妹君は、美しくも戦場を操る者
「あのゼンシ様の妹が、どんな女なのか・・・興味があるな」
かつてワスト領攻めに参加した、苛烈な第一線の騎士――ビルが、隣のゴロクへ低くつぶやいた。
彼は、シリの顔をまだ一度も見たことがない。
だが、ワスト領の戦で散々に振り回された記憶がある。
攻城戦では、熱湯や糞尿を浴びせられ、武具に染み込んだ臭気は何度洗っても取れなかった。
さらに、堀を拡張して足止めを図るなど、さまざまな戦術で多数の兵が死傷した。
「女がそんな戦術を・・・魔女か化け物かって話だ」
そこへ、木製の扉が音を立てて開き、ビルは口をつぐむ。
ゴロクも姿勢を正した。
最初に現れたのは、領主・ゼンシ。
場内に歓声が上がる。
小麦のような金髪、鋭い青い瞳、背の高い痩身。
歩くだけで空気が張り詰める。圧倒的な存在感を持つ男だった。
奇抜な策を用い、圧倒的なカリスマで家臣を従わせる男。
その姿を、家臣たちは畏敬と恐れの入り混じったまなざしで見つめていた。
続いて入場したのは、ゼンシの妻と息子、母、弟。
そして最後に――シリが姿を現す。
波のようにざわめきが広がった。
長身に、金を溶かしたような髪。切れ長の青い瞳。
その美貌は、モザ家の血を最も濃く受け継いでいると噂されるほどだった。
「・・・あれが、妹?」
隣でビルが息をのむ。
目を見開き、絶句している。
「そうです。大変お美しい方でしょう」
ゴロクは落ち着いた声で答える。
シリは顎を少し上げ、アイスグレーのドレスをまとい、堂々と歩く。
その姿には、ゼンシにも劣らぬ威厳があった。
「まさか、あの見た目で・・・あの戦術を?」
「ええ。容姿に反して、まるで騎士や領主のような胆力を持った方です」
⸻
グラスの音、家臣たちの談笑、交わされる挨拶の声が響く祝宴のホール。
その賑わいの裏で、ユウとシュリは控室に忍び込んでいた。
「・・・ユウ様、帰りましょう」
シュリが不安げに囁く。
「まだよ」
ユウはわずかに扉を開き、ホールを覗き込んだ。
凛とした正装の母、そして――
叔父ゼンシの姿。
彼は父と兄、祖父母を殺した張本人。
けれど、その冷酷な青い瞳の奥に、何か抗えない魅力を感じてしまう。
ユウは目が離せなかった。
⸻
一方、家族席に着いたシリは、周囲の視線に晒されていることを痛感していた。
ふと、ワスト領の控えめなホールを思い出す。
顔馴染みの気心が知れた家臣。
そして・・・夫グユウが、いつも隣にいた。
グユウを見つめると、
彼は少しだけ目元を下げて、優しく声をかけてくれた。
『どうした』
会いたい。
グユウに会いたい。
ワスト領に帰りたい。
・・・帰れないのだ。
突然、目頭が熱くなり、シリは必死で瞬きをした。
「シリ姉、ちゃんと食べてる?」
ゼンシの長男・タダシと次男・マサシが、両隣に座る。
泣きそうな顔を見せまいと、シリは少し硬い声で応えた。
「食べているわ」
「パンなら、どう? スグリのジャム好きだったよね」
「少しは食べた方がいいよ」
2人の気遣いに、シリはようやく微笑み、パンを手に取った。
「・・・キヨシがいないのは、残念だわ」
シリがつぶやくと、マサシが静かに答える。
「キヨシも、シリ姉に会いたがってたよ」
「なぜ、兄上は彼を養子に出したの?」
「キヨに子がいなかったからさ。父上の判断だよ」
「・・・キヨ」
シリの表情が曇る。
キヨ――ワスト領の現領主。
夫を死に追いやり、愛しい子を失わせた男。
今や、憎しみの対象だった。
「噂をすれば・・・見てるよ、キヨ」
タダシがささやく。
重臣席で、キヨがぼうっとシリを見つめていた。
「俺たちじゃない、シリ姉を見てる」
「・・・相変わらず、気味が悪い」
シリは冷たく睨み返した。
だがキヨは、その視線さえも喜んでいるようだった。
「すごいね、あれだけ嫌われて嬉しそうなんて」
マサシが笑い、タダシが苦笑した。
⸻
重臣席では、キヨが目を見開いてシリを見つめていた。
「兄者、怒ってますよ」
隣の弟エルが声をかける。
「・・・怒った顔も美しい」
夢見るようにキヨは言う。
エルは大きくため息をついた。
自分まで憎まれるなんて――完全なとばっちりだった。
⸻
宴も終わりに近づき、ゼンシが立ち上がる。
静かに控室へ向かって歩き出した。
「隠れましょう」
シュリはユウの腕をつかみ、柱の陰に身をひそめた。
だが、ゼンシは控室に入らず、柱の前に立つ。
「また盗み見か」
低く冷たい声が、2人の背筋を凍らせる。
「出てこい」
シュリとユウは、おずおずと柱の陰から姿を現した。
ゼンシは赤いマントを羽織り、腕を組んで彼らを見下ろしている。
「シリを呼べ」
家臣に命じるその声は、氷のようだった。
次回ーー明日の10時20分
祝勝会の華やぎの中、姿を現したシリに視線が集まる。
冷酷なゼンシ、執着のキヨ――そして柱の陰で震えるユウとシュリ。
氷のような声が告げた。「シリを呼べ」――宴は緊張に染まる。
「特別な子」
続きが気になった方はブックマークをお願いします