その目に、宿る覚悟
早朝、朝靄の立ちこめるノルド城の馬場。
冷たい空気の中、木剣のぶつかり合う音が乾いた音を立てて響いていた。
重臣ジャックの太い声が、その音をさらに裂く。
「もう一度! 構えが甘い!」
少年の腕から振るわれた木剣は、確かに勢いを持っていたが、芯がなかった。
力任せに打ち込むたびに、肩がぶれ、足元も揺らいでいた。
「その程度では話にならん!」
ジャックの指導に、シュリは歯を食いしばりながら黙って頷く。
額から汗が滴り落ちる。
朝日が昇りきる前に始まった訓練は、すでに一時間以上続いていた。
息は上がり、腕は痺れている。
「構え直せ、もう一度!」
「はい!」
振り上げた木剣は空を切り、次の瞬間、ジャックの剛腕が振るった木剣が、それを見事に打ち払った。
ドン、と重たい音を立てて、シュリは地面に尻餅をついた。
「・・・くっ」
膝に手をつきながら、口元をきゅっと結ぶ。
涙はない。
苦しさと悔しさを飲み込みながら、ゆっくりと立ち上がった。
ーーあの人の隣にいたいなら――弱くてはダメだ。
シュリは、唇を結び直した。
「立て、まだ終わっておらん」
ジャックの声は冷たく厳しいが、そこに侮蔑の色はなかった。
◇
「・・・本気なんだな、あの少年」
馬場の端、柵に肘をかけながらノアがぽつりと漏らした。
空がようやく白みはじめたころだった。
ジャックは腕を組んだまま、動かずに頷く。
視線の先には、土の上で息を荒げるシュリの姿。
「真剣そのものだ。昨日、あいつに聞いたんだ」
「なんと?」
「“ユウ様を守れる男になりたい”――そう言った」
ノアは目を細める。
風が吹き、肩掛けがはためいた。
「・・・姫の、乳母子か。姫に男の乳母子なんて、そうそう見ないな。
ただの子守りじゃ、そばにはいられんだろう」
「だからこそ、あの子なりに焦ってるのかもしれん。肩書きも、剣も、家柄も何もない。
けど――引き返す気もない」
シュリがふらつきながらも立ち上がる姿を見て、ノアは眉を寄せた。
「それにしちゃ、随分しぶとい。もう何度も倒されてるのに、泣きもせずに立ち上がる」
ジャックがふっと鼻を鳴らした。
「弱いくせに、諦める顔じゃない。あの目は――ワスト領のグユウ様を思い出す」
ノアの目が、驚きにわずかに見開かれた。
「あの、寡黙な領主・・・か。無駄口ひとつ叩かず、戦場を駆けた男」
「ああ。口は利かなくても、剣を交えた者は知ってる。
あの男の『静かな意地』と、――覚悟の重さを」
ノアはしばし黙りこくった。
馬場に響くのは、再び立ち上がったシュリの息と、木剣を構える気配。
震える腕、にじむ汗、それでも立ち上がる姿。
「優男に見えるが・・・芯は強い」
「折れてたら、あの姫のそばにはいれないだろう」
ジャックは目を細め、しばらくその小さな背中を見つめていた。
「いずれ、あの目がどんな“覚悟”を宿すか・・・見ものだな」
その声は、静かで、それでいて確かな期待を含んでいた。
あの目の先にいる少女が、どれほどの覚悟を試すのか。
――それを知るのは、もう少し先の話だった。
次回ーー
ノルド城の朝は、あまりにも静かだった。
誰の声もせず、温かな食事も味がしない。
――子どもたちと、朝を共にしたい。
その小さな願いが、やがて城全体を変えていく。
冷たい規律の中で、シリは“母”として、“妃”として、
もう一度、生きる意味を見つけようとしていた。
登場人物
ジャック:シズル領の重臣。腕の立つ武人で、剛胆かつ誠実。若者の指導にも厳しく情がある。
ノア:シズル領の重臣。穏やかで聡明な知将。戦略眼に優れ、ジャックとは旧知の仲。
シュリ:ユウの乳母子。姫を守るため、武を磨き続ける少年。
明日の20時20分 静かなる城で妃が声を上げる
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この話の前の話 お陰様で10万PV突破しました。
兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。
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