姉と母の秘密
ノルド城の客間には、ユウとシュリの姿がなく、残されたのはウイとレイだけだった。
「姉上・・・大丈夫かしら」
ウイがぽつりと呟く。
城内は武具や兵の往来で騒がしく、姫たちが軽々しく部屋を出入りするのは危うい
――エマからきつく言われていたことだ。
それなのに、ユウは勢いのまま外へ飛び出していってしまった。
「シュリが一緒だから大丈夫よ」
レイは肩をすくめるように、淡々と答えた。
「それにしても・・・夜に争いが始まるなんて、聞いたことある?」
ウイは首を傾げる。
「珍しいことだと思う・・・」
「夜に戦うのは、暗い方が怖くて強そうだから?」
ウイが腕組みをしながら話す。
「多分、違うと思う・・・」
レイは小さく笑みを浮かべてみせた。
けれど、次の言葉は出てこない。
姉上なら真っ先に理由を読み取ったはずだ。
だが今日は――何も言わなかった。
「姉上、ずっと上の空なんだもの。声をかけても返事がないし」
ウイは小さく首を振り、ため息をもらした。
脳裏に浮かぶのは――青年の面影。
姉の婚約候補とも噂されたリオウ様。
怪我人の手当を手伝ったときも、その姿を探して目を走らせた。
けれど、どこにもいなかった。
リオウ様の質問をしようにも、皆は忙しく答える余裕がなさそうだった。
ーー今は、どこにいるのだろう。
どうしているのだろう。
忘れようとしてきた。
初恋の相手は――姉に夢中だった。
言葉にせずとも、姉を見つめるその瞳には、恋の熱がはっきりと宿っていた。
姉にプロポーズする姿を、この目で見てしまったこともある。
二人が並ぶ姿は、悔しいほどにお似合いで・・・それを認めざるを得なかった。
姉――ユウは、ただそこに立つだけで皆の目を奪う特別な女性。
誰もが姉に惹かれていく。
自分は――愛想のいい妹。
際立った美しさも、個性もなく、姉に到底かなわないと思ってきた。
だから、自分の想いを伝えようとはしなかった。
けれど・・・。
明日の命すら定かでない状況に立たされると、胸の奥から後悔がこみ上げてくる。
ウイは俯いたまま、顔を上げなかった。
胸に渦巻く思いは、言葉にできない。
たとえ叶わぬ恋でも、伝えておけばよかったのではないか。
何事もなく、明日を迎えられるということが――どれほど尊く、素晴らしいことなのかを、今ようやく思い知るのだから。
俯いたままのウイを見て、レイは小さくため息をつき、窓ぎわに立った。
外の空気を確かめるように、静かに外の気配をうかがった。
外から、がさがさと木材を運ぶ音が聞こえてくる。
窓の隙間から覗けば、敵兵が城壁に沿って篝火を並べ、油をかけている。
ーー戦いの準備をしている。・・・火を焚くつもり・・・だ。
レイの胸に言いようがない恐怖が忍び寄る。
この光景をユウが見ていたら、すぐに兵の動きを読み取り、母に報告していただろう。
だが、自分はただ立ち尽くすことしかできない。
こんな時期に、姉上が母の部屋へ行ったのは――。
レイは窓の外を見つめながら、答えを悟った。
ーーきっと、あれだ。
姉上は本当の父親のことを母上に問うのだろう。
以前、見張り台の部屋で姉上とシュリの会話を聞いてしまったことがある。
あの時、姉上は泣きながら叫んでいた。
『・・・私、母上と父上の子供だったらよかったのに・・・』
その瞬間、時が止まったように思えた。
姉上の父は、私たちと違う・・・?
その事実に驚いたけれど、同時に、心のどこかで妙に納得していた。
三姉妹の中で、姉上だけが別格だった。
立っているだけで周囲の空気が変わる。
まるで、この世の枠からはみ出すような存在感。
そして、二人の会話を聞きながら悟ってしまった。
姉上の父は――自分の存在を無にした、あの叔父上なのだと。
幼い頃から、叔父上――ゼンシは私を見ようとしなかった。
まるで、いないものとして振る舞っていた。
けれど、不思議なほど庇護は潤沢に与えられた。
ドレスも教育も、すべて一流のもの。
お礼を言っても、返ってくるのは冷ややかな視線だけ。
姉上には特別なまなざしを。
ウイには一瞥を。
そして私は、ただ無。
私だけは――存在しないものとして扱われた。
それでも、目が合うことはあった。
そのたびに叔父上は、なんとも言えない表情を浮かべるのだ。
成長するにつれ、ようやく気づいた。
叔父上は私を嫌っていたわけではない。
私の顔立ちが、父上――グユウにあまりにも似すぎていたから。
きっと、目に映すことすら苦しかったのだろう。
だから私は、存在を消されたように扱われてきたのだ。
その叔父と母上との間に産まれた子供が姉上・・・。
レイは小さくため息をついた。
窓の外では、シズル側の兵が慌ただしく灯籠の準備を始めていた。
その兵たちは、どこか年老いて見える。
手先はこわばり、動きもぎこちない。
そして、争うには・・・あまりにも兵が少なく見えた。
――大丈夫なのだろうか。この城は。
けれど、レイの胸に重く残るのは、戦の行方ではなかった。
姉上が・・・母上から、どんな答えを受け取ったのか。
そのことだけが、恐ろしくも気がかりだった。
次回ーー本日の20時20分
母と娘だけが残された部屋。
「・・・誰か、想っている人がいるの?」
シリの問いに、ユウは震える声で名を告げた。
⚫︎お知らせ 小説裏話エッセイを書きました。
「80万文字先の伏線は誰も拾ってくれない』
https://ncode.syosetu.com/N2523KL/
1000文字程度のエッセイです。
気軽に読んでいただければ幸いです。




