葉っぱのこえ パリィ
夜があけるころ、まよい森は、すこしずつ光をとりもどしていました。
木々の葉のうえに、朝露がきらめき、ヒューが吹き抜けた風の道が、まだ空気の中にのこっています。
葉っぱたちは、その風のあとを追うように、ゆらゆらと揺れていました。
ひゅう、と風が通るたび、木々が「さわさわ」とこたえるように鳴ります。
その音は、はじめ、ただの風の音でした。
けれど、ミルの“しゃらん”と、ヒューの“ひゅう”がまざりあううちに、森の奥の一本の木が、静かにざわめきはじめました。
朝の光のしずくが枝先に宿るころ、その木の葉の一枚が、ほのかに光りました。
「……きこえる?」
それは、葉っぱのこすれるような、かすかな声。
だれにも届かないほど小さくて、けれど、たしかに“ことば”の形をしていました。
その声のすぐそばで、ひとひらの影がふわりと動きました。
それは、まるで葉っぱから生まれたような、みどり色の小さなおばけ。
体の中には、透きとおる葉脈が流れていて、光があたるたびに、その影が森の地面にやさしく映ります。
おばけは目をぱちぱちと開けて、森の音に耳をすませました。
「ぼく……きこえる。みんなの声が」
おばけは、まわりの木々を見あげました。
枝の先の葉っぱたちが、ざわざわと鳴いています。
でもそれは、ただの風の音ではありませんでした。
「きょうは あたたかいね」
「ミルの霧、きれいだったね」
「ヒューの風、くすぐったいよ」
葉っぱたちの声が重なりあい、森じゅうにあふれていました。
おばけは胸の中がぽっと明るくなるのを感じました。
「そうか……これが“声”なんだ」
葉っぱの音が「ぱりぱり」と鳴る。
だから、自分の名前はパリィ。
パリィは、自分の名をそっとつぶやいてみました。
すると、近くの木がうれしそうに枝をゆらしてくれました。
「いい名前ね、パリィ」
パリィは笑いました。
笑うと、葉っぱがこすれて、また音が生まれます。
その日、パリィは森じゅうの葉っぱと話をしました。
高い木の葉とも、低い草の葉とも。
大きな影を落とすシダや、まだ芽吹いたばかりの若葉たちとも。
どの声もすこしずつ違っていて、それぞれが森の一部として生きていました。
「こんにちは」
「おはよう」
「風、まだかな」
葉っぱたちはいつも話していたけれど、それを“聞ける”のはパリィだけでした。
昼すぎ、そよ風がすこし強くなりました。
ひゅう、と耳なじみの音が聞こえます。
「ねえ、ぼくの風の音、聞こえた?」
ふと、木々のあいだから、風のおばけのヒューが姿をあらわしました。
透明な髪が光にゆれて、空気がやわらかく波打ちます。
「うん。葉っぱたちが、みんなあなたのことを話してた」
パリィが答えると、ヒューは少し照れたように風を巻きました。
「ぼく、ただ吹いてるだけなのに」
「それでいいの。あなたが通ると、みんな声を出したくなるんだよ」
そう言って、パリィはヒューのまわりをくるくるまわりました。
ヒューの風が葉っぱをゆらし、パリィの声が森を満たしました。
しゃらん、ひゅう、さわさわ、ぱりぱり。
それは、森の中に生まれたはじめての“音楽”でした。
夕方、空がオレンジ色に染まるころ、森はゆっくりとしずけさを取りもどしました。
パリィは大きな木の根もとに座って、葉っぱたちの声をひとつずつ聞きながら、そっと目をとじました。
風の音。
枝のきしむ音。
遠くで流れる水の音。
どれもが、森の心臓の鼓動のように響いていました。
「……みんな、ちゃんと生きてるんだね」
パリィの言葉は、夜の中にやさしく消えていきました。
そのとき。
森の奥、苔むした石の上に、
一粒の水のしずくが光っていました。
それは昼のあいだに葉の上にたまっていた露で、いま、月の光を受けてかすかにゆらめいています。
パリィの言葉が風にのって、そのしずくに届いたとき、ぽとん、と音をたてて落ちました。
しずくの中で、小さな光がはじけます。
まるで泣いているように、静かに、やさしく。
次に目を覚ますのは、森の水辺に生まれる、泣き虫なおばけ。
その名は、ポタリ。
まよい森はまた、ひとつの声を生みだそうとしていました。




