって」
彼女は恥ずかしそうに笑って、胸の前で手を組んだ。
その姿は、この世界のやさしさを象徴しているようだった。
ユウマはなんとなく頷きながら、周囲の人々を見渡した。
誰もが穏やかで、誰も怒鳴らない。
それが少しだけ、怖かった。
「おにいちゃんは、何をお願いするの?」
「……そうだな。誰も、泣かない世界になればいいな」
ノエルは驚いたように目を丸くして、それから嬉しそうに頷いた。
「同じだね。わたしもそうお願いするの」
二人は街を抜けて丘の上へ向かった。
そこには海を見渡す白い神殿があり、
青い花とパンが祭壇に並べられている。
神官たちは白い衣をまとい、歌のような祈りを唱えていた。
ノエルは祭壇の前で静かに膝をつき、
手の中の花びらをそっと放った。
それが潮風に乗って海へ流れていく。
「ねえ、ユウマおにいちゃん」
「ん?」
「神様ね、やさしいけど、ちょっとだけ怖いの。
でもね、“泣く人”を連れていくのは、悲しいからなんだって」
ユウマは返す言葉を見つけられなかった。
遠くで鐘が鳴る。
ひとつ、ふたつ、みっつ……。
七つ鳴るはずの鐘が、八つ目で止まった。
風が一瞬、逆向きに吹いた気がした。
ノエルはその音に微笑み、
「ほら、神様が喜んでる」と言った。
ユウマは空を見上げた。
雲の切れ間から、淡い光が降り注いでいる。
それはたしかに美しく――けれど、どこか冷たかった。
祭の情景を、潮と光で描きました。
この世界が“やさしさで満ちている”ほどに、どこか違和感が濃くなっていく。
次回は第1章の締め。
静かな夜、笑顔の街でひとつの変化が起こります。
――凪雨カイ




