王妃様のブラックリスト 白い結婚撲滅作戦
閨の話題が出てきます。
『異世界コント』のサイドストーリーですが、異世界人とお笑いは出てきません。影が薄かった国王と第一王妃と強烈な第二王妃を巡るお話。王太子と王太子妃だったころから始まります。
(異世界コントを読まなくても分かるように書いています)
我がアストレア王国は、突然、侵略戦争をしかけてきたドラクメル大公国に負けた。
敗戦により領土を失い、賠償金の交渉が進む中で、大公国は「我が大公女を娶れば賠償を減額する」と持ちかけてきた。
我が儘で有名な大公女。
王国の王太子は既に結婚しているが、側妃制度があるにはある。
近年の大災害で全く余裕のない王国。弱っているからこそ大公国は戦端を切ったに違いない。
他に道はなく、評判の悪い大公女を受け入れることになった。
王太子は気が優しく少し頼りないが、他に王子がいないために立太子されたと言われている。
押せばどうにかなるとばかりに強引に迫る令嬢が多くいたせいで、女嫌いになった様子も見受けられた。
周囲が心配する中で、どうやら初夜はうまくいったようだ。
ホッと肩の荷を下ろした関係者一同であったが、王太子が密かに中高年男性御用達の薬を取り寄せたと知り、青ざめた。
ある日、王弟に「叔父様、もし王位を継ぎたくなったら遠慮なく言ってください」と死にそうな顔で告げたという。
そのことを王弟殿下がわたくし王太子妃に打ち明けてくれたことはありがたいけれど、
「俺のが役に勃たなくてごめんな」と意味深な言い方をするので、思わず開いた扇で頭の横をはたいてしまった。華奢な骨組みが折れたわ。
夫を心配してのことだと伝わってきたけれど。
心配している中に、わたくしを揺さぶるチャンスだと面白がっている感じが混じっている。素直に感謝できないわよ。「おー、恐い恐い」ですって。
将来的には王立学園の学園長に就任する予定なのに、こんな下劣な品性で生徒を正しく導けるのかしらね。
夜会の隅でこそっと会話したから、夫はわたくしたちが何を話していたかを知らない。
扇を閉じてからぶてばよかったとこぼしたら、それでは本当に凶器になるからやめなさいと夫にたしなめられた。
妻に相談もせず、まだ継いでもいない王位の譲渡をもちかけた、あなたが悪いのよ。
第二妃が警備に立つ近衛騎士をダンスに誘おうとしている姿が視界に入り、眉間の皺が一段と深くなってしまった。
王太子は全ての女性が苦手なのではなく、ある種の女性を苦手としている。拒否反応が出るのを王族スマイルで隠し通す。
苦手になったのは、婚約者がいても構わず、結婚した後でも強気で迫ってくる女性が後を絶たない状況だから。
恥をかかせて二度とやろうと思わないくらい心を折ってやるわ!と声を荒げる婚約者リアナグレイスに、穏やかに説明して納得してもらおうよと言っていた王太子オルフェス。
そんな悠長なことを言っている場合?!
結婚前も後も、しっかり者のリアナが陰に日向に盾となり、数々の攻撃を退けてきた。おかげで苛烈で気の強い女というイメージが定着している。
撃退に協力してくれた公爵令息は「あいつの射貫くような視線に気付かないなんて、呑気なやつらだね。優柔不断に見えて、一度決めたらテコでも動かない。こっちが折れるまでネチネチネチネチ説得を続ける強情な面を知ったら、逃げていくかもな」と言う。
その令息の婚約者は「強引に殿方に迫って応じてもらえないという黒歴史。彼女たちが誰かと結婚した後の、何かの際の交渉材料としてストックしているの。どれだけ自信があるのかしらないけれど、隙だらけ。リアナを攻撃しようとして飛び出した失言、王太子殿下に仕掛けようとした汚い手口、しっかり記録しているわ」と玩具で遊ぶ無邪気な少女のように微笑んだ。
それ、交渉というか脅迫では?
王太子なりに頑張って淑女の皮を被った野獣たちの説得を続けたが、懲りない面々にトラウマができてしまった。
押しが強く化粧が濃く露出が多い女性には比喩ではなく鳥肌が立ち、舞踏会で仕方なく踊った後は風呂場から一時間は出てこられない。
一見、大人しく見える女性でも、ふとした瞬間に隠しきれない欲望が垣間見えると、吐き気を覚えてしまう。泣き落としや怪しげな薬への警戒心から、常に神経を張りつめ、しばしば頭痛に襲われる。もはや持病と言ってもいい状態だった。
第二妃は、そんなトラウマの条件に当てはまる存在だった。
国王は「余がふがいなくてすまぬ」と、王太子夫婦に深く頭を下げた。
大災害に続く侵略戦争。
どうしようもない状態であることは、誰もが分かっていた。
王太子は、第二妃を目の前にすると気を失いそうな自分を心の中で何度も罵り、奮い立たせようとしたという。そして、この婚姻によって減額された賠償金の金額を、何度も、必死に繰り返し念じていたとも・・・。
媚薬の香を炊き始めたと女官長に聞き、リアナは王宮医に王太子の健康診断の頻度をあげるように依頼した。
リアナも自分以外の女の存在に心がざわつかなかったわけではない。
悔しさや寂しさ、虚しさに眠れない夜もあった。
かつてのライバル(?)は「正妃(予定)から第一王妃(予定)に格下げ、心中お察ししますわ」とお為ごかしに同情して見せた。
よっぽど暇なのね、自分の夫婦生活を心配した方がよくてよと返してやる。
彼女の夫が浮気者というのは有名だったから。
王太子妃教育で側妃の必要性、それらを管理するのも大事な役目とたたき込まれたので、胸の内を外に出すような無様な真似はすまいと心に決めていた。
だから、ストレス発散のため王太子妃の隠し部屋に度々こもり、心の中をぐちゃぐちゃに掻き乱し吹き荒れる嵐をやり過ごす。
代々の王太子妃が、陶磁器を壁に投げつけたり、人型のぬいぐるみを殴りつけたり、壁に落書きをしたり・・・人目を気にせず発散できるスペース。王太子妃の衣装部屋の上の隠し部屋だ。
壁に「生き物に当たる前に、無機物へ」と書いてある。何代目の王太子妃の言葉なのだろう。
ここにお義母さまの足跡もあるかもしれないけれど、訊くのは野暮というものね。
ちなみに、壁には魔法石に触れると「王太子妃殿下がこの世で一番美しい。あなたの献身を私は知っている。妬むしか能のない人間なんか虫けら同然」としゃべりだす鏡がかけてある。おとぎ話みたい。
ある時、わたくしの部屋で夫とお茶をしている最中に、侍従に急ぎの相談があると呼び出された。
指示を出してから戻ると、夫が本棚から小説を出して読んでいた。
はらはらと涙を流しているから慌てて覗き込んだら、白い結婚ものだった。
わたくしの心の痛みなんか、この人の苦しみの前に何ほどのものか。吹き飛ばしてみせましょう!
戦争に負け、無茶な要求を受けざるを得ない屈辱。
繊細なこの人が自国の民からの責めるような圧を感じないわけがない。
中枢から遠い貴族ほど、軽々しく「こうすれば良かったのに」と浅慮な持論を垂れ流す。
なにより、苦手としている『強引な女』。
いっそ好色で喜んで手を出すような男だったら、こんなに苦しまずにすんだでしょうに。
わたくしが白い結婚ものを片っ端から収集し始め、それに気付いた本屋が作家たちに依頼を出した。作れば王太子妃が確実にお買い上げになる、お目に留まるこんなチャンスは滅多にないぞと。
白い結婚ものの小説が増産されて一大ブームが巻き起こった。
勝手な男が身を滅ぼす姿は、それが悲惨なほどいい。
本の最後に「こんな男に比べるまでもなく、オルフェス、あなたは立派です」とメモを挟んだ。
次の本には「愛せないと言葉にして傷つける男より、抱いてあげるフィーの方が優しいと思うわ」と書いた。
「わたくしに罪悪感を持たないで。婚姻の約束を果たす誠実な人、信頼に値する人。決して裏切りなどではないもの。でも、時々わたくしにもキスをしてね」
「あなたは逃げずに向き合った。たとえ心からの愛ではなくても、誠意を持って。
それを誇りに思ってください。わたくしにとっても、あなたは誇りです」
「愛がなくても、触れられない方が残酷な夜もあるーあなたはそれを知っている。そんなフィーをわたくしは心から尊敬している。強さとは、きっと、迷いを抱えていても人を傷つけないことなんだわ」
メモを渡すための本は、掌返しで溺愛に変わるものを除き、男が真性のクズである作品ばかりを選ぶことになった。
「フィーには渡さないけれど、わたくしが読んだから許してね」と本に手を合わせたら、侍女が私も読みたいですと勢いよく手を挙げた。
溺愛ものってどきどきキュンキュンするものね!
いつも控えめな侍女の意外な一面に親しみを覚え、どの作品が好みか語り合う。思いがけず心安らぐ一時を過ごせたのだった。
第二妃が輿入れして半年、ついに妊娠が確認される。
関係者一同が安堵の息を漏らし、王太子の執務室で密かに祝杯をあげることにした。
王宮医は王太子が心身を病む前になんとかなって良かったと涙ぐみ、勝利の美酒は格別だと一気にあおる。
王太子はあっという間に酔い潰れ、その後、丸一日眠り続けた。
目が覚めたときには全身に湿疹が出て、一週間ほど公務を休まざるを得なくなる。痛がゆくて眠れないせいで、回復するのが遅かったように思う。
プレッシャーから解放された反動でしょうという診断に、王太子妃は嗚咽を堪えることができなかった。
国王は「余も王太子時代の仕事はまだ覚えている。任せてしっかり休め」と、言葉をかけた。
湿疹で痛がるので、手も握れず頭をなでることもできないのが切ないな、と。
オルフェス、お前はこの国を救った『英雄』だと言われ、夫は言葉を詰まらせた。
それは、少年時代に憧れ、けれども早々に自分とは縁がない、決して手に入らない称号だと諦めたものだったから。
□■ 三年後 ■□
「白い結婚」を描いた小説がブームになったことで、「その手があったか」と知恵を付け、白い結婚を迫る男が続出したらしい。ブームから三年が経つ頃、つまり白い結婚を理由に離婚できるようになる頃に離婚が急増した。
王太子妃は白い結婚を理由に離婚した者たちのリストを、教会に極秘で作らせた。その年から数年分、離婚の件数が従来のレベルに戻るまで、ブラックリストは積み上がっていくことになる。
離婚が急増したのは、第二妃の出産の後に王太子妃も王女を出産し、本格的に公務に復帰したタイミングだった。
王太子妃は早急に法の整備に着手する。
まず、白い結婚による離婚を三年から二年半に短縮した。中途半端な期間短縮だとは思う。
少しでも女性が耐える期間を短くするため一年に短縮しようとしたのだが、短すぎると反対されたのだ。
軍部には、遠征に行っている期間をカウントするのはまかりならんと抗議された。
反省して掌返しをした例を挙げられ、反省するチャンスを奪うべきではないという人もいた。
次に、使用人が密告できる目安箱を作った。雇い主を告発するのは難しいだろうから、匿名でも受け付ける。
更に、貴族制度の根幹を揺るがしかねないと、降爵を議会に提案した。
婚姻成立後に白い結婚を無理強いするなど、契約違反で悪質な詐欺行為だと主張。貴族の義務を軽視する愚か者には相応の罰として、地位を下げるべきという提案。
反対多数で成立しなかったが、実は想定内。警告になれば御の字と思っていた。
ところが、これがものすごい反発を受けた。「成立しなかったのだからいいじゃない」というわけにはいかないらしい。
貴族家当主の権限に対する越権行為だと。
家を繁栄させる義務、それに役立つ縁組みを決める権利。権威や名声を守るために家門を統治する権利。財産や血統を管理し、家の弱体化を防ぐ管理責任。
わたくしこそが、貴族社会の根幹を揺るがそうとしていると責められた。
夫の苦しむ姿が忘れられず、頭に血が上っていたのかもしれない。
婚姻の義務を果たそうとしない無責任な男に、何を蔑ろにしているのか自覚させたかった。
そもそも、結婚後の待遇を保証するための対策は、既にあるのだ。
嫁になった娘の待遇を保証するために持参金がある。
実家から侍女を連れてくるのも、安心できる生活を守るため。
お茶会や夜会で娘や配偶者と交流し、手紙で問題はないかと安否確認し、たまに帰省させて健康か幸せかを確かめる。
そういった抑止力がちゃんと機能している家門にまで口を挟むつもりはなかったのにな。
突き詰めていくと、実家に蔑ろにされている子が危険にさらされるのを救いたいとか、婚家に意見を言えない立場の弱い実家に代わって何かできないかとか・・・弱い者イジメを止めたいだけだったんだわ。
もしかしたら、わたくしが白い結婚を広めたせいで、被害者が増えた可能性がある? 知らなかったらやらなかった、という男がいたとしたら・・・わたくしに責任がないと言える?
様々な政策を推し進めて辣腕だと言われることもあるが、力が及ばないことがなんと多いことか。ちっぽけだなぁ、と悲しくなる。
わたくしが自分の執務室で落ち込んでいたら夫が入ってきて、わたくしの椅子の向きを変えた。向き合って両手を握り、上下にぶんぶんと振りながら
「僕の、僕の、大切な、お姫様ぁ。どうして、どうして泣いているのぉ」とおかしな歌を歌う。
そうするとわたくしは笑ってしまうのだ。
ソファに移動し肩を抱かれながらぽつりぽつりと話すと、できることできないことを交通整理してくれる。
そして、「君が一番やりたいこと、譲れないことはこれかな?」と言うのが大体いつも合っていて、霧が晴れるように進む道が見えてくるのだ。
この人が気弱で役に立たないなんて、ものを見極める目がないお馬鹿さんの戯れ言でしかない。
現に、公爵令息夫妻がこの人を認め、献身的に支えてくれている。
天才は天才を理解する、という。
王太子の秘書官(後の宰相)によるとわたくしたちは魔道車でいうアクセルとブレーキだそう。
ブレーキを役立たずだと言うなんて、脳みそにおがくずでも詰まっているのではなくて?
■□ 王太子妃は王妃に □■
時が経ち、王太子は国王に、わたくしは王妃(第一王妃)になった。
長男が新しい王太子になり、その嫁は王太子妃に。
新・王太子妃にわたくしの女性秘書官に複写させた白い結婚ブラックリストを渡した。
国王(当時の王太子)が責任を果たしているのを横目に、白い結婚などと好き勝手やっていた愚か者たちですよと。
嫌悪感を露わに、大事な仕事は任せない方がいいと伝えたのだ。
わたくしを執念深いという人もいるが、そうではない。
リスクを排除しているだけだ。
婚姻とは、つまるところ約束であり、契約だ。その意味を理解しようとせず、破る前提で生きている輩など信用できるはずがない。
鼻息荒く語る私に、遠慮がちに嫁が言う。
「あの、お義母さま、ここに書かれている方々の半分くらい、見たことのないお名前ですわ」
まさか、あの優秀な秘書官が書き間違えるなんて・・・?
あら、そうよ。愚かな人は消えていく運命だったじゃない。
白い結婚の小説の結末は、ドアマットヒロインを掌返しで愛するか、お馬鹿さんが没落するかだものね。
掌返しをして白い結婚を返上した人はここに載っていないのだから、これは没落の預言書とも言えるのかもしれない。
「もう、十年以上眺めるだけで更新していなかったわ」
わたくしはそういうところ、マメじゃないのよ、恥ずかしい。
「線を引いて削除すれば、とてもいい資料になると思いますわ」
王太子妃教育で、全ての貴族を最新の状態で記憶している彼女はとても頼もしい。
「そうね、そうしてくださる? ・・・わたくしの原本の方も一緒にやってくれると嬉しいのだけれど」図々しいかしら。
「もちろんです!光栄ですわ」
なんて良い嫁! 巡り合わせてくれた女神様に感謝ですわ、ついでに彼女を捕まえた我が息子エディにも。
■□ 第二王妃の退場 □■
久しぶりに白い結婚問題を思い出した。
第二王妃が離婚して去っていき、心の余裕ができたせいかしら。
白い結婚の離婚ブームが起きたとき、女性を守ろうと対策を立てたけれど、今もなお不幸な事件は起きている。我々に気取られないよう、家門内でうまく処理されてしまう事件もあるだろう。
時を経て、規則をたくさん作れば解決するわけでもないということをわたくしは知った。
逆に、「初夜だけ済ませればいいんだろう」と開き直った夫に、乱暴に襲われてしまうケースが発生した。関係がその後に改善されることもなく、男は予定通り妻を放置する。
まさか、白い結婚の方がまだマシだったーなどと思う日が来るとは思わなかった。
女性を救済するための手段になる「白い結婚」を潰して、男は何食わぬ顔で愛人との愛に溺れたという。
目安箱に匿名で投書したら、屋敷内で犯人捜しが始まって居場所が無くなる使用人もいた。
わたくしの実家や公爵家などで引き取ってはいるが、元々いる使用人はすんなり受け入れられないようだ。
主人を密告するような人物は信用できるのか、敵対派閥がスパイを紛れ込ませようとしている可能性がゼロではないという声が上がってしまった。
何かいい手はないかしら。
本屋ギルドに「白い結婚をさせられた女主人を救った使用人」が主人公の作品のコンペを開かせるのはどう? わたくしの私財から優勝者の本を出版する費用を出すわ。
そもそも、まともな人間関係を作れる人なら、一方的に「愛することはできない」なんて宣言をしないわよね。人をなんだと思っているのかしら。
そんなの、教育の失敗では?
教育の失敗で思い出すのもなんだけど、第二王妃について考えることがある。
第二王妃は愛されなかったけれど子どもを産んだ。
それは彼女にとって喜ばしいことだったのかしら。それとも、望んでいないのに産まされたという可能性は・・・?
「これで私だけの味方ができた」と言っていたそうだから、ある意味幸せだったと思いたい。
それにしても、あの頃、なぜあんなに妊娠させなければとジタバタしたのだろう。
結婚生活を送るだけではいけない、なんて誰も口に出していない。仲が良くても子どもがいない夫婦だっているのだし。
戦後の混乱で、わたくしたちも冷静ではなかったのかもしれない。
ただ、心が伴わないからこそ、目に見える形が欲しかったような気もする。彼女が妊娠したことで、何かに一区切り付いたのは確かだ。
そういえば、彼女の話相手を引き受けてくれた公爵夫人は、とてもうまく彼女とつきあっていた。
自分の派閥の豪華で遊び心満載のお茶会に誘い、わたくしが主催するお茶会よりゴージャスだったと満足させていた。伝統と格式を重んじる王家の催しは、重厚で上品で堅苦しいのよね。
重要な来賓が来る場には「事前にこれを頭に入れてください。うっかりしたら無礼打ちにされますよ」と資料を渡し、彼女が自ら欠席するように誘導していた。
無礼打ちなど、軍事国家の大公国ならあるのかもしれないが、この王国では歴とした犯罪である。嘘も方便と、ケラケラと笑っていたっけ。
わたくしの方が意地悪な悪役のように思えて、第二王妃に寄り添うべきか公爵夫人に相談したこともある。彼女が主人公なら、愛されるのを妨害する悪役はわたくしでしょう。
夫人に「あれはモンスターなので、無理しない方がいいですよ」と言われた。
公爵家が派遣してくれた侍女やメイドは、公爵領の家騎士団で女騎士をしていた人か、娼館に行くよりはと短期間で必死に護身術と宮廷マナーを覚えた根性の入ったお嬢さんだという。
治らない障害を負った場合や死亡した場合の見舞金を取り決めて、覚悟を持って仕えている常在戦中の心意気を持った強者たち。
自分の身を守れるのが近寄る条件なんて、普通の『ご令嬢』ならありえないでしょ、はっきり言って猛獣よと。
「わたくしは身内ではないので『ヒトの皮を被ったモンスターはこんなこともしちゃうのね』と眺めていられるだけ。
第二妃が妊娠して、解放されたときの王太子殿下を覚えているでしょう? 心身共にズタボロ。ドクターストップ寸前だった。
毒を持ったハリネズミに近づいたら、人間の方が傷だらけになるのよ。『ヤマアラシのジレンマ』なら、互いに傷つけるから距離をとることでそれなりの関係を構築できる可能性はある。
でも一方だけがトゲを持っているなら、それはもう『ジレンマ』じゃなくて『理不尽』なの。対等な関係は成立しないし、痛みも一方通行。そこには加害者と被害者しかいないのよ。
相手がまともじゃないんだもの。孤独で可哀想なんて同情している場合じゃないわ。諦めなさい」
わたくしを慰めるためにわざと酷い表現しているのではと、眉を寄せたら
「下手にあなたが近づいて第二王妃に癇癪を起こされたら、後始末が大変なの」
とウィンクされた。
気の抜けた微笑みを交わし合い、引き続き公爵夫人に甘えて任せることにしたのだった。
なにげに公爵夫人は第二王妃に対して「殿下」と敬称を付けない。
モンスターに払う敬意はないとか言いそうね。そんなことを想像したらなんだかおかしくて、こっそり笑ってしまった。
(ヤマアラシのジレンマ:仲良くなりたいのに、距離が縮まると傷つけ合う。離れたら寂しいので近づきたくなるという心の葛藤)
彼女に言わせると「ヒトじゃない、モンスターが何を幸せに思うかなんて、人間には計り知れないわよ。野生の獣に人間と同じように語りかけても、ガブリと食べられてお終いだわ。食べた後に美味しかった幸せって言われたら、どうする?」ですって。
もうこの国にはいない彼女のことを考えるのも「お終い」にしていいのかもしれない。
そういえば、第二王妃がいなくなったから訊ける、長年訊きたかったことがある。
夫がふらりと執務室に顔を出した。休憩を取ることにして、お茶を勧めるついでに訊いてみた。
「あなた、気が強い女性が苦手なくせに、わたくしは大丈夫なんですの?」
今日は甘えたい気分なのか、隣に座って手を握ってくる。
「そんな風に思っていたのかい?
私はね、私の意思を無視する人間が大嫌いなんだよ。
王太子だの国王だの肩書きだけが大事で、立場を失えばあっさり離れていくような連中。
王族を自分のステータスを上げるアクセサリーとでも思っているんだろうね。それを身につけた自分を想像して、うっとりしてるだけの怪物たち。そのアクセサリーがどれだけ重いものか知らないくせに。
愛していると口にしても、見ているのは己だけ。気持ち悪いよ。
きっと中身が別人に入れ替わったって、気付かないだろう。僕がどんな人間かなんて、最初から興味もないんだから。
自分の利益だけが大事で、他人を利用することしか考えないゲス。
与えることもせず、どれくらい搾取できるかだけを気にするクズ」
・・・すごい。つらつらと言葉が止まらない。ストレス、溜まっているのね。
言葉遣いが少し乱れたのは、本音が滲み出ている証拠。
わたくしに心を許してくれていると思うと愛おしいわ。
「君は必ず僕の最善を考えてくれるし、予想が外れて僕が好まないと気付いたら、すぐに方向修正してくれる。僕の心を無視しないじゃないか。全然違うよ」
唇にちゅっとキスをしてきた。
「そんな君だから、僕は頑張らなくちゃと思えるんだ。
守られるだけじゃなく、君のためにできることをやって、お互い様の関係になりたいんだよ」
『お互い様の関係』は公爵夫人の口癖だ。素敵だなと思う。
猪突猛進のわたくしには、この人が最適だ。そうに違いない。
キスを見られたかしらと見回したら、侍女も秘書官も姿を消していた。護衛は扉の外に移動したようだ。・・・恥ずかしいわ。
はっ、公の制度で処すのが難しいなら、小説にして広めてやるのはどうかしら。
被害者に作家を紹介して、登場人物の名前は変えるけれど分かる人には分かるように。法で裁けぬなら社会的制裁を。
わたくしのように言い返せないから、いいようにされてしまうんだし。作家という代弁者を立ててもいいわよね。
でも被害者が公平な目を持っているとは限らない。本当の害意と被害者の被害妄想は別に考えるべきだろう。
加害者の言い分も聞くべき? 言い訳ばかりで見苦しい可能性が高いかしら。時間の無駄かも?
加害者にはお仕置きしたいけど、風評被害で領地経営が悪化したら領民が苦しむハメに。それはダメよね。
「・・・また考え込んでる。僕を放置して」
わたくしの首筋から、ちゅぱっと強めのリップ音が聞こえた。跡が付いていたら怒りますわよ。
「あら、ごめんなさいね。白い結婚をしでかしたお馬鹿さんたちをどうしてくれようかと。でも、暴露小説を書いて、社会的制裁を与えるのはやりすぎかな?って。」
「我々の政略結婚の素晴らしさを見せつけてやろうか」
「それ、ただのノロケじゃないですか。誰が読むと思って?」
「僕が買い占める。冒頭は深い口づけから、そして・・・」
国王の額をぺちりと叩き、
「それ以上はダメよ。まだ今日の分の執務が残っているでしょう。休憩できてよかったわね」と執務室から追い出す。
「では晩餐でお会いできるのを楽しみにしています」と、おどけてボウ・アンド・スクレイプをして去って行った。
秘書官が入れ替わりに戻ってきた。
「・・・ねえ。あの人の犠牲がなかったら、賠償金の支払いは去年辺りにようやく終わるかどうか、という金額だったのよ」
秘書官に聞かせようと思ったのか、独り言のつもりだったのか、自分でも分からない。
秘書官の息をのむ音が、夕日の差しはじめた執務室に落ちた。
オルフェスはリアナからのメモに本のタイトルを書き添え、王太子の隠し部屋に貼っていました。「これを熟読する試練が再び訪れないよう、政を頑張るぞ」と壁に彫り込んで。
息子のエドマンドは王太子になったときに隠し部屋も引き継ぎ、「親の恋文・・・なんか、いたたまれないんだけど」と微妙な顔をしたとか、しなかったとか。