#017 Prelude
東京都・23歳男性「最近一緒に仕事するようになった奴の話なんだけど…噂じゃガキの頃から組織の狗で残酷無比な殺人マシーンって聞いてたのに、実際はからかい甲斐のある可愛い奴だったんだよな。アイツ絶対に童…
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屋内の照明が消え、豪雨の如く青白い弾丸が降り注ぐ。割れた窓ガラスが飛び散り、その上を逃げ惑う人々が足を滑らせていた。
後方から響く銃声に誘導されたスーツの集団は、我先にと開け放たれた扉から飛び出していく。
あと数メートルで外に逃げ仰るという所で、目の前に現れたのは刀身1メートル程の太刀を構えた白い燕尾服の青年。
屋敷内の叫び声が途絶えた所で、今日の彼らへの依頼は目標達成となる。
連日の激務で疲労困憊状態の京哉、ナツキ、フユキの三人。
3階に越してきた筈の双子は何故か京哉の部屋に入り浸るようになり、今日も明け方から三人で川の字になって爆睡していた。
「今日で12連勤だって。ちょっと働かせ過ぎだよね、楽団の人達も」
祐介が呑気な声色でそうシェリーに話し掛けながらテーブルを拭いて回る。
「馬鹿どもが大人しくなってちょうど良いんじゃない?元気だとうるさいし」
ソファに浅く腰掛け、だらしなく首を背もたれに預けるシェリーは、天井からぶら下がるステンドグラスのランプをぼんやりと眺めていた。
「やっぱり、あの双子に京ちゃん取られちゃって寂しいんだー」
ここ数日、同じ文言で茶化され続けて耐性が付いたのだろうか、シェリーはムスッとして眉を顰めるだけに留まる。
「もうすぐお昼かぁ…。シェリーちゃん、ちょっと様子見てきてよ。俺はお昼ご飯作り始めるから」
祐介が布巾を畳みながらそう言うと、シェリーは嫌々ながらも立ち上がって階段を昇り始める。
ドンドンと雑にドアを叩いて起きていないことを確認すると、ノブを捻ってそっと中に入る。厚手のカーテンで陽光を遮っている室内は暗く、薄らと物の位置が把握できる程度の明るさしかなかった。
照明のスイッチを手探りで探しているシェリーだったが、ヒソヒソと微かな話し声が聞こえてきてその手を止めて振り返った。
「そんな事したら起きちゃうってば」
「大丈夫だって。さっきので起きなかったんだぜ?」
暗闇に慣れてきた目でじっと布団の方を凝視すると、二人の人影がモゾモゾと動いているのがわかる。
「じゃあ、二人で一緒に……」
怪しげな雰囲気を察知したシェリーが壁をドンと叩き、照明のスイッチを入れた。
明るくなった室内で最初に目に入ったのは、それぞれ京哉の腹と太腿の上に跨っている双子の姿。愛らしい少女のような童顔でベビードールだけを纏っている為、いかがわしい事をしているようにしか見えない。
「あ、シェリーちゃん。どうしたんですか?」
「起こしに来た?タイミング悪かったなー」
残念そうに京哉の上から離れた双子は、ゴロンと横たわると彼の両腕にしがみついて耳元で囁いた。
「「お客さーん、お時間ですよー」」
ピッタリと揃った声を両耳から吹き込まれて、寝起きが悪い筈の京哉がバチリと目覚めた。
「えっ!?……夢……?最悪な夢見てたんだけど……」
「どんな夢ですか?」
フユキが生脚を絡めながら尋ねると、まだ脳内はぼんやりしているのか、うーんと唸る。
「アンタら双子が出てきて……丁度こんな感じの………って、何やってんだよ!離れろ離れろ!」
顔面蒼白になりながら双子を追い払い、やっとの思いで上体を起こした京哉は、そこで初めてシェリーの存在に気が付いた。
「あ?何してんだよシェリーは?」
手を戦慄かせながら顔を引き攣らせる彼女は、
「だるっ…」
と短く言い残してドアの向こう側に消えていった。
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仏頂面で2階から降りて来たシェリーに、祐介が声をかける。
「あれ?京ちゃん達まだ来ないんだ。お客さん来てるのに……」
カウンター席に座る2人の女。一方はシェリーと顔見知りであった。
「…チサキ?」
「あ…!あの時はどうもー…!」
喫茶店を訪れていたのは、梓と茅沙紀であった。知り合いだとわかると、祐介は安心して厨房の方に戻っていく。
「怪我治った?」
茅沙紀の隣に腰掛けながら尋ねれば、茅沙紀は照れ臭そうに笑いながら返す。
「あはは…治ったというか、治されたというか…」
よくわからない返事に首を傾げたシェリーに、今度は梓が話し掛ける。
「貴女がシェリーちゃんかぁ!私、馬鹿乃宮麗慈の師匠。新妻梓ね」
「師匠……お医者さん!?」
そっちじゃないのよ、と突っ込まれている間にまだ眠そうにぼんやりしている京哉が双子を両腕に侍らせながら階段を降りてきた。
しっかりとセーラー服を着てはいるものの、依然として京哉にベタベタと纏わりついている姿にシェリーは機嫌を悪くする。そして、隣に座っていた茅沙紀は頭を抱えながら悲鳴をあげた。
「右神さん!?不純です!不潔です!」
まぁまぁ、と彼女を宥めた梓も呆れたような表情を見せる。
「京ちゃん、そういう所までアイツそっくりな訳?ちょっと幻滅しちゃうなー…」
珍しい声が耳に入り、京哉は慌てて両腕の兄弟を引き剥がした。
「や…やめてくださいよ……ってか、どうしたんですか?奥多摩に籠ってるって聞い… 「そうそう、その事で…」
徐に立ち上がった梓は、扉の前に仁王立ちし始めた。その場にいた全員が何事かと息を呑んで見守っていると、屋外からネイキッドバイクの音が近づいて来て京哉だけは彼女の行動の理由を悟ったようだった。
ドアに取り付けられたベルが鳴るのとほぼ同時に梓が横一閃に腕を振り抜き、それを見越したように入ってきた麗慈がその場に土下座の姿勢を取る。
「っ…サーセンっした!!!」
「情けねぇなぁ!?男なら歯ぁ食いしばれ馬鹿乃宮麗慈!」
鬼の形相で麗慈の白衣の襟首を掴んだ梓は、彼をズルズルと店の外に連れ出すと、勢い良く扉を閉めた。
「……オレ、知ってるわ。マエストロとしては優秀だけど厳し過ぎて何人も挫折させた鉄の女、新妻梓」
ナツキがボソリと呟くと、麗慈の身を案じたフユキはシュンと眉を下げた。
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何も知らない祐介が素麺を持って登場すると、お通夜のような雰囲気で昼食が始まった。
双子に挟まれて素麺を取り分けてもらっている京哉を、茅沙紀は軽蔑するような目で、シェリーは汚いものを見るかのような目でじぃっと睨んでいる。
「あ…あのー…僕何かしましたっけ?」
殺伐とした雰囲気に耐えられなくなった京哉が尋ねるも、彼女達は無視を決め込んでいる。苦笑いを浮かべながら仲裁に入るのは、やはり祐介だった。
「ナツキ君とフユキ君は何でそんなに京ちゃんとベッタリなの?仕事仲間ではあるけど…」
彼の問いに京哉を挟んで顔を見合わせた双子。プチトマトを麺つゆに落としながら楽しそうに口を開いたのはナツキだった。
「右神の反応がおもしれーから」
それに続いて、フユキが答える。
「京哉クンも満更でもなさそうですよ。このまえの脱衣麻雀の時なんか…「だあああぁっ!!やめろっ!あの日のことはもう忘れたんだよ!」
親睦会と称した麻雀大会でよっぽどの事があったのだろう。京哉は必死にフユキの言葉を遮った。
「シェリーも一緒に遊ぼうぜ。麻雀できる?」
満面の笑顔でナツキに誘われ、シェリーは頬を赤らめながら視線を外してモニョモニョと口籠る。その様子を見た祐介は、彼女は仲間に入れて欲しかっただけなのだと理解する。
「で…できない…」
「それならボク達が教えますよ。シェリーちゃんが入ってくれたら助かります!」
「そうそう。創くん強ェからなー…三人ともすっかんぴんにされたし」
ねー、と顔を見合わせるナツキとフユキは立ち上がって京哉の隣から去ると、いつ遊ぼうかとシェリーを交えて和気藹々と話し始めていた。
彼らの会話を黙って聞いていた茅沙紀は、まずナツキとフユキがこの見た目で男だと言う事に驚いている様子だった。
「…ちなみに、僕より2歳年上」
京哉が情報を追加すると、更に目を見開いて仰け反る。
「何故天は彼らに二物を与えたのだろうか…」
「それって下ネタ?」
感心して呟いた茅沙紀に最悪の返しをしたところで、喫茶店のドアベルが鳴る。
ボコボコにされた様子の麗慈を哀れんだ京哉が隣に彼を招いて座らせる。その向かい側に茅沙紀と並んで腰掛けた梓はニッコリと笑いかけてきた。
「京ちゃんも今度遊びにおいで、奥多摩」
「はい!喜んで!」
隣で怯える麗慈の姿に何かを察した京哉は、飛び切りの笑顔で心にも無い返事を寄越す。
「それはそうと、何で今日集められたか知ってる人いる?」
割り箸を手にしながら尋ねる梓に、全員が首を横に振る。
「元を含めると[[rb:旋律師 > メロディスト]]が5人…こんな人数で回ってくる依頼とかあるんですか?」
京哉が人数を数えながら梓に問い返すと、彼女は暫く考え込んでいた。
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「無い事も無い。国家内紛の鎮圧の為にある国の大統領に雇われた事もあったし…」
物騒な響きに眉を顰める京哉に、頬を摩りながら麗慈が言葉を足した。
「アフリカ支部では最近までかなり大規模な紛争に駆り出された奴らが結構死んでるって聞いたな」
「えぇー…僕達ももっとヤバそうな仕事させられるの?」
落ち込んだ様子で最後のプチトマトを口に運んだ京哉は、建物の外側に設置された鉄製の階段を降りてくる複数の足音に気が付いて顔を上げた。
カンカンと大きな金属音を立てながら近付いてきた足音が鳴り止むと、二人分の笑い声と共に喫茶店の扉が開く。
「あん時の奴の顔はお前さんにも見せてやりたかったぜ」
楽しげに会話をしながら少ししゃがんで店内に入った鬼頭と、彼の影から出てきた人物にその場にいた全員が顔を引き攣らせた。
「えー、じゃあ今度は僕も呼んでよ。暫くこっちに避難してるつもりだからさ」
さも当たり前のように麗慈の隣に腰掛けた託斗は、祐介に割り箸を要求している。
「…何してんだよアンタは」
託斗は目の前にあった麗慈のつけ汁の器を奪い取ろうとした手を彼に叩かれると、更に奥に手を伸ばして京哉の器を奪った。
「また観光に来たわけ?ロジャーがよくそんな自分勝手許してくれたわね…」
呆れ顔の梓が頬杖を付きながら尋ねると、託斗は素麺を啜りながらニヤリと笑った。
「全然!この前も怒られたとこ。でも、今回はそのロジャーに暫く戻るなって言われてんだよねー」
前回来日した際もニュー千代田区画の発電所を一人で破壊していった彼の事だ。今回も何か厄介事を持ってきたに違いない。特に彼が持ち出してくるのは楽譜絡みの案件ばかりだ。
「ここに集まるように仕向けたのも親父か?」
訝しげな表情で問う京哉に、託斗は目を細めて箸を置いた。
「……ジャックがそうしろって伝えたのか?」
急に真顔になった託斗は、梓に尋ねる。
「ええ。本当にそれだけ。早口で聞き取りづらかったけど、そう言ってたわね」
アンタは?と顎でさされた麗慈も首を縦に振る。
「今朝方。貴重品は持っていけとか言われたから楽器と楽譜は一応持ってきたけど」
同じ指示を受けたようで、梓もジュラルミンケースに入れたヴァイオリンを持ってきていた。
彼らの話を聞いて、託斗はそうか…と小さく呟くとシェリーと別卓で話していたナツキとフユキを手招いた。
「済まないが、茅沙紀ちゃんとシェリーちゃんと仁道くんは少し席を外してもらえるかな?…あ、でもこの建物内にはいて欲しい」
楽団に関する話をするのだと察した三人はいそいそと2階に移動していく。
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立ち上がった託斗を囲むように座る面々は緊張した面持ちで彼が話し始めるのを待つ。
「じゃあ、順を追って話そうかな」
そう口を開いた託斗は、喫茶店のメニューボードにチョークで簡単な世界地図を描きアメリカのルイジアナ州あたりにバツをつけた。
「1週間前、アメリカ支部長のジョセフ・アーロンが何者かに殺害された。そこから3日足らずでアメリカ地区を担当している57名の旋律師が消息を絶っている。支部の緊急回線にも繋がらない」
「…ジョセフって……天照大御神の完奏者よね?そんな奴があっさりと…」
眉間にグッと皺を寄せた梓の神妙な面持ちから、楽団にとってどれだけ大きな損失なのかが窺い知れる。
「そ。しかも、奴が自宅に隠しておいた楽譜も奪われたらしい。これは割と最悪の事態だね」
軽い口調でそう話す託斗だったが、完奏者が死んで災厄との因果が切れた状態の楽譜が盗まれたという事は極めて緊急性を要する事態であった。もし、その盗んだ人間が完奏してしまった場合は新たに災厄との因果が結ばれてしまい、能力を得た正式な所有者となってしまう。
これは、異端が託斗の真似をして作成した曲によって生まれた因果関係とは性質が異なり、他に害をなす異能を手に入れるという祝福を奏者自身が受ける事になるのだ。
今回盗まれた『天照大御神』は太陽神の力を得る強力な祝福を齎す楽譜であり、楽団としては一刻も早く取り戻す必要があった。
「僕は護衛をつけるっていう条件付きでジョセフ殺害の件を調査する為に、一昨日アメリカに向かってたんだ…」
「え…じゃあ何で此処にいんの?」
本来なら会わなくて済んだのではと思った京哉が眉を顰めながら尋ねると、託斗は泣き真似をしながら答える。
「僕の乗ってた飛行機、撃ち落とされちゃった…」
全員が立ち上がって「えー!?」と同じリアクションをする。何故助かったのかは何度聞いても教えてくれなかったが、出鱈目な力を持つ男の事なので自分でどうにか生還したのだろうと各々自分を納得させる。
「それって、アンタが乗ってるってわかって攻撃された訳でしょ?異端の奴らってだいぶ頭イっちゃってるわね…」
でしょー?と相槌を打った託斗と梓の二人を見ていると、イカれ具合に関しては楽団も人様のことは言えないだろというツッコミは心の中に仕舞っておいた京哉。
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「で……ジャックが俺たちを此処に集めたのと、どういう関係があるんだ?」
話の流れがグダグダになりそうな所で、麗慈が託斗に尋ねる。すると、それは俺が説明すると言って鬼頭が低く手を挙げた。
「日本に到着した託斗を迎えに行ったのは俺だ。調律師同士の専用ネットワークがあって、そこに託斗からのメッセージが飛び込んで来てたからな」
首を傾げた梓は、託斗に向かって理由を述べるように目で促す。
「豊洲のにっこり巻き巻き寿司から楽団に連絡入れたんだけどさ…繋がらなかったんだよねー。ちなみに、午前9時頃の話」
それを聞いた面々は互いに顔を見合わせる。そして、無言のまま席を立ち上がると、各々ジュラルミンケースを手に取った。
「……楽団本社に何かあったと考えるのが普通だな」
「なるほど、そういう訳でしたか」
ナツキが店内を駆けていって窓を開けると、そこに催涙弾が投げ込まれた。ジュラルミンケースを振り回してタイミング良くそれを打ち返し、向かいの廃墟の中で炸裂させる。
「京哉!2階!」
託斗が叫ぶのと同時に、京哉はフルートを組み立てながら階段を駆け上って行く。シェリーの部屋のドアを蹴破ると、アサルトスーツを着た見知らぬ男達が三人の口を押さえて拘束しようとしている所だった。
咄嗟に一番手前にいた茅沙紀を捕らえている男を蹴り飛ばし、その隣にいた男もろとも仰向けに倒れて祐介も解放される。
続いて窓から隣のビルに連れ去られようとしていたシェリーを追おうとするが、次々に襲いかかってくる敵に行手を阻まれてしまう。
ジタバタと力の限り抵抗するシェリーは口を抑えている男の手を思い切り噛んで一瞬の隙を作ると、身体をくの字に曲げて何とか屋内に留まろうとした。
「キョウヤ!キョウヤッ!!」
涙を滲ませながら叫ぶシェリーの口を背後にいた敵が押さえて窓の外に一気に連れ出した瞬間に、室内に青白い光が広がる。覆い被さっていた10人あまりの敵を一気に斬り払った京哉。窓のサッシを足場にして踏み込み、シェリーを拘束していた男の首に太刀を突き刺した。
太い血管から噴水のように血を吹き出しながらビルの隙間に吸い込まれていく敵の男。それに引き摺られるようにシェリーも落下していく。
地面に叩きつけられる寸前の所で彼女を抱き寄せた京哉は、勢いを殺すように転がりながら着地する。
「ってー……おい、大丈夫か?」
起きあがろうとする京哉だったが、余程怖かったのか彼から離れようとしないシェリーに乗られていて身動きが取れない。彼女はこの見た目で70キロ以上の重量級なのだ。
1階の様子も気になる所だったが、あれだけの戦力が集まっている現場に万が一は無いだろうと、空を見上げながらシェリーの頭に手を置いた。
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外から雪崩れ込んでくるアサルトスーツの男達を、ナツキが放つ自動小銃の弾が次々と散らしていく。別方向から屋内に侵入してきた敵達が3人に殴りかかろうとした瞬間に、周囲に誰もいなくなった。
そして、次に彼が視界に入ったものは目の前に積み重ねられた仲間達の死体。
「ラッキーね、あんた。生き残っちゃった」
前髪を鷲掴みにされ、顔を無理矢理上げさせられる。目が合ったのは満面の笑みを浮かべる梓。その顔には所々返り血が付着していた。どこか楽しげな彼女の様子を見て、託斗が呆れ顔になった。
「アンラッキーの間違いでしょー」
「アンタよりは上手に出来るってば、拷問くらい」
拷問という言葉に、男は息を呑んだ。椅子に座って拘束された状態の男に近付いた梓は右手を出す。
「麗慈、良さそうなのあった?」
カウンターの中でゴソゴソと何かを漁っている様子の麗慈は、徐に立ち上がって彼女に歩み寄った。
「まずはコレとか?」
麗慈が彼女に手渡したのはアイスピック。手入れがされている様子はなく、錆が酷い。それを受け取った梓は、手首を返しながらまじまじと眺め、躊躇なく男の太腿に突き刺した。
男が悶絶する中、梓は彼の真正面にしゃがんで顔を覗き込む。
「誰の命令?」
質問するが、男からの返事は無い。彼の様子を見て、梓はニードルを一旦脚から抜いた。
「だーれーの?」
そして、問いながら何度も繰り返しアイスピックを脚に突き刺していくと黒いズボンに血溜まりができて床にびちゃびちゃと溢れ始めた。
それでも口を割らない男に、立ち上がった梓は踵を返して肩をすくめた。
「僕がやろっか?」
にっこり笑った託斗だったが、梓に睨まれる。
「アンタは下手くそだからダメ。すぐ殺しちゃうじゃない」
そして、丁度厨房から出てきた麗慈に顎でしゃくって代わるように促した。面倒臭そうに眉を顰めたが、師匠の命令に背く訳にはいかない。男の方に歩み寄っていく麗慈の左手にはブルーシート。そして、右手に握られていたノコギリを見て男の顔から血の気が引く。
「えー、麗慈、そんなの使ったらすぐ死んじゃうんじゃない?」
自分にはやらせてくれなかったと子供のように不機嫌に唇を尖らしている託斗の脇腹を、梓が組んだ腕の肘で思い切り小突いた。
「馬鹿言ってんじゃないよ。何てったってお医者様だからね、死なないスレスレのラインは心得てるのよ」
男の足の下にブルーシートを敷いた麗慈は、無表情でノコギリの歯をじっと見詰めながら口を開いた。
「答えなければ、足の指から1本ずつ削ぎ落とす。黙ってても構わんが、20回越えたら次は耳、鼻、膝から下……出血量が多くなっていくから我慢した所で死ぬのは同じだからな」
さて、と立ち上がった麗慈は男の肩をポンポンと叩きながら耳元で囁いた。
「舌を噛んでも窒息しないように処置するから、楽に死ねると思うなよ」
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外の敵を片付け終わった双子が屋内に戻ると、男の悲鳴が店内に響いていた。興味深そうに覗き込むフユキに対して、ナツキは顔を歪めながら目を逸らしていた。
「えげつない事してるなー…」
「私が優しく聞いてるうちに素直に答えてくれれば良かったのに…」
頬杖をついてカウンターチェアに座る梓がフッと溜め息をつく姿を見て、託斗はシパシパと瞬きを繰り返す。
京哉がシェリーを鬼頭のもとに預けて店内に戻る頃には、拷問に掛けられていた男は瀕死状態だった。積み上げられていた死体を隣の廃ビルに運び込んでいた双子を横目に、梓の横に座る。
「三人は4階に連れてきました。創くんに見ててもらってます」
血の付着したフルートをクロスで拭きながらジュラルミンケースの中に仕舞うと、店の奥に据えられた黒電話の前に立っていた託斗の方を見やった。
「やっぱりダメみたいね。本部と連絡取れなくなっちゃってる。あと、私達のいた場所も多分同じような状況でしょうね。程度にもよるけどもう住めないかも」
今回攻め入ってきた敵の数では到底敵わない戦力が集結していたが、逆を言えば平常時この場所にいる人間だけで守り切れたかと問われればそれは怪しい。
「大元の依頼者はわかんねーんだと。奥多摩と文京区のゲーセン、俺の新しい医院のある杉並区も同じような部隊が向かったらしい」
奥の厨房で手に着いた血を洗い流して来た麗慈が、男から聞き出した情報を伝える。やっぱりねー、と呟いた梓だったが、気になった点があるようで彼に聞き返した。
「文京区?」
「…そう言ってましたケド……」
小首を傾げる二人に、死体の運搬を終えた双子が戻ってきて手を挙げていた。
「文京区のゲーセンは、オレ達が住んでた場所!」
「此処の3階に引っ越してきたのでそっちは引き払いましたー」
ナツキとフユキの話を聞いて、麗慈が何かに気が付いたように尋ねた。
「その時、楽団専用端末はどうした?」
「あー…よくわかんなくて、置いてきちゃいました」
「ベルが鳴ったら見つかっちまうと思って受話器はあげたまま隠してきたけどな」
黒電話が設置されている場所がピンポイントで襲撃されている。それが楽団との連絡手段だと知っている者が敵の中に存在するのだ。
「やっぱりそうだ…」
喫茶店内の黒電話から戻ってきた託斗がカウンターチェアに腰掛けながら呟く。
「やっぱりって?」
「今の所『連絡手段』だけが敵側に掌握されてる……京哉、ジャックに会った事ある?」
そういえば声は嫌になる程聞いているのに、彼の姿を見た覚えは無い。京哉が首を横に振ると、他の面々も同じような反応を見せていた。
「ジャックの綴りは、JAC…ジャルジャックAIコミュニケーター。つまり、彼はAIで実在しない人物って訳」
「えっ…つまり僕は今までAIに向かってイライラしてた訳!?」
衝撃の事実が告げられ、京哉は今までついてきた悪態を恥じる。
「ジャックが導入される前は人間がやってたんだけどさ、どうしても伝達ミスや情に流される部分があってね。あずあずは心当たりあるでしょ?」
「ある。あと、その呼び方ヤメロっつってんだろ。殺すぞ」
また凄まれておいおいと泣き始めた託斗。全員が彼を無視して一つの卓を囲んで座ると、今後の作戦会議が始まった。
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本部との連絡が取れず最悪の事態も想定したが、黒電話を管理しているAIだけが敵に掌握されている可能性が出てきた。
「そういえば…イースト・アラベスクに乗る前、通信にノイズが混ざってるってジャックが言ってたな」
京哉は手をポンと叩きながら彼の言葉を思い出す。
「もしかして、オレ達の12連勤って…」
「ジャックを操って、ボク達を疲れさせて戦力を削ろうとしたんじゃ…!?」
顔を見合わせてアワアワしている双子に、麗慈が「京哉はいつもそんなもんだぞ」と教えてやると哀れみの目を彼に向けた。
「ジャックが乗っ取られる間際、最後の力を振り絞って私達に危険を教えてくれたんだよ。健気だねぇ、AIのクセに」
コレとは違って、と付け足した梓が託斗の襟首を掴んで無理矢理引き摺り、会議の場に着席させる。
「そうなると、黒電話が通ってる場所にいる間はいつ襲われるかわかんねーって事だろ?」
麗慈が窓の外を眺めながら言うと、フユキが残念そうに眉を下げた。
「また引越しですか…?結構気に入ってたんですけど、此処…」
状況が落ち着くまで何処に身を潜めるかを話し合っている中、京哉は何かを忘れているようなモヤモヤに苛まれていた。難しい顔をしている京哉の顔を覗き込んだ託斗。
「どしたの?ぽんぽん痛い?」
「ぽんぽんは痛くないけど……」
うーんと頭を抱えて悩み始めた京哉だったが、次の麗慈の発言で全てのモヤモヤがスッキリと晴れた。
「9時に託斗が使って駄目だったんだろ?街中の黒電話が楽団と繋がらなくなってるなら、全部の場所に敵が向かってる可能性もあんの「ああああぁぁっ!!」
いきなり立ち上がって叫んだ京哉の方を、皆が一斉に見上げる。
「…それなら、アイツの所……阿須賀ン家もヤバくねーか?」
遍玖会自警団本部の最奥の間にも黒電話が設置されている。
「え?そうなの?麗慈、アイツに聞いてみたら?」
梓に促されてブルーシートの上の男の様子を見に行った麗慈だったが、見ていない隙に舌を噛み切って窒息死していた。
「残念。どうする、確かめに行くなら乗ってくか?」
バイクで市谷砂土原町まで向かうという麗慈の提案に乗った京哉が椅子から立ち上がると、託斗が腕時計に視線を落としながら尋ねた。
「此処も長居はできない。一度東京を出て僕の湯河原の別荘に向かおう。京哉は場所知ってるね?」
託斗が指定した場所に、京哉は顔色を曇らせた。彼の様子に気が付いた託斗がもう一度窘めるように名前を呼ぶ。
「京哉」
「……わかる。大丈夫」
何とか声を絞り出した京哉がジュラルミンケースを背負って扉の方に向かうと、麗慈も彼の後を追った。
…………………………………………………………………………………
旧都道302号線を通って5分程の距離。
いくら一般人と言えど、遍玖会は新宿区を護る自警団であり、阿須賀を筆頭として武闘派の人間も多く所属している。簡単に陥落するとは思えないが、楽団のイザコザに巻き込まれた以上、投入された戦力が[[rb:異端 > カルト]]絡みの異能者である可能性は完全に捨てきれない。
一刻も早く現場を確認する必要があった。
排気音を響かせながら風を切るネイキッドバイクのタンデムシートに跨った京哉は、うーだの、あーだのと、気怠げな溜め息を繰り返していた。背中に頭をゴリゴリと擦りつけてくる京哉の膝を拳で叩いた麗慈は、彼が不機嫌な理由を知っている。
「託斗の言ってた湯河原の別荘って、お前が昔住んでた所だろ?」
その問いに額を縦方向に擦りつけて肯定する。
「思い出したくねー場所なのはわかるけど、今はそうも言ってられねぇだろ」
「うー…僕のガラスのハートが……」
「今は防弾強化ガラスだろ、ソレ」
大人になれと暗に窘める麗慈に、京哉は唇を尖らせながらブーイングを飛ばす。
母親を忘れる事が大人になるという事ならば、彼は一生このままで良いと思っていた。
[17] Prelude 完