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私はもう女ではない。母として歩むだけ

シュドリー城を発つ日が、ついに明日に迫っていた。


結婚の支度は進んでいたが、城内にはどこか張り詰めた空気が漂っていた。


その午後、シリとマサシは、城の奥のバルコニーで静かにお茶を飲んでいた。


「シリ姉・・・」

マサシは小さく声をかける。


マサシの声かけに、シリは顔を上げた。


「シリ姉には、穏やかに過ごしてほしかった・・・。こんな状況になってしまって、本当に申し訳ない」

マサシの眼差しには、深い痛みが滲んでいた。


本当なら・・・辛い経験をしたシリには穏やかな日々を送ってほしかった。


その暮らしは、父と兄はさせてあげることができる。


自分では・・・できないことなのだ。


領務に追われる日々の中で、マサシは自分の器の限界を痛感していた。


「マサシが謝ることではないわ。

私も子供たちも、この9年間、城に守られてきた。・・・恩返しをしないと」

シリは毅然とした眼差しで言い返した。


その言葉が、かえってマサシの胸を締めつけた。


グユウを喪ったあとも、まだ愛を残したまま、再び、他の男のもとに嫁がねばならぬ運命。


その相手は、重臣として知られるゴロクーー

だが、本当にシリを幸せにできるのか。

確信など、どこにもなかった。


「でも・・・」


「マサシ、モザ家を背負うなら、そんな事を口にしてはいけないわ」

夕風に髪を靡かせながら、シリは甥をまっすぐに見つめる。


「モザ家はいま、崩れかけているのよ。このままではキヨに乗っ取られるわ」


ハゲネズミのようなキヨ。

かつては貧しい領民にすぎなかったはずが、ゼンシの仇を討ち、

その名を高め、今では領内でも大きな力を持ち始めている。


そのキヨに対抗するためーーシリはゴロクに嫁ぐのだ。


「負けてはダメよ」

シリの瞳が甥を強く見据える。


「たとえ力は及ばなくても、心が折れてはダメ。

キヨは狡猾よ。それに負けてはダメ」


その言葉に込められた強さ。

その眼差しに宿る意志。



マサシは言葉を失った。


シリ姉がもし男だったなら、立派な領主になっただろう。


モザ家の名のもとに、何度も運命に弄ばれ、それでも顔を上げて前に進むーー


その姿に、マサシはただ、黙って手を握った。

そして心のなかで、何度も詫びた。


その冷たい手は、わずかに握り返してくる。


「マサシ、共に頑張りましょう」

戦士のような瞳をした叔母を見つめながら、マサシは深くうなづいた。



あくる日、夜明けとともにシリは目を覚ました。


シュドリー城を出て、これからシズル領に旅立つ。


エマが着替えを手伝ってくれる。


「シリ様・・・本当にこのドレスで良いのですか?」

エマはボタンを止めながら、不安そうに尋ねた。


シリが選んだドレスの色はアイスグレーだった。


婚礼のために旅立つ日なのに・・・あまりにも地味だった。


「私は34歳よ。華やかなドレスを着るような年頃ではないの」

シリは淡々と話す。


「そうですが・・・」


「ゴロクの城に嫁ぐ日は、あの紫色のドレスを着るわ」

シリは虚な表情をする。


シリの話し方は、不愉快で嫌な事だか、しなければならないことだから、するという冷静な気持ちが滲み出ていた。


それでも、その淡いアイスグレーのドレスは、まるで氷の花のように、

どこか神秘的な美しさを湛えていた。


廊下を歩くシリの姿に、侍女たちはひと目見て息を飲む。

そして、黙って頭を下げた。


城門の前には、見送りの人々が集まっていた。


子供たちも並び、荷馬車が列をなす。


「マサシ、行ってくるわ」

毅然とした眼差しで甥に告げる。


「シリ姉、頼む」

マサシは切なそうにうなずいた。


シリはその瞳に応えるように深く頷き、場所に乗り込んだ。


その背中に、幾つもの視線が注がれていた。


ーー私は、もう女ではない。

母であり、政の駒なのだ。


それでも、意志を持って歩いて行こう。


シリは心の中で、誰にも聞こえぬ声で、そう誓った。



馬車の中では、3人の娘が寄り添っていた。


「母上・・・お綺麗だったわね」

ウイがポツリとつぶやく。


「これから、どんな暮らしになるのだろう」

レイは揺れる馬車の中で小さくつぶやいた。


「わからないわ・・・でも、私たちも・・・頑張りましょう」

ユウは窓の外に目を向けた。


その隣を、馬に乗ったシュリが付き添っていた。


陽に照らされた肌、たくましい肩、手綱を操る姿が眩しい。


風に揺れたその横顔をユウは、じっと見つめる。


・・・好き。


その言葉が、ふいに胸の奥から溢れた。


ーー私・・・シュリが、好き。


呟いた瞬間、心の中がひどく静かになった。


すべてが、透明になったような気がした。


ずっと名前のなかった感情に、ようやく名前がついた。


けれどその瞬間、なぜかすべてが怖くなった。


誰にも知られてはいけない。


母にも、妹たちにも、ヨシノにもーー


次回ーー


ワスト領に到着したシリ。

9年前の記憶がよみがえる夜、かつての重臣カツイとの再会が待っていた。

そして――「明朝、共に乗馬を」と告げられる。

その先に広がるのは、懐かしさか、それとも運命の岐路か。


明日の20時20分 愛しい人がいた場所

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テンプレ0の処女作

兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。


▶︎ https://ncode.syosetu.com/n2799jo/

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