第一章 出会い その2
1‐3 マリカ
マリカはそれに怯えていた。見えてから自分の幻覚だと言い聞かせているけど、もう怖くて動けない。
駅地下の地下道の天井はそんなに高くはないけど、それでも天井を越しているんじゃないかという勢いの大きさの大蛇は目を引いた。周りの人たちはそれを通過していて、見えていないのは確実だ。
幻覚。幻覚。と自分に言い聞かせる。
大蛇はとぐろを巻いて、目が緑に光っていてこっちを見ている。ように見える。体は黒紫色で、それの周りにも黒い煙のようなものがモクモクし、通路を埋め尽くしていた。
舌もピロピロしていて、こっちを狙っているように見えた。
恐怖で膝から崩れ落ちた。道の端でしゃがみ込む。
「ハァ…ハァ……ハァ…」
自分の息遣いが荒くなっているのを感じた。落ち着け、落ち着け。あれは存在しないものなんだから、と自分に言い聞かせる。
「ねぇ」
いきなり声をかけられて飛び上がった。具合が悪い人だと思われたのかも…。隣に青年がしゃがんでいた。
「あれが、見えるんだね」
彼が言ってきた。どういうこと?幻覚だと思っていたけど、違うの?見えているひとが他にもいるの?と頭が混乱する。青年の方を向いて言った。
「あなたも…?見えるの…?」
彼は一度、大蛇の方を見てから言った。
「ううん。見えない。でも…」
なんだ、と思ったがマリカが口を出す前に彼が言った。
「存在は知っている」
幻覚じゃないってこと?やっぱりいるんだ、他人にはみえない大蛇が…。さらに怖くなって床に手をついた。もう大蛇は見てられない、と床を見ていることにする。それでも、大蛇の周りに立ち込めているであろう煙が目に入ってきた。
「大丈夫。落ち着いて。気をしっかり持てば、大丈夫だから」
彼が言った。
「大丈夫ってどういうこと?」
聞いてみる。マリカが怯えているのが伝わったのか、彼は背中をさすってくれた。
「あれが、見えなくなるってことだよ。深呼吸して。落ち着いて。息を吐くことを意識するんだ」
ふー、ふーとゆっくり深呼吸する。過呼吸の対処法みたいだ、と思った。やっぱり幻覚なのかもしれない。気持ちの持ちようで、消えるものなのかと。
「まだ見える?」
少しして彼が聞いてくる。見えなくなっているとは思えないけど、本体に目を向けた。
そして息をのんだ。
「まだ…見える…」
実際見ると恐怖がより襲ってきた。
「どんな姿をしているか、教えてもらえる?」
彼が言った。
存在を知っていると言っても姿は知らないの?と思って聞いてみる。
「姿は、知らないの?」
「うん。教えてもらえる?」
あの姿は知らない方がいいのでは、と思いなんて答えるか迷っていると、彼が言った。
「そいつを倒しに来たんだ。僕、ハンターをしてるんだ」
そして、何かを鞄から出した。このひとが、あれをどうにかしてくれるってこと?とにかく怖いから、早く倒してほしいと思った。
「蛇よ。蛇みたいな感じ。周りに黒い煙が見える…。」
姿を伝えてみる。彼は倒し方を考えているみたいだった。彼はマリカの前に立ってくれたけど、それでもこっちを見ている。やっぱりあれは、彼には見えないんだ、と思った。
大蛇がシャーと大きく口を開けた。狙われているのは確実だ。
「ねぇ、シャーシャー言ってる」
さらに怖くなって、彼に言った。
「威嚇してるんだ」
彼は落ち着いて見えた。でも、次の瞬間、大蛇の顔が目の前にあった。
マリカは意識を失った。
気づいたら駅員室のベンチに寝かされていた。隣にはあの青年が立っていた。
「気づいた?起き上がって少し飲めるかな?」
そう言ってペットボトルのお茶を差し出してくれた。ゆっくり起き上がり、お茶を受け取った。なかなかボトルの口を開けられず、結局青年が開けてくれる。お茶を一口飲む。
はぁ、と息をついた。さっきのはやっぱり幻覚だったんだ、と思う。
「頭痛かったりしない?」
青年が聞いてくれる。
「うん、大丈夫そう」
「よかった」
と彼が笑顔を見せた。大丈夫そうですか。ああ、よかった、と隣で見ていた駅員さんも言ってくれた。
「ホームまで送っていくよ」
と彼が、駅員室から連れ出してくれた。ありがとうございました、と駅員さんに声をかける。
少し歩いた後、
「さっきのこと…、覚えているかな?」
ちょっと聞きにくそうに、青年が言った。
「少しだけ、話を聞きたいんだ。時間あるかな?」
そう続けた。
さっきって幻覚を見てた時のこと?と思う。少し記憶が蘇ってきた。このひと、ハンターとか言っていたんだっけ。あの大蛇は実在するってこと?また、恐怖が襲ってきた。
「そうだ、蛇がいて…!」
焦って言うと、落ち着かせるように彼が言葉を重ねた。
「大丈夫。竹さんが倒してくれたから。僕、リョウタ、ハンターをしているんだ。少し話そうよ。その方が、きっと落ち着くから。どこかのベンチに座ってもいいし」
マリカはなにがあったのか、教えてほしい、と思った。
「わかった。少し、話そう」
結局ふたりで駅ビルの中のベンチに座った。
「率直に言うと、あのモンスターは一部の人にしか見えないけど、存在してるんだ。あの時は言わなかったけど、狙われたら助けるのは僕には難しい。竹さんはすごい人で、たまたま来てくれて、ほんとによかったんだ」
マリカは話に驚きながらも黙って聞いていた。
「モンスターは、心がひどく落ち込んでる人とか、そういう負の感情が好きだと言われていて、そういう感情を持った人を狙うんだ。」
マリカは自分に心当たりがあるな、と思った。気持ちの落ち込みが激しい時がある。確かに今朝は特に。
「狙われた人にしか見えないの?」
リョウタに聞いてみた。
「見える人はいるみたい、狙われていなくても。でも、狙われたら絶対に見えるんだ。人間の本能かもしれないし、わからないけど」
マリカはリョウタに、なんか落ち着く雰囲気を感じていた。頼りになる、そんな雰囲気のあるひとだ、と思った。
「竹さんは、一度見えた人は狙われやすいんじゃないかって言うんだ」
ちょっと言いにくそうに、リョウタが言った。また、あれが襲ってくると思うと恐怖だ、とマリカは思う。
「そこで提案なんだけど、一緒に来ない?ハンターのことを学んで、万一のとき、自分の身を守れるようになったらいいと思うんだ」
マリカはその提案に飛びつきたくなった。
「うん。そうする。連れてって」
言っておいた方がいいと思って付け加える。
「今日は、というかこの頃特に予定があるわけじゃないの。浪人生をしているけど、受験も望みがあるわけじゃないし」
「じゃあ、このままついてきてくれる?事務所に案内するよ。みんなに紹介する」
少しうれしそうにリョウタが言った。
「私、マリカ。小林マリカ。よろしくお願いします。」
マリカが言うと、
「山口リョウタです。リョウタでいいよ」
そう、リョウタが言った。
1‐4 八重
アキラさんと巡回から帰ってきた八重は、遅刻しているリョウタのことが気になっていた。職業柄、何かあったのかもしれないとは思ってしまうのだ。アキラさんも心配そうにしている。そしたら、グループチャットにリョウタから連絡が来たのだ。
女の子を助けた。少し話してから行く。
遅刻の理由としては悪くないかもしれない。でも、女の子を助けたって何?と思う。
「何このメール!倒れている女の子でも拾ったっての!」
八重がぶつぶつ言っていると、アキラさんもリョウタからの連絡に気づいたようだった。
「まあ。無事がわかったんだから、ひとまずよかったじゃないの」
アキラさんが言う。やっぱり心配していたんだ、と八重は思った。
「アキラさんはいつも優しいんだから…。」
八重が言うと、
「ひと先ず待ってみよう。」
そうアキラさんが言った。
しばらくして、
「おはよー」
何もなかったようにリョウタがやってきた。八重は心配をかけられたことに少し怒っていたから、そんなリョウタに挨拶を返さず睨みつけた。
「あぁ、よかった。大丈夫だったんだね」
アキラさんが声をかける。やっぱり優しすぎる、と八重は思った。
まさかの、後ろに女性がついてきていた。20歳くらいか、まだ若い女性だった。170cmくらいある、背は高いが、細身の女性だった。長めのスカートを履いていて、おとなしそうな雰囲気が醸し出されていた。
「おはよう。あれ、どなた?」
アキラさんが聞いた。
女性はなんて答えようか迷っているみたいだった。その間にリョウタが答える。
「アキラさん、この子マリカちゃん。取り込まれたところを、竹さんが助けたんだ。…見えるんだよ」
何が、とは言わないが暗黙の了解だ。それより気になることがあった。
「竹さん⁈竹さんに会ったの?どこで?」
八重は竹さんと会ったことがない。ハンターとしてすごかった、という噂は聞いていても、八重がここに配属になったときには、竹さんが引退したときだったので入れ違いになってしまっていた。
「新宿駅の地下道、でもすぐどっか行っちゃって。全然話せてないんだけど。僕らを避けてるかな?」
質問した八重にではなく、アキラさんにリョウタは言った。そのリョウタの対応に少しむっとする。アキラさんと竹さんは仲が良かった、という話は八重も聞いたことがあった。
「避けているかもね。全然連絡よこさないし。でもたまにはこっちを見に来ているんだね。一応は、気にしてくれているのかもしれない」
アキラさんが言った。
八重はリョウタの発言を思い返した。「取り込まれたところを、竹さんが助けた」、あれ、と思う。
マリカちゃん、という子に向き合って聞いてみる。
「殺されに来たの?」
「え、まさか?」
心底驚いた、という顔でマリカが口を覆った。
「違うよ。もう大丈夫だから。モンスターは竹さんが倒してくれたんだ。」
横からあきれ顔でリョウタが言った。なんだ、と思う。私がこの子のことが見えているんだから、モンスターに取り込まれていないということか。
「ふーん。でもまたすぐ襲われるんじゃない?」
おとりとして連れてきたのかも、と思いながら言った。
「そういうこと言うから、襲われるんだから!」
不謹慎なことは言うな、というようにリョウタが言う。
「そう。だから、だから狙って近づいてきた奴を倒せるくらいになりたいの。私も倒せるようになるかな」
マリカが言った。正直、驚いた。アキラさんも驚いたみたいだった。この子はただ守られに来ただけじゃないんだ、と。
「うん!」
それをマリカの隣で聞いていたリョウタが大きく頷いた。
それに対抗して八重も言った。
「いいよ!鍛えてやるから」
それを聞いていたアキラさんに笑われた。アキラさんがマリカに言う。
「うん。気持ちは分かった。見える分僕たちより早く狙えるから、いいと思うよ。」
マリカがほっとしたようにうなずいた。
「私、八重。鈴木八重」
「長谷川アキラです。みんなアキラさんって呼んでくれる」
八重に続けて、アキラさんも名乗った。
「小林マリカです。よろしくお願いします」
マリカが名乗る。
「マリカね。OK。私たち、仲良くなれそうな気がする。」
八重は言った。本心だった。優しそうなかわいい笑顔の子だなと思った。
「ありがと。うれしい」
うれしそうにマリカが言った。