母の面影、執念の眼差し
◇ ノルド城前 キヨの本陣
サムは落ち着き払って、キヨに報告をした。
「女性達を城外に連れ出すことができました」
サムの報告に、キヨの顔がぱっと輝いた。
「ようやった!ようやった!」
安堵の息をつき、口元に笑みを浮かべる。
「あの血筋を、絶やしてはならぬからのう」
満足げに頷きながらも、その茶色の瞳の奥には、常人には理解できぬ奇妙な光が宿っていた。
サムの報告に、隣のノアもほっと安堵の息をついた。
ーー少なくとも、シリ様と姫様たちは守られた。
だが、その空気は次の瞬間に濁る。
「ようやく・・・シリ様が、この手に」
低く呟いた声に、ノアは一瞬だけ目を伏せた。
キヨの脳裏には、若き日の出会いが甦る。
決して手に入れることの叶わなかった女の面影。
今もなお焼き付いて離れぬその幻影が、彼の目を狂おしく光らせていた。
戦のさなかに女の名を口にするなど、本来なら軽率なこと。
だが、キヨの声は真剣そのものだった。
「ゼンシ様の妹にして、あの気高さと美しさ・・・わしがどれほどの年月、その姿を忘れたことはない」
唇がわずかに歪む。
その表情に、弟のエルは深いため息をついた。
彼にとっては、シリを手に入れることは、戦に勝つこと以上の愉悦でもあった。
「ようやくだ。ようやく・・・」
その低い呟きを繰り返すキヨに、ノアは思わず目を逸らし、顔を引き攣らせた。
ーーこれは想いではない。執着だ。
胸の奥に冷たい戦慄が走った。
◇ 三姉妹 馬車の中
三姉妹を乗せた馬車は、静かに動き始めた。
車内には重苦しい沈黙が漂う。
石畳を叩く車輪の音に合わせて馬車が揺れるたび、ウイとレイは肩を寄せ合った。
ユウは唇を噛みしめ、背筋をまっすぐに伸ばして座っていた。
「姉上・・・」
ウイが震える声で口を開く。
涙に濡れた瞳が、向かいに座るユウを見つめた。
「立派な対応でした・・・私には、とてもできないことです」
隣のレイも、黙って頷いた。
「・・・そんなことないわ」
ユウは静かに言葉を返す。
「私がしたことは、母上の真似にすぎないの」
「とても・・・そうは見えなかった」
レイが小さく呟くと、ユウは微笑んだ。
その笑顔は、まるで母シリの顔そのものだった。
ーー姉上は、急に大人になった気がする。
レイはその横顔をじっと見つめ続けた。
「こうして三人で馬車に乗っていると・・・レーク城の時を思い出すわね」
ウイがぽつりと呟く。
レイは首を傾げた。
あの時、自分はまだ赤子で記憶がない。
「レーク城を逃げ出した時、馬車にいたのは私たちと・・・ヨシノとシュリだったわ」
ユウが補足するように語る。
ーーそうだ。泣き叫ぶウイをヨシノがあやし、泣きじゃくるユウの手をシュリが握ってくれていた。
その傍らで、レイは騒音の中でもぐっすりと眠っていたのだ。
その時、前を走っていた馬車には母とエマが乗っていた。
そして今、母はあの城に残っている。
「・・・私たちは、父上だけでなく、母上も失うのね」
ユウがかすかに呟く。
再び馬車に沈黙が落ちた。
外の気配が怖くて、誰も声を出せない。
馬車は城門を出た。
ユウは窓から遠ざかるノルド城を見つめていた。
夜の闇は薄れ、東の空が白く染まり始める。
屋根の端に射す光は、まるで金色の縁取りのようで、城をいっそう美しく見せていた。
ーーあの城に、母上がいる。
声をあげたくても、喉がつまって出なかった。
泣き続けるウイとレイを見ると、今は泣けないと思う。
ユウの手は膝の上でギュッと握りしめた。
ーーどうして、こんなに辛い目に遭うのだろう。
目の前で泣いているウイとレイを見つめ、シュリは隣に座るユウの横顔をちらりと見た。
この姫たちには、いつも悲しい出来事ばかりが降りかかる。
助けたくても、どうすることもできない。
ユウの心は崩れそうになっている。
この場で手を繋ぐことはできない。
だから、シュリはそっとユウの震える背中に手を添えた。
ーー私がそばにいます。
言葉にはできなくても、その温もりで伝えたかった。
その手が背中に添えられた時、ユウは静かに息を呑んだ。
ーーわかってくれている。
泣いてはいけない自分の立場を。
シュリは、わかってくれている。
その温もりに。
暖かな澄んだ茶色の瞳から注がれる眼差しを受け止め、
唇を噛み締めながらも涙がこぼれそうになる。
やがて、朝焼けの赤が城壁を照らし、城全体が淡い光の中に浮かび上がった。
燃えているのではなく、昇る陽に包まれて輝いているように見えた。
胸の奥が張り裂けそうに痛みながらも、その姿を永遠に瞼の裏へ焼き付けようと必死だった。
「・・・母上」
ユウの小さな声が、震える唇から零れ落ちた。
これから、どんな風に生きていくのか・・・想像もできない。
ただ分かるのは――。
私たちは母上と離れたまま、キヨの元に連れて行かれているということ。
そして、もう二度と母上に会えない。
◇
馬の背に揺られながら、イーライは前を行く馬車を見つめていた。
ーーあの中に、ユウ・センがいる。
ただ名を告げただけの少女なのに、心を奪われるような感覚が残っている。
忠義か、それとも別のものか。
答えは出ないまま、胸の奥はざわめき続けていた。
背後では夜が終わり、東の空が赤みを帯び始めている。
新しい一日が始まる。
だが、その光は希望ではなく、運命を変える兆しに思えてならなかった。
そんな予感が、馬の歩調に合わせるように、心臓を打たせていた。
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次回ーー本日の20時20分
三姉妹を逃した報告を終えたサムの胸には、拭えぬ恐れが残っていた。
――あの姫たちを、本当に守りきれるのか。
城門前のノアは槍を握りしめる。
かつて恩を受けた主・ゴロクを、自らの手で討たねばならない。
そして奥の廊下では、シリが静かに空へ祈る。
「最後まで・・・一緒にいてくれる?」




