銀のドレスと反骨の瞳
あれから一月が経った今も、痛みは消えていなかった。
烈しい苦悶の焔は燃え尽き、その灰が灰色となってシリを覆っていた。
「苦しすぎて・・・生きていくのが怖いの」
泣き腫らした目で、シリはエマに打ち明けた。
「いつまでも、そんなに辛い気持ちは続きませんよ」
エマは精一杯の慰めを口にする。
「シンがシズル領のどこかにいるのなら心配だけれど、この世のどこにもいないなんて・・・信じられない」
シリの声は震えていた。
「そのお気持ちは、よく分かります・・・姫様方のためにも・・・」
エマは言葉を継げなかった。
愛する夫を喪い、幼い命までもが奪われた。
シリの胸中を思うと、簡単に慰めの言葉など出てこない。
「レイ様が笑っています」
控えていた乳母のサキが、そっと声をかけた。
沈むシリを何とか励ましたい――そんな周囲の想いが、シリには嬉しかった。
まだ何も知らぬ赤子のレイは、無邪気に笑っていた。
シリはそっと、温もりあるその小さな身体を抱きしめた。
レイの黒い瞳は、亡き夫と義母、そして失った子供たちと同じ色をしている。
「生きていかないと・・・子供たちのためにも、生きなければ」
シリは身を震わせながら、レイを見つめる。
グユウと交わした約束があった。
子供たちを育て、セン家の血を未来へと繋ぐと――
シンの死は、ユウとウイの心にも深い影を落とした。
泣き続ける我が子たちのために、シリは昼間、忍耐を纏う。
だが夜になれば、その鎧は外れ、ベッドの中で涙が頬を濡らした。
やがて涙さえも枯れ果てたとき――
小さな棘のような痛みが、心に残された。
それは、死ぬまで抜けぬ痛みだった。
「シリ様、今夜の祝勝会にはこのドレスを」
エマが差し出したのは、仕立てたばかりのアイスグレーのドレスだった。
シリは渋い顔でそれを受け取った。
シンの死から一ヶ月。
ゼンシ率いるミンスタ領は、またひとつの強領を打ち破った。
シュドリー城は、活気と喜びに包まれていた。
今宵は盛大な祝勝会が開かれる。
「行かないと・・・駄目かしら」
浮かない顔で、シリが呟く。
「シリ様はゼンシ様の妹です。家族席にいないと」
エマは優しく説得する。
「こんな状況で、笑えるかしら・・・」
ため息混じりに、シリは目を伏せた。
「笑わなくても、参加することが大切です」
エマの言葉は正しかった。
祝勝会は、ゼンシが仕掛けた舞台でもあった。
生家に戻ったシリを公に披露し、新たな縁談を得ようとしているのだ。
亡き叔母の姿が、シリの脳裏をよぎる。
ゼンシの命で4度も政略結婚させられ、最後には命を落としたあの人。
――私も、同じ運命を辿るのだろうか。
物思いに沈むそのとき、明るい声が響いた。
「母上、ドレス着るの見てもいい?」
次女ウイの声に、シリははっと顔を上げる。
群青の瞳を輝かせたウイに、シリは微笑んだ。
「いいわ、見ていて」
母の装いを目にするのは、ウイにとって何よりの楽しみだった。
粗末な黒衣を脱ぎ、シリは新しいドレスに袖を通す。
首と袖口に銀を散らしたその衣は、金の髪と青い瞳によく映えた。
「とてもお似合いです」
エマが嬉しそうにボタンを留める。
仕立て屋が祝勝会に間に合うよう、全力で仕上げたものだった。
「母上、綺麗・・・本当に綺麗」
ウイがため息混じりに呟いた。
シリは、久々に微笑んだ。
胸が張り裂けそうでも――その笑顔は、偽りではなかった。
心からの賛辞は、慰めよりも心に沁みた。
鏡の中の自分を見て、シリは思った。
ーーこの姿を、グユウに見せたかった、と。
控室に向かう廊下で、すれ違う人々は自然と道を開ける。
誰もが一瞥し、彼女の姿に目を奪われた。
シリにまつわる逸話は、すでに国内に知れ渡っている。
ワスト領の妃として、重臣三名を引き連れミンスタ軍に立ち向かったこと。
そして別れの時、重臣ゴロクとキヨを跪かせ、グユウに抱きつき唇を重ねたこと――
当時理想とされた女性像は、
「疑問を持たず、口を慎み、微笑むこと」だった。
シリの行動は異質だったが、グユウはそれを好んだ。
彼女の美貌も相まって、人々の視線は常に注がれる。
ーー後悔はしていない。
もう、この注目にも慣れた。
控室の前で、ひとつ深呼吸をする。
この扉の向こうで、何人の目が私を値踏みするのだろう。
見た目も、態度も、指輪さえも。
――でも、それでいい。私は誇りを持って立つ。
あの図書室以来、ゼンシとは顔を合わせていない。
自分の態度を詫びるつもりなどない。
だが、気まずさは残る。
部屋に入ると、一族の視線が一斉にシリに向けられた。
ゼンシをはじめ、妻や子、弟、母――皆が暖炉の周りに集っていた。
赤々と燃える炎が、彼らの姿を神々しく照らす。
「シリ姉、よく似合ってる」
ゼンシの長男タダシの優しい声に、少しだけ心が緩む。
シリはゼンシの前まで歩み寄り、足を止めた。
「兄上、素晴らしいドレスをありがとうございます」
堅い表情で、頭を下げる。
ゼンシは抜け目ない眼差しでシリを見つめ、左手の薬指に留まる。
指輪はまだそこにある――外さない。
私は、兄の言葉に従うつもりなどない。
まだ、再婚する気などないのだから。
それをわからせるためにも。
シリの瞳の奥には、従順な態度の裏に燃える反抗の火が宿る。
「勝利、おめでとうございます」
顎を上げて、祝いの言葉を述べた。
ゼンシは楽しげに身を乗り出し、微笑んだ。
その笑みは、シリにはあざけるように見えた。
だが実際のゼンシは、赤旗を背にしたシリの美しさに、ただ感嘆していたのだった。
「それでは、行くぞ」
ゼンシが立ち上がると、空気が引き締まった。
明日の9時20分 盗み見