#003 Intermezzo
東京都・32歳男性「居候二人の仲が絶望的に悪くて苦労が絶えません。自分的には戯れあってるだけのように見えるのですが、ソレを言うとまた煩いので最近は我慢しています。仲良くさせる方法って存在しますかね?」
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良縁屋の2階は居住スペースとなっており、ユニットバスと横並びの居室が2部屋の間取りになっている。
家主である祐介の4畳部屋、そしてもう一つの8畳部屋を居候2人が奪い合いながら使用していた。
「もうヤダ!絶対に出て行ってやる!それかアンタが出ていけ!」
わんわん喚き散らかすシェリーの声に、何事かと祐介が駆け付けた。睨み合っている2人の間に割って入ると、今にも殴り掛かりそうな勢いの彼女を宥める。
「どうしたの、こんな時間に?」
時刻は午後10時を回っていた。この時間に京哉が部屋にいるのは珍しい。普段は黒電話からの指令で仕事に出ているからだ。
フーフーと獣のように息を荒げるシェリーは、外方を向いて唇を尖らせている京哉の方を睨み付けていた。そして、ビシッと指を差しながら怒鳴り散らす。
「だってコイツが!……アタシが風呂使ってんのに入ってきて!」
「ユニットバスだから仕方ねーじゃん。歯磨きたかったし」
もう何度目かという内容の喧嘩に、祐介は苦笑いを浮かべた。
3日前は確か、朝遅めの時間に帰宅した京哉が返り血を洗い流したくて入浴していた所、彼が鍵を閉めなかったばかりに顔を洗いに来たシェリーとばったり遭遇して言い争いになっていた。
「被害妄想しすぎなんじゃねーの?見てねーよお前の裸なんて」
「絶対見てた!今朝だってアタシが着替えてる時にノックもしないでドア開けてきたじゃん!」
ガルガルと野犬のように唸っているシェリーが飛び掛からないように間に入るも、過熱した言い合いになると予想した祐介は、全く悪びれる様子の無い京哉の腕を掴んで引きずっていく。
ひとまず退室させると、不満げな表情をしている横顔に説教することにした。
「京ちゃんデリカシー無さすぎ…シェリーちゃんは年頃の女の子なんだから…」
「えー、祐ちゃんまでシェリーの味方?」
「味方とかじゃなくて……この際、一度部屋わける?そうすれば喧嘩も減るよね?」
祐介の提案を聞いて、京哉は唇を更に尖らせ不満げな態度を表に出していた。とても21歳とは思えない大人げ無い彼の態度に、祐介は何度心の中で親の顔が見てみたいと思ったかわからない。
「俺の部屋でもギリギリ布団2枚敷けるからさ」
「ん?もしかして僕がそっちに移動すんの?」
夜勤が多い為、就寝時間は入れ違いになる。それなら問題ないのでは?と説明すると、文句を垂れながらも渋々首を縦に振った京哉。
嬉しそうに部屋の真ん中に布団を敷いて潜り込んだシェリーのしたり顔を睨み付け、京哉は布団一式を持って隣の部屋に入った。
居室と言っても超ミニマリストの祐介の部屋には必要最低限の物しか無い。それらを何とか隅に寄せて、敷布団をグイグイと押し込む。
「せまっ…」
「京ちゃんがシェリーちゃんと仲良くできないのが悪いんだからね。戒めだと思って」
まるで、幼稚園で喧嘩した幼児に言い聞かせるような内容である。不満そうに頬を膨らませながら布団に潜った京哉に、おやすみーと、声を掛けて祐介は部屋の明かりを消した。
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眠れない様子で何度も寝返りを繰り返している京哉の背中に、そういえば…と祐介が話し掛ける。
「なに?」
「今日は珍しいね。仕事の依頼無かったんだ」
その話か、とつまらなそうに息を吐いた京哉は、祐介の方に身体を向けた。
「僕以外にも都内には何人か旋律師が潜んでんだよ。依頼の内容に合わせて本部が人選してる感じ」
京哉の話によると、依頼自体毎日振られるのは珍しいらしく、彼は重宝されている人材だという。重宝と言うよりは、コキ使われているのだろう。
「楽団って別に何でも屋さんって訳じゃないよね?受けない依頼とかもあったりする?」
「あー…僕達にメリットの無い事はやらないかも。基本はね」
メリットという言葉に引っ掛かりを感じた祐介。
白い燕尾服を返り血で染めて帰る事の多い彼への依頼の多くは人を殺める事。楽団が活動する上で邪魔な者達を消させているのか、ソレ自体が彼等の目的なのか…。
「もしかしなくても…楽団ってヤバい秘密結社だったりする?」
神妙な面持ちでそんな事を聞いてくる祐介に、京哉はゲラゲラと笑いながら返した。
「逆にヤバくないと思った?」
「京ちゃんが精神的におかしいっていう意味でのヤバさなら痛感してるけど」
何それ…と傷付いたような表情を見せる京哉は、今度は彼に背中を向けながら続ける。
「探してんだよなー…楽譜を」
「楽譜?」
紙で出来たごく一般的な楽譜の様相を思い浮かべる祐介だったが、恐らく彼が言っているものとは違うのだろうと予想する。
「言えるのはここまでだな。あんまり知り過ぎんなよー祐ちゃん」
そう告げると、直後には静かに寝息を立て始める背中に、祐介は目を見開く。ヒトはこんな瞬間的に眠れるものなのだろうか、と。
結局、核心に迫るような事は聞けなかったが、知ってはならない事が多いという事はわかった。
しかし彼が毎夜、血塗れで帰らなければならない程の理由があるのなら、活動を支えている身としてはいつか話して欲しいと思うのであった。
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オーストリア共和国の首都ウィーン、リング通りの一角に楽団の本部がある。表向きは貿易関係の一般企業として社屋を構えており、末端の従業員や請負業務で契約している者の中には、自分が所属する会社の正体を知らずに働いているものも多い。
ハンネス機関が世界のエネルギー供給源の中心へと成り代わった翌年、正式な法人としての形態を成すようになった特殊な音楽家集団である。
世界40ヶ国に旋律師を派遣しており、依頼人と楽団の間では莫大な資金が動いている。
社長室に通されたのは、黒髪マッシュルームカットの小太りな男。ウッド・モーガンは社長秘書を務めており、この日もとある旋律師から送られてきた問題の品を小脇に抱えていた。
「社長、例の…」
「おお、そうか…!」
デスクの上で走らせていたペンを止め、勢い良く立ち上がったのはハロルド・ロジャー…楽団の創設者であり、現代表取締役社長である男。
ロジャーはモーガンから手渡された小包の外装を剥がすと、梱包材でぐるぐる巻きにされている本体を手に取った。丁寧にそれらを剥ぎ取り、細やかなバロック装飾が施されたハードカバーの本を取り出す。
「故日本国外務大臣、岡島貴一郎が所持していた楽譜です。日本で任務をしていた旋律師が手に入れたようです」
ハードカバーの表面を手でなぞったロジャーは、にこやかに笑いながら表紙を捲った。そして、踊るような筆跡で音符の羅列を確認すると彼はこくりと頭を縦に振る。
「当たりだな。間違いなくタクトの筆跡だ」
安堵の表情を浮かべながらパラパラとページを捲るロジャーの横顔に、モーガンは神妙な面持ちで告げた。
「その楽譜を渡されていた旋律師ですが、まだマエストロのレッスン途中でして……完奏できていないまま惨殺されたようです」
「トランペッターの女の子だったな…可哀想に……」
「しかし、見てください…こちら…」
モーガンが楽譜の裏表紙を見るように促すと、そこには『XVII』という焼印が施されていた。
「17番目の災厄が解放されている…一体誰が?」
「わかりません…死んだ岡島貴一郎に関係する誰かが楽譜を何らかの理由で手に入れ、演奏し終えたとしか…」
パタンと楽譜を閉じたロジャーは、デスクに戻って書類の山の中から一冊のバインダーを探り当てる。そこに収められていた手書きのメモを手に取ると、老眼鏡を掛けて内容を確認した。
「…第17楽章は……宇迦之御魂神…と書かれている。まぁ、毎度日本の神話に関しては私もサッパリだから、奴に直接聞くしかないんだがな……」
バインダーをデスクに置くと、ロジャーはその隣に据えられた固定電話機の受話器を持ち上げた。
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8畳の部屋には、2人分の荷物が詰められている。
ハンガーラックに白い燕尾服が数着、その下にジュラルミンのスーツケースが複数個転がっていて、3段のカラーボックスに楽譜がぎゅうぎゅう詰めにされているのは、もちろん京哉の荷物であった。
いつもシェリーが部屋に入ってくると、彼女のスペースにまで嫌がらせのように楽譜が散りばめられている。本当に嫌がらせなので、彼女は舌打ちをしながらいつもそれを束ねて彼のカラーボックスの中に戻していた。
一方で、もう半分にはあまり荷物が無い。この2年で服は多少増えたものの、彼女には自分の所有物と呼べるものが本当に少なかった。
こうして1人、部屋の真ん中に布団を敷いてみると、いかに京哉がスペースを占有しているのかが目に見えてしまって、またイライラが募る。
どうしてあの男は、こうも自分を怒らせたがるのだろうか。思えば、最初に出会った時から口が悪かった。性格が悪いのも承知の上だが、あまりにも大人げ無くてつい喧嘩腰で挑んでしまう。
いっそのこと、ここから出てしまえばあの顔を見なくて済むのに。そう考えたことも数え切れないほどあった。しかし、その度に必ず思い留まる。
「…恩人……ではあるんだよなぁ…」
布団の中でボソリと呟くシェリー。
あの日、藁科からの依頼を京哉が受けなければ、死んでいたかもしれない。
そして、彼女の心を救ったのは紛れもなく京哉であった。
ふと、布団をめくり上体を起こす。
普段、夜勤で夜はいない京哉の分も、布団を敷いてから寝るのが彼女の日課であった。朝方、静かに帰ってきて床につく彼を薄目で確認してから、二度寝をするのも、だ。
少しだけ広くなった部屋を見回すと、全く状況は違うのに囚われていた頃の事を思い出してしまう。
そこでやっと、自分は寂しいのが嫌なのだと自覚するのだ。
すくっと立ち上がったシェリーは、時計の秒針の音が響く自分の部屋を抜け出した。軋む廊下をなるべく足音を殺しながら進み、隣の部屋のドアノブを回す。
カーテンの切れ目から差し込む月明かりを頼りに慎重に前に進んでいくが、衣擦れの音が聞こえたと思った次の瞬間、足を払われて柔らかい布団の上に顔から突っ込んでしまった。
叫びたい気持ちを必死に抑えて目を開けると、グレーの瞳が彼女をじっと見つめている。布団越しに京哉に覆い被さるような形で転んでいたシェリーは慌てて立ちあがろうとするが、彼に手を引っ張られてその動きを制される。
京哉は薄い唇の前で人差し指を立て、それを隣で寝ている祐介の方に向ける。静かにしろ、という合図だ。
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仕方なく…本当に仕方なく、京哉と祐介の間に静かに寝転がったシェリー。ガルガルと犬のように小さく唸っている彼女の耳元に顔を近付けた京哉は、肩をチョンチョン叩いて此方を向かせる。
「なっ…」
至近距離で目が合い、茹で蛸のように顔を赤くするシェリーの様子に、京哉は声を押し殺しながら笑っていた。
馬鹿にされていると思ってムスッと顔を逸らした彼女は、再度肩を叩かれて眉間に皺を寄せながら目線だけ寄越した。
ゴ メ ン
そう唇が動いた気がして、思わず瞼をパチクリさせる。彼は最後にニコリと笑って寝返りを打つと、背中しか見えなくなってしまった。
祐介が前に言っていた事を思い出したシェリー。この男は人誑しなのだと。人の心を掻き乱すのが得意で、どうすれば相手をおとせるのかを熟知している。
結局、彼の手の上で踊らされているだけなのだと分かると、こちらが神経をすり減らしているのが馬鹿馬鹿しく思えてしまうのだ。
絶対に明日は何とか言い負かしてやる。そんな無謀な事を心に決めながら、シェリーはうとうとと次第に意識を手放していった。
「何これ…どういう状況?」
翌朝、寝相の悪い2人が自分の上に腕やら脚やらを乗せて爆睡している状態で目覚めた祐介は、もうどんなに喧嘩をしていても部屋は分けてやらないと心に誓ったのだという。
[3] Intermezzo 完