#1「天届ク塔の底で」
薄暗い空間。前方に点々と続く小さな電球に照らされ、所々に鉄板やパイプで出来た壁が顔を覗かせている。
電球の光に沿い、壁に挟まれた狭い道を進むこと幾ばくか...少し明るい空間へ辿り着く。
今日は人が多いな...。
先ほどの狭い道とは打って変わり、視界いっぱいでは収まりきらない程の広い空間、その中の目的地に人だかりができていた。
「今日はいいのが手に入ったんだ!数はあるから慌てんじゃねえぜ!」
いくつかの果実が大量に入った箱を前に男が楽しそうに人だかりを宥める。
「――ん?」
人だかりから硬貨を受け取りながら果実を渡す男は、こちらを視界に入れると動きを止めた。その様子に気づいた人だかり達もこちらを振り向き、男の前の箱から距離を取る。
「ん...?なんだ...?」
人だかりの中、身なりの良い男が周りの様子に動揺しているのが見えた。
......珍しいな...なんであんなのがここに...?
まあ、どうでもいいことだ。そんなことに構わず箱へ向かい歩みを進めた。
――たしかにいいものだ。
箱の前へ辿り着き、山ほど積まれた果実を目にして少し驚く。腐り始めの林檎だ。
これは人だかりも出来るだろう。腐り始め程度で済んでいる果実など、ここではなかなかお目にかかれない。
その林檎を一つ手に取って振り返り、再び元来た道を戻るため歩き始めた。
「みなさん...どうしたんです...?今のは...?」
林檎を掴んだ右手に僅かに意識を集中させる。右手は微かな緑色の光を放ち、林檎を"再生"させ、鮮やかな色付きを戻させる。
「お、おい...キミ!」
新鮮な状態となった林檎をそのまま口へ運び、シャクリと音を立たせながら齧った。
「キミだ!待ちなさい!」
「――あっ!?おいアンタ!」
口の中に広がった果肉は、咀嚼をする度に濃厚な果汁を溢れ出させて――
「キミ!!お金を払ってないだろう!?」
肩を掴まれ、勢いよく振り向かされる。目の前には先ほどの身なりの良い男が随分と真剣な表情でこちらを見つめていた。
近いな...。
「お金が無いのだとしても、盗みを働いてはいけないよ...!もし食べる物に困っているというのなら――」
やけにでかい声が耳に響く......。
「――ここは、私が出そう...!だから、盗みなんてバカな真似は―――」
唾が飛び、私の顔に付着する感覚があった――。
瞬間――。
男の顔が首ごと吹き飛び、血飛沫を上げた。
「......ヒッ――!」
後方でこちらを見つめる人だかりの中で小さな悲鳴が聞こえるが、音の元であろう女は口を押さえながら青ざめた表情でこちらを見ていた。...いや、こちらというより、その視線の先は私の左手の指先...、"圧縮"された力が鋭い形に"造形"され長い刃の様になっている――そこへ向けられているようだった。
よく見ると、力で形作られた刃だけではなく手や腕の近くまで、血が付着してしまっている。
「チッ...。」
私の舌打ちに一瞬人だかりがどよめく気配がしたが、気にせずに振り返る。そのまま左手の力を解除し、再び歩き始めた。
しかし、なんだったというのだろうかあの男は...。この辺りで私に関わろうとするものはいない。見た目的にもこの辺りの人間ではなかったのだろう。
そもそも何を言っていた...?
耳に残っていた音を言葉として認識し直す。
「お金――」「盗み――」「いけない――」
......恐らく、私がお金を払わなかったことで盗みを咎めようとした...というところだろうか......。しかも、その後続いた言葉ではどうやら私に食糧を買い与えるつもりがあったらしい。きっといい人間だったのだろう...。
――可哀想に.........。
彼は、既にその命を絶たれてしまった。――私の左手によって。
痛み無く一瞬で逝けていたらいいのだが。
そんなことを考えながら、暗闇を生み出す狭い道へ入っていった。