色を与えてくれた人
今日は、ゴロクがノルド城へ戻る日だった。
それまでの数日間、シリは娘たちと束の間の自由を味わっていた。
朝食だけでなく、夕食も共に囲む日々。
妃としての役目を忘れ、ただの『母』として過ごす、ささやかな休息の時間だった。
だが、もう終わりだ。
今日から再び、あの『仮面』を被らねばならない。
昼過ぎ、ゴロクが城に到着した。
馬車から降りた彼は、門前に立つシリを見つけると、ふっと表情を和らげた。
黒のドレスをまとい、静かに微笑むシリ。
その姿を目にしたとたん、ゴロクの頬にわずかな紅が差した。
「付き添いの許可、ありがとうございます」
隣で頭を下げたのは、年長の妾・ドーラだった。
「ドーラ、あなたならきちんと応対してくれたと信じてるわ」
シリは優しく、どこか女神のような笑みを浮かべた。
「ゴロクも、満足しているでしょう」
「はい」
ドーラは恭しく頭を下げた。
◇
日が暮れ、夕食を終えた頃。
シリが部屋でマサシへの手紙を書いていると、扉が二度、控えめに叩かれた。
開けると、そこにはゴロクがいた。
頬をわずかに赤らめ、彼は言葉を探すように視線を彷徨わせている。
その手には、布に包まれた大きな包み。
「これは・・・?」
シリが小さく首を傾げた
ゴロクは、すすめられるまま椅子に腰を下ろした。
どこか緊張した面持ちで、背筋がぎこちなく伸びている。
エマが茶器を置き、静かに一礼して部屋を後にした。
部屋にふたりきりになると、沈黙が一瞬、重く流れる。
「・・・開けてください」
ゴロクの声はかすかに震えていた。
緊張からか、それとも何かを恐れているのか。
シリは包みに手を伸ばした。
そっと布をめくると、その途中でふと動きを止める。
現れたのは、色とりどりのドレス用の布地。
艶やかすぎず、けれど明るい色合いのものが、五種類ほど折り重なっている。
「ゴロク・・・これは?」
「・・・シュドリー城に、洋品店の店主がいまして」
その言葉に、シリの脳裏に、あの商売上手な店主の顔がよぎった。
――ああ、きっと彼が勧めたのだ。「奥様にどうぞ」と、逃がさぬように。
「こんなにたくさん・・・」
シリは布を指先でそっと撫でながら、目を伏せた。
「洋品店の店主が・・・いろいろ見せてくれて、迷いました」
ゴロクは、恥ずかしそうにつぶやく。
「私はもう、ドレスは十分あります・・・この美しい生地は、娘たちに使わせて」
そう言いかけた言葉を、ゴロクの低い声が遮った。
「シリ様は・・・いつも黒のドレスしか着ない」
その言葉に、シリは思わず顔を上げた。
黒。
確かに、グユウを失ってからというもの、喪に服すように黒ばかりを選んでいた。
それが無意識のうちに、彼女の日常となっていた。
まさか、この人が――そんなことに気づいていたなんて。
「・・・私は、その・・・」
ゴロクは少し言い淀みながら、それでも真っすぐに言った。
「・・・その布で仕立てたドレスを、あなたが着てくれたらと、そう思ったのです」
その言葉はシリの胸に、何かがやわらかく触れた。
「ゴロク・・・」
「姫様たちの分は・・・すでに他にもたくさん買いました」
「・・・え?」
娘たちの分も?
「受け取ってもらえますか」
その言葉に、シリは布の感触を確かめるように、そっと目を落とす。
――彼は、どんな顔で、この布を選んだのだろう。
無骨で、女の装いなど関心がないと思っていた男が、
こんなふうに、彼女の『色』を取り戻そうとしてくれた。
贈り物よりも――その気持ちが、ありがたかった。
「娘たちの分も・・・」
そう呟いたシリは、ふっと笑みを浮かべた。
「・・・あの店主、きっと喜んでいたでしょうね」
軽く肩をすくめるようにしてそう言うと、ゴロクは照れくさそうに苦笑いを浮かべた。
「・・・ゴロク、本当にありがとう」
シリは改めて布地に目を落とし、そっと手のひらで撫でる。
柔らかく、温かい色の布。
それは、今の彼女の心にも似ていた。
「明日、仕立て屋を呼んで、ドレスを作ってもらうわ」
そう告げた声には、どこか照れと、静かな喜びが滲んでいた。
その言葉を聞いたゴロクは、言葉にはせず、ただ深く頷いた。
嬉しさが滲んだその表情は、どこか少年のようでもあった。
シリは布をそっと抱え、棚にしまった。
そして、戸惑うように別の引き出しを開けた。
「それと、もうひとつ」
次回――
届いた手紙、差し出された手。
シリの胸に灯ったのは、恋ではない、けれど確かな信頼。
静かに向き合うふたりの夜に、心が、そっとほどけていく。
明日の20時20分 よろしいですか。色を与えてくれた夫と第二の初夜
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このお話は続編です。前編はこちら お陰様で十万六千PV突破
兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。
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