なぜ、殺したの?
「・・・ものすごい本だわ」
ユウのつぶやきが、静まり返った空気に溶け込んだ。
静寂の中に、紙の匂いと、石の冷気があった。
書棚の間を縫うように歩いていたユウは、棚の上部に並ぶ本を見上げていた。
「・・・母上が、子どもの頃に入り浸っていたって」
背後からそっとついてくるシュリにそうつぶやく。
この城に来てから二ヶ月。
ここは、母が育った場所であり、同時に“父を殺した兄”が治める場所でもある。
だからこそ、ユウの胸には、入り込めない感情があった。
――けれど、知りたい。
母が過ごした時間を、少しでも。
広大で重厚な石造りの城。
見上げるほどの天井、高価な調度品、そして書物がぎっしりと並ぶ書架。
ユウは好奇心旺盛な性格を抑えきれず、シュリの忠告を無視して今日も新たな部屋へ足を踏み入れた。
棚の前に立ち尽くし、天井近くまで並ぶ書物にため息をつく。
その中に、見覚えのある背表紙があった。
「この本・・・母上の本棚にあったわ」
手を伸ばして本を取ろうとした、そのときだった。
カツン、と扉の外から靴音が響き、複数人の話し声が近づいてきた。
「誰か来ます」
シュリが小声で囁き、ユウの腕を引いて厚いカーテンの陰に引き込んだ。
次の瞬間、扉が開き、足音が室内へと入ってくる。
カーテンの隙間から覗くと、入ってきたのはゼンシとその息子たちだった。
ーー叔父上・・・!
胸が締めつけられる。
この城に来てからというもの、叔父ゼンシと顔を合わせることはほとんどなかった。
父を殺した男の姿を目にするだけで、ユウの表情は鋭く強張る。
ゼンシの後ろにいるのは、彼の息子たち――つまりユウにとっての従兄弟たちだった。
一人はユウと同じ、黄金の髪と深い青の瞳。
もう一人は、柔らかく波打つ栗色の髪に水色の瞳。
ゼンシは一冊の分厚い本を手に取り、それを息子たちに見せた。
「この本には、争いの基本が記されている。お前たちは読んだことがあるか?」
息子たちは同時にうなずいた。
ゼンシは少し驚いたように目を見開く。
「昔・・・寝る前にシリ姉が、よく読んでくれたんです」
金髪の青年、長男のタダシが答える。
背筋は伸びていて、立ち居振る舞いにはどこか品がある。
「何度も繰り返し」
次男のマサシが気軽な口調で言った。
腰に手をあて、どこかふざけたような笑みを浮かべている。
けれどその目は、兄と違って本にではなく、父の反応をちらちらと伺っていた。
「・・・あいつが、か」
ゼンシは小さく笑みを漏らす。
幼くして母を亡くした彼らに、姉であるシリが代わりに母として接してくれていたのだ。
「明日から争いが始まる。・・・もう一度、読め」
ゼンシが命じたその直後、遠くから、石畳を叩く靴音が響き始めた。
その足音は、誰よりも聞き慣れた――けれど、今は違う音に思えた。
――そう気づいた瞬間、扉が荒々しく開かれた。
「・・・兄上・・・」
ユウが目を向けると、そこに現れたのは――母だった。
肩で荒く息をし、鋭い視線でゼンシを睨みつけている。
そのまま一歩、二歩とゼンシの前へと進み出た。
握りしめた羊皮紙。
細い肩が、かすかに震えている。
「シリ、何か用か」
ゼンシが顎を上げて言う。
「兄上・・・」
シリの手が震えていた。
その目に宿るのは、深く強い怒りと、抑えきれぬ悲しみ。
「・・・なぜ」
声が震える。
「シンを殺したのですか?」
シリの声が、低く、けれど確かに空気を切り裂いた。
ゼンシは、瞬きすらせずに彼女を見返す。
図書室の奥。
カーテンの陰で震えるユウの手を、シュリがそっと握りしめた。
目の前にある問いは、誰もが心の奥で感じていたものだった。
けれど、それを言葉にしてしまった瞬間──
空気は、もう元には戻らなかった。
明日の9時20分 裏切り者の長男の末路
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