年賀状
2024年、11月某日――。
「ねえ、あなた。そろそろ“年賀状じまい”っていうの?しようと思ってて。」
年末も近付きつつある、とある日。妻の実香がそんな事を言い出した。
「ほら、値上げしたじゃない?ハガキ。いくらだっけ……。とにかく、最近何でも高いんだもの、年賀状代だってバカにならないのよ!だからこの際やめちゃいましょうよ、ねっ⁇」
俺は少々ムッとする。お伺いを立てる振りしながら、端から反対させるつもりなんて無いじゃないか。
「……考えとくよ。」
彼女の言いたい事も、分かるのだ。ここのところの物価高に辟易しているのは、俺だって同じ。だが決め打ちで「やめないか?」と言われたら、腹が立つ。
どうにも納得の行かなかった俺は、読んでいた新聞を閉じてテーブルへ置くと、席を立った。
「ホントに、考えておいてよー??」
――俺、大島武と年賀状の『付き合い』は、小学生の頃まで遡る。
あれは確か二、三年生の時だ。当時の担任教諭がこう言った。
「クラスのみんなに年賀状を出しましょう。これが宿題です!」
冬休みの直前の事である。年始までは幾日も無く、今更言われても困る。――と、普通は嫌がるところだろう。
しかし、バカ真面目でアホだった俺は、担任のその言葉に素直に従った。それどころか、燃えたのだ。元々凝り性で、図画工作の好きな子供だった。
そして「クラスのみんな」を「クラス全員」と解釈し、年賀状とはそういう風に出すものなのだと思い込んだ。
その年から、年末の俺は大量の年賀状制作に追われる事となる。
当時はパソコンなんて無く、印刷屋に頼むか、まっさらな年賀状に手書きをするかのほぼ二択だったと思う。プリントゴッコ……?なんてのも、あったなァ……。懐かしい。
俺の場合は、当然手書きだ。しかも毎年内容を変え、凝ったものを企画する事を己に課した。
ある時は間違い探し、ある時は炙り出し……クロスワードパズルなんかを自作した事もある。凝っているため制作には時間が掛かり、朝から晩まで書き続けなければ追い付かなかった。
年末の俺は、まるで人気漫画家の締め切り前かのようだったと思う。
何せ最初の年は一クラス分、四十五枚もの年賀状を抱え、翌年にはそれがおよそ二倍となった。クラス替えにより、顔触れが変わったからだ。
バカ真面目がゆえに前年の担任の言葉を忘れず、アホ過ぎる事に「今年のクラスメイトだけでいいじゃないか」という考えには至らなかったのである。
結果、年を追うごとにその枚数は増えて行く。本当に、バカだった。
しかしそれをやり終えると、ようやく一年が終わった気がするというか……ある種の爽快感を得たものである。
そんな中、疎遠となった者からの年賀状は、段々と返って来なくなった。住所を書く時は前回届いたものを参考にしていたため、相手からフェードアウトされるとそれ切りになり、いつしかその枚数は落ち着いた。
平均六、七十枚くらいだろうか……。小学生としては、まあまあ頭のおかしな数である。それを俺は、数年続けた。
そうやって中学に上がった時の事――。
「――…えっ?お前、毎年クラスの全員に年賀状出してんの?女子にも⁇……スッゲーなぁ……」
……普通は、ク ラ ス の 全 員 に 年 賀 状 は 出 さ な い。
俺は天地がひっくり返るほどの、衝撃を受けた。そしてその年から、全員に出す事はやめたのである。これまで返してくれた人だけに書く、と方針を変えたのだ。
折しも部活動などが始まって、凝ったものを書いている暇も無くなった。
年賀状の内容は年々簡素になり、出す相手も一人また一人と減って行く。やがて大学生になった頃には、十枚書くか書かないかというところにまで減少した。
そうして、齢50となった現在は――…。
メール等の発達もあり、片手で数えられるほどの数が生き残っている状態だ。みな長年送り合う間柄で、強固な律義さを備えた精鋭たちである。
彼らとは普段、特に親しくしているわけではない。生存確認をするように、これだけで繋がっている関係だった。
だからこそ、簡単に「年賀状じまい」だなんて、言って欲しくはなかったのだ。
「……たったの五枚前後くらい、いいじゃねぇかよ……」
俺は一人、ぶつくさと呟く。
それからまた年の瀬がやって来て、今年もいつもの面々に、いつも通りの年賀状を出した。
2025年、元日――。
「……あれ⁇」
俺は異変に気が付いた。送った年賀状より、届いた枚数が一枚足りない。後日届く可能性もあるが、来ていなかったのは本当に律儀な奴で、必ず元日に届くように出すという几帳面な男だったのだ。
「ホラ。年賀状じまいよ!」
したり顔で、実香が言う。それには腹が立ったが、こればかりは仕方がない。
誰にも、やめた事を責める権利など無いのだ。書くも書かないも、個人の自由。
また一人、戦友が離脱した。
……ああ……、寂しいなぁ。
この日、俺は自宅で妻とおせちや雑煮などを食べて過ごし、翌日はそれぞれ別に実家へと帰省したのだった。
「――そうだ!武、あんた、“山本君”て知ってるでしょ⁇」
実家のこたつでぼんやりテレビを見ていると、向かいに座る母が思い出したように口を開く。その手で割ったみかんから、強烈な柑橘の匂いを放ちながら。
“山本”……。
知ってるも何も、昨日年賀状が届かなくてがっかりしたのが、その山本なのだ。小学生の頃からずっと年賀状を返してくれた、最も律儀なやつである。
……ヤマモト違いでなければ、だが……。
「母一人子一人でさァ。体の悪いお母さんを若い頃から世話してた、山本君よ!」
「あ……ああ、分かってるよ。で?その山本が、どうしたって⁇」
「亡くなったんだって、お母さん!年末にね。」
俺は衝撃を受けると共に、己のおめでたさを悔やみ、その愚かさを呪った。
山本は、年賀状じまいをしたのではない。そんなものを書いている余裕が、無かったのだ。
「あんたの歳じゃ、親が死ぬって事もそう珍しくはないけども……。長い事頑張ったわよ、二人とも。ねェ?特に山本君なんて、ずうっと一人で介護してサ……」
母はその後も、「偉いわあ」だの「可哀想に」だのと、みかんを頬張りながら喋り続けている。所詮、他人の感想なんて、そんなものなのだろう。
――…あいつのお袋さんは、山本が大学を出た頃に体を壊したと聞いた。
就職してすぐ、やつは慣れない仕事と介護を両立させなければいけなくなったらしい。家と会社の往復で、遊ぶ事も出来なかったはずだ。
そうしてこの歳まで独り身のまま、山本はその面倒を見続けて来た。
そんなお袋さんが亡くなったのは、12月の初めだそうだ。
それから一人で葬儀をし、各種手続きを行い――。ただでさえ忙しい年の瀬に、年賀状の事までは気が回らなかったに違いない。
……にも拘らず。何も知らない俺は、『寂しい』などと吞気な事を…………。
「――…ごめんなあ、山本……」
そう呟いた声が、天にでも届いただろうか。2月に入ってすぐの頃だった。数十年振りに、その山本から連絡が来たのである。
――「今度会って話せないか」、と――。
「あっ。おおーい、山本!!」
俺は年甲斐もなく、大声で呼びながら思い切り手を振った。仕事の都合とはいえ、少々遅れてしまったのが面目ない。
「大島。久し振り。呼び出したのがこんな所で、悪かったな。」
「いいって、いいって。俺も、遅くなっちゃって悪い。」
ここは、小学生の頃によく遊んでいた公園だ。……と言っても、俺たちが一緒に遊んだ記憶はほとんど無い。つるんでいる仲間が違ったのだ。それでも今まで年賀状のやり取りが続いたのだから、不思議な縁である。
それはともかく、俺たちはそこにあるベンチに並んで座った。
「……いやー、ホントに久し振りだよなあ!直接会うのはさ。いつ以来だっけ⁇」
何となく、必要以上に明るく俺は言う。
「うーん……。確か……成人式の時、会ったんじゃなかったかな。」
「じゃあ30年か!お互い、年取ったよなあ‼」
ハハハと笑いながら、俺は「ん」と遅れた詫びの缶コーヒーを手渡す。山本は軽く頭を下げ、それを受け取った。
一連の会話が終わると、お互い無言になる。何だか気まずい……。
とりあえず俺はコーヒーの缶を開け、立ち昇る湯気の中、口を付けた。
……それにしても。
急に連絡を寄越して来て、「会って話がしたい」とは何だろう……?
この30年……いや、俺たちは今まで、一度も年賀状以外で連絡を取った事が無い。今回だって、わざわざうちの母親に電話番号を聞いたらしいのだ。
そうやって、暫し続く沈黙に居心地の悪さを感じていた頃、ついに山本が口火を切った。
「――…知ってるだろうと思うんだが……。うちのお袋、亡くなってさ。」
「あ……。ああ、うん。……この度は、お悔やみ申し上げます。」
「はは……うん。」
やつは、前を向いたままで弱く笑う。
「年賀状、ありがとうな。年末は忙しくて……喪中のハガキの存在も、すっかり忘れてたよ。」
「しょうがないって、気にするなよ。色々、大変だったんだろ??」
「……ああ。まあな……。」
当たり前の事だが、山本は元気が無かった。――…こんな時、どう声を掛けたらいい?
この歳まで生きては来たが、その正解が未だに分からない。いや、これに正解があると思う事の方が、不遜なのだろう。分かったような空虚な言葉が、一番残酷だ。
山本の悲しみも苦労も、山本にしか分からない事なのだから……。
「何かさ。人って、死んだ後も色々と面倒なんだなって、思ったよ。」
「……そう、だよな……。何となく、そうなんだろうなと思う。」
「息を引き取ってすぐから、葬儀屋とか行って、色々やらなきゃいけないんだよ。葬式は簡単なものにしたけど、大変だった。ほら俺、独りもんだからさ。全部自分だけでやんないといけなくて。悲しんでる暇とか、全然無いんだよ。驚いたね。」
時に乾いた笑いを挟みつつ、山本は訥々と語り出す。元々、話す事が得意なやつでは無かったと記憶している。それでも、どうしても話したかったのだろう。
……それがなぜ俺なのか、は分からないが……。
「介護の関係で、色んな所にも世話になっててさ。その整理とかもしたりして。他にも、何度も役所に通ったりしたなあ……。」
「うん、うん。」
俺は、相槌を打つ事しか出来なかった。
「そういうのが一段落した頃には、気付けば大晦日だったよ。……いつもなら……正月の準備とか、してあるんだけどさ……。ほら、今年は出来ないから。」
「喪中、だもんな。」
「そう。」
ははは、と、やつはまた笑った。
「――…一人になった家で、年越し蕎麦食いながら、ボーッと紅白見てさ。あんなゆっくり見たのは、それこそ何十年振りだろうなあ……。歌手とか、…はは。全然分かんなかった。」
「はは、だよなあ。誰が何だか、俺ももう分かんないよ。」
話を合わせながらも、俺は心の中で、妻がいるという事に申し訳なさを感じてしまう。だが、その事に気付かれてはいけないと、直感的に思った。
「それが終わったら、寝て。」
「あれ?カウントダウンまで、起きてないの⁇俺は結構、大晦日は夜更かししちゃうけどなあ。」
山本は、口元に寂し気な笑みを浮かべたまま、ふるふると首を振った。
「……朝、起きるとさ。また新しい一年が始まってるんだよ。何事も無かったように。」
「……。」
俺は相槌もなく、ただ耳を傾ける。
「で、新聞取りに外、出るだろ?そうするとさ、朝日が見えるんだよ。……って言っても、遅く起きたから初日の出じゃないけどな。天気良かったろ、今年。」
「……ああ、そうだったな。」
「綺麗でさあ……。それを見てたら、なんか、俺――…」
そう言った山本は、どこか遠くを見詰めていた。――吹っ切れたような、表情で。
「あ、もういいや、って。全部終わりにしようって、思ったんだよな。」
俺の心臓がドクンと大きく脈打って、痛みもなく握り潰されたような感覚がした。
「……エッ、エッ!?」
動転しながら、やつの方へ体ごと向く。今の言葉が、途轍もなく不穏に聞こえたのだ。
「い、いいやって、終わりって、何が??」
声が上ずる。山本は、俺の方を見ない。
「俺の人生が、だよ。」
……嘘だろ。こういう類いの嫌な予感ってのは、大抵勘違いだと、相場が決まってるじゃないか。……なのに、はっきり言うのかよ……
「……お袋も、もう、いないしな。嫁とか子供とか……そういうのがいれば、頑張りもするんだろうけど。はは。俺の歳じゃ、もう無いから。」
「――そんな、こと…」
ない、なんて言えるか?こいつは、自分の事がよく見えている。それを浅い同情心で慰めたところで、何になる。俺は、そういう無神経な奴が嫌いだ。
「会社でも、付き合いとかは遠慮させて貰ってたから、特別仲の良い同僚とかもいないしさ。……俺がいなくても仕事は回るし。もう、誰も困らないんだよ。俺の役割は、終わったんだ。」
「俺はさ、山本。お前にいなくなって欲しくないよ……!」
とっさにそう口にする。けど、何だよそれ。小学生か。大人らしい、もっとマシな事は言えんのか??俺は。――だが、本心だからしょうがない。
その言葉に、山本は返事をしなかった。
「――…そんな事を考えててもさ、人ってのは可笑しいもんで。腹は減るんだよ。で、とりあえず買っといた餅を焼いて、雑煮だけ作って、食って……。今度は正月番組をボーっと見てるわけだ。……そうしたら、ふと思い出してさ。あ、年賀状来てるかも……って。」
新聞と共に郵便受けから取り出していた年賀状を、山本は手に取る。そして、おもむろに向けた一枚目の表には――…
俺の名前が、手書きで書かれていたそうだ。
あれには確か、『今度飲もう』みたいな、口だけの社交辞令しか書いていなかったと思う。俺はそれを心底悔やんだ。
……どうしてもっと、気の利いた事を書かなかったのだろうか。小学生の頃の情熱を、俺はなぜ忘れてしまったんだ??
あんなに熱心に書き続けていたのに、今何の役にも立ってないじゃないか……!!
「裏にはさ、“50になったし、今度飲みに行こう”って。一言。」
やっぱりか。俺は、ガキの頃から何も変わっていない。バカのままだ。
「……何て事ない、短い文なんだけど……何でか、胸が詰まったんだ……。」
「――…えっ??」
俺は驚いて、山本を見る。薄暗くてよく見えないが……やつの目には、薄っすらと光るものがあるようだった。
「ほらお前、子供の頃には、毎年凝った年賀状送って来てただろ。あれ、思い出した。」
「あ……ああ、うん……」
……あの時と違って、今のはテキトーに書いた、走り書きみたいなもんだぞ??
心の中で、俺はそう思った。
「……やっぱ、いいよな。直筆の文字ってさ。それの向こうに、人がいる感じ。」
山本の声と、膝の上に置いた握り拳が、小刻みに震えている。
「…………書いてくれてる間くらいは、俺が存在している事を、認められてる気がして……なんか泣けて来てさぁ……」
そう言って、やつはボロボロと涙をこぼす。
すでに暗い時間で、憚られるような人目はもう無い。俺はそのまま横にいた。
……慰め方も、やっぱり分からない。しかも相手は、大の男だ。よしよしとしてやるわけにも、行かないし……。
そんな事より、思う存分泣かせてやった方がいいだろうと、俺は思ったのだ。
「――…っ、ごめんなあ、急に……」
鼻をすすりながら、やつは言う。
「いーよ、気にすんな。こういうのは、ホラ……溜めると良くないって言うし。」
山本は黙ってこくりと頷いた。
――2月の、冷たい風が吹いている。
吐き出す息を、街灯が白く照らし出す。そして規則正しく浮かび上がらせるのを、俺はただぼんやりと眺めていた。
「…それでな!」
突然、山本がこれまでで一番大きな声を出す。俺はびっくりして、再びやつの方を見た。
「まだ、こういうものをくれるやつがいるんなら――。もう少しだけ、頑張ってみるのも悪くないかって。……そう、思ったんだよ!」
山本がこっちを向いて、ニッと笑っている。……なんだよ、50のくせに、鼻なんか垂らしやがって……
やつもそれに気付いたのか、一度ティッシュで拭う。
それから、改めて口を開いた。
「今日はさ。どうしても、直接礼が言いたかったんだ。まあ、大島にとっちゃ、迷惑な話だったかもしれないけどな。たまにはいいだろ?」
俺はベンチの背もたれに体重を掛け、腕を組んだ。それからフ――…っと、長い息を吐き出す。
「……30年振りだからなァ。許す!」
次の瞬間、どちらともなく吹き出し、笑い合った。
……鼻の奥がツンとする。その時、今度は俺の方が泣きそうになったというのは、内緒の話だ。
それからもう少しだけ話をして、俺たちは別れた。
ただ、これで終わりではない。別れ際に連絡先を交換し、社交辞令ではない『飲みに行く約束』をしたのだ。具体的にいついつ、と。
やつとは近い内に、また会うだろう。
そうして俺は、妻の待つ我が家へと帰り着いたのだった。
「――なあ、実香。俺、年賀状やめないよ。自分の小遣いから出すから、それでいいだろ?」
実香は怪訝な顔をする。……今、2月だぞ?と……。何で今、その話……??
しかし、俺の小遣いでハガキを買うなら好きにしろとのお達しだ。もちろん、そうさせて貰う。
――…やがて、2025年も年の瀬が近付いて来た。
さて。今年は久し振りに、凝った年賀状でも作るとするか。




