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MELODIST !!  作者: 六児
18/88

#018 Sonatine

東京都・23歳男性「最近一緒に仕事をするようになった子なんですけど、この前思い切って恋バナしてみたんです。でも何だか煮え切らない返事ばかりで疲れちゃって。でも、途中で気づいちゃったんです。彼、素人童…



…………………………………………………………………………………





 神奈川県足柄下郡湯河原町の緑豊かな山間部に京哉が幼少期を過ごした託斗の別荘があった。

 長年放置されていた古民家を買い取り、偽名を使って日本の業者に破損箇所の修繕を依頼していたようで、綺麗とまではいかないが住むには申し分のない状態に保たれていた。


 日系ドイツ人の母、シエナ・シルヴェスター・ミヤノ。彼女は京哉を連れて貨物機に密航し、韓国の仁川国際空港を経由して漁船へと乗り継ぎ、やっとの思いで日本への密入国を果たした。そして、横浜港からは現地を管轄とする自警団の助けを借りながら湯河原の地に辿り着いた。

 産まれたばかりの赤子を一人で連れて回るシエナを心配した近隣住民が声を掛けるも、彼女は託斗との約束を果たすために一人きりで京哉を育てる事に拘っていた。


 約束…それは、彼をフルーティストに育て上げる事。シエナはかつて[[rb:楽団 > ギルド]]に所属していたフルーティストだったが、訳あって除籍されている。彼女の持つ全ての技術を京哉に教え込むべく、誰の目にも付かない場所で彼を育てたかったのだ。

 しかし、産後の弱りきった身体に鞭を打って動き続けた為、彼女は病弱な体質になってしまっていた。

 布団を上げるのにも息を切らしてしまうシエナの姿に、京哉は日々彼女の身体を心配していた。そんな状況でもフルートを教え込む事には余念が無く、彼も母親の期待に応えるべく必死にレッスンを受けた。


 シエナの体調の悪さや不便な田舎での生活で時折大変な思いをしたが、それでも誰にも邪魔をされずに平和な日々を過ごしていた。




 そんな二人の生活が一変したのは、京哉が5歳になったその年の冬の事だった。


「お母さん!聴いててね!」

居間の掃除をしていたシエナの元に駆けてきた京哉は、彼女に習った曲を吹き始める。

「うわぁ〜、すっごいじゃ〜ん京ちゃん。昨日教えたばっかだよ〜?」

シエナは京哉の演奏技術が同年代の子供とは比べものにならない程上達している事に安堵し、ヘラヘラと笑った。

「おててが大きくなったらもっと色んな曲吹けるようになるね〜。かあちゃん楽しみだよぉ」

ふんわりとした雰囲気でいつも優しく褒めてくれる母親の事が、京哉は大好きだった。

 彼らの住まいは、特に山深い場所のすぐ側にあり普段人が近付くことはない。他の子供と遊ぶという事が全くなかった京哉にとってはフルートを吹く事は遊びでもあり、母親とずっと近くにいれる幸せな時間であった。

 朝起きてから夜寝るまで、彼は片時もフルートから離れる事はなかった。



…………………………………………………………………………………




 その日は特に寒い朝だった。まだ眠っている京哉を部屋に残して台所に向かったシエナは薪を補充していない事に気が付いた。勝手口から家の裏手に周ると、背後からガサガサと草木を揺らす音が聞こえた。

 クマかと思い緊張が走るが、裏の茂みから顔を出したのは一頭のシベリアンハスキー。拍子抜けしたシエナは大人しく座っているその犬の近くに歩み寄り、傍にしゃがみ込んで話し掛けた。

「どうしたのかなぁ?迷子かなぁ?」

首輪が目に入り、近くに飼い主がいるのかと立ち上がった瞬間、彼女の目の前には防寒着を纏った警官隊が姿を表した。


 完全に油断していた。

 こんな山深い場所に早朝から彼らがやって来るなんて、理由は一つだ。通報を受けての強制捜査。

 5年間、他の者とは関わらずに生きてきた事が仇となった。日本で身を隠して生きる事、それは音楽家である事を自ら証明しているようなもの。


「そこは登記上、まだ空き家のはずだが…」

警官隊は斜面を降りながらシエナの近くまでやってきた。取り囲まれてしまった彼女はなるべく冷静にと、呼吸を落ち着かせながら返す。

「家が火事で燃えてしまって、まとまったお金ができるまでこちらで住まわせてもらってるんです」

「ほう…それは前の住人の好意か?」

「……はい…」

苦し紛れの嘘で何とかその場を切り抜けようとしたシエナだったが、警官達は顔を見合わせてクスクスと笑っている。

「60年前に死んだ人間の考えがどうやったらわかるってんだよ!捕えろ!」

慌てて踵を返したシエナは掴み掛かろうとしてきた警官達を躱しながら屋内に飛び込んだ。気休めだと分かりながらも、時間稼ぎのために内鍵をかける。

 そして、足を滑らせながら廊下を駆けて京哉の寝ている部屋に向かう。どうにか彼だけは隠さなければならない。障子を開けて室内に飛び込むと、京哉は目覚めており譜面台の前に立ってメトロノームを触っていた。

「京ちゃん!早くこっちに…!」

彼女の方を振り返りながら、毎日続けている朝の基礎練習を始めた京哉。彼の腕を掴もうと手を伸ばすが、あと数センチというところでシエナは後方から引っ張られた。

 突然家の中に現れた大勢の大人達に驚いた京哉は、フルートを両手で抱き締めるように持ちながら後退した。そして、足元で頭を畳の床に押さえ付けられるシエナの姿を見て怯え始めた。

「タレコミ通りだな。こんな山奥に隠れてガキに仕込んでやがった。おい、お前はどこから来た?」

髪を鷲掴みにされて首を持ち上げられるシエナの苦しげな表情に、京哉は声を震わせながら叫んだ。

「お…お母さん……!」

シエナの方に駆け寄ろうとするが、警官の一人が彼の腕を掴んで床に放り投げる。宙に舞ったフルートがカラカラと音を立てながら畳の上を転がった。




…………………………………………………………………………………




「京ちゃんっ!」

泣きながら床に伏せる我が子の元に向かおうと、シエナは拘束されながらその身を乗り出した。しかし、複数の男の力によってねじ伏せられてそれは叶わない。

「何処から来たって聞いてんだよ!そのガキ目の前で嬲り殺すぞ!」

警官達が京哉を取り囲む様子を見て、シエナは涙を浮かべながら首を横に振る。

「やめて……その子に手を出さないで…何でも……します…」

ガックリと項垂れたシエナに、彼女の髪を掴んでいた警官は愉快そうに笑い始めた。

「じゃあまずその煩ェガキを黙らせろ!」

京哉の方に突き飛ばされたシエナは、畳に倒れ込みながら彼を抱き締めた。

「京ちゃん…怖かったね……もう大丈夫だよ」

京哉の頭を撫でるシエナには、どうすれば彼をこの場から逃す事ができるのかを必死に模索していた。しかし、考える程絶望的な状況に涙が溢れてくる。

「この集落は7年前に一度調査が入ってる。お前がこの家に住み着いたのは何年前だ?」

拾い上げたフルートを掌に当てながら距離を詰めてきた警官が問う。

「…5年前です」

「どこから移住してきた?」

一瞬答えに詰まったシエナだったが、腕の中で震える京哉の様子を見て下手な嘘をつくのを諦めた。

「……オーストリアです」

「密入国か…どっちみち犯罪者って訳だ。旦那はどこだ?」

「いません。この子の父親はわかりません」

「本当だな?」

何度も問い詰められるが、この質問には頑なに否定する。それも託斗との約束であった。[[rb:楽団 > ギルド]]の中枢を担う人物が父親だとわかれば、万が一の場合に京哉が酷い扱いを受けると。

「シエナ・シルヴェスター・ミヤノ、それが私の名前です。オーストリア政府に掛け合って調べていただいて構いません」

毅然とした態度で答えるシエナにつまらなさを感じた警官の一人が、京哉の方を見ながら再度問う。

「誰が父親かわかんねぇガキがそんなに大事か?嘘はいけねぇよ」

シエナの腕を掴んで京哉から引き剥がすと、彼の襟首を掴んで宙吊りにした。そして障子戸の方に向けて彼を投げ飛ばすと、蹲る彼の背中に銃を向けた。

「っ…ダメ!」

引き金を引いた瞬間、床を蹴って飛び掛かったシエナは警官の手を掴んで軌道を逸らす。その際に肩に被弾して血飛沫が上がった。

 大きな音に驚いて顔を上げた京哉は、肩を抑えながら震えるシエナの背中にしがみつく。

「お母さん!どうしたの…!?ねえ!」

二人の周囲を取り囲むようにして集まった警官隊は、全員が手に銃を構えていた。



…………………………………………………………………………………




 もう逃げられないと悟ったシエナは、息を大きく吸い込むと立ち上がって腕を広げた。

「……これ以上は何も話さない」

声の震えを押し殺してそう告げたシエナは、足元にしがみつく京哉の方に顔を向けた。

「京ちゃんの吹くヴィドール…聴きたかったな…」

彼女の目から一筋の雫が流れ落ち、京哉の腕に落ちる。

 複数の破裂音と共に鉛玉で身体を貫かれたシエナは、その場に崩れ落ちた。全身のあらゆる箇所からドクドクと血が流れ出す光景を京哉は目の当たりにする。徐々に冷たくなっていく身体から無理矢理引き剥がされそうになり、必死に抵抗した。





 父親についてシエナが彼に語ったのは、フルートを教え始めた頃だった。

「京ちゃんのお父さんについて?」

「うん。どこにいるの?」

シエナが京哉に教えた童謡の歌詞の中に、父と母という表現があり興味を持ったという。

「今は海の向こうの遠〜い国にいるんだよぉ」

「なんで?」

ストレートにそう聞かれると、回答に困ってしまう。その理由は複雑過ぎて彼にはわからない。

「えーとねぇ…お仕事で忙しいんだぁ。でも、京ちゃんと早く一緒に暮らしたいって言ってたよ〜」

理解したのかは不明だが、そっかぁと呟いた京哉。

「おとうさんも、あかあさんみたいにぴゅーってできる?」

「お父さんはピアノが弾けるんだよ〜。京ちゃんがお腹にいる時も、よく一緒に演奏してたんだぁ」

そう言うと、聴きたいとせがまれて彼の前で演奏したのが、ヴィドールのフルートとピアノのための組曲だった。フルートの中でも最難度と言われているこの曲を聴かせてあげると、その日からそれが彼の目標になったという。

 まだ全てのキーに指が届かない小さな手でフルートを練習しながら、ニカニカと笑い何度も彼女に言った。

「ぼく、おかあさんみたいにうまくなって、きかせてあげるからね」







 手足を拘束され、警察車両のトランクに雑に投げ入れられた京哉は、暗闇の中で何度も母親が殺された瞬間を思い出して嘔吐した。

 荒い運転で身体のあちこちを打ち付けるうちに気絶してしまった彼が運び込まれたのは、警察署だった。

「通報があった集落行ってきました。音楽家の女をその場で処刑して、楽器、メトロノーム、楽譜を多数押収済みです」

上司らしき男がデスクの前で報告を受けると、床に横たわっている子供の方を指差して尋ねる。

「…で、ソレは?何で一緒に処分してこなかったの?養護施設はどこもかしこも余裕ないよ」

「父親はわからないと頑なに供述を拒否されましたが……」

そこまで言うと、上司の男が席を立って京哉の近くに歩み寄った。

「君の勘は当たるからね。山奥で大切に隠しながら育てられてたんなら…結構な大物の隠し子の可能性あるよ。DNA鑑定回そうか…処刑済みの音楽家も含めて全員のデータと照合させよう」

上司の返事に、報告をした警官は口元にニヒルな笑みを浮かべていた。



[18] Sonatine 完

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