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海の見える日、君と生きたかった

「前を崩せ!抜かれるな!」


フレッドの声が、戦場に響いた。


血と泥に塗れた剣を振るい、敵の懐を突く。


周囲の兵たちも必死にそれに続いていた。


空は灰色。


春とは思えぬ冷たい風が頬を叩く。


「父上、左です!」


声を張る間もなく、再び敵の刃が襲いかかる。


フレッドは振り返らず、剣を弾き返した――その時、


――風が、ふと止んだ気がした。


土煙の向こう。

あの大きな背が、ゆっくりと地に沈んでいく。


馬の背から――父ジャックが、落ちた。


周囲の喧騒が遠のく。

戦の音が、まるで水の底から聞こえてくるように、鈍く、曖昧になった。


時が、止まったようだった。


「・・・っ!」


思わず振り返りかけた身体を、敵の槍がかすめる。


ーー今、見れば――俺も討たれる。


それでも、フレッドの胸の奥に、冷たい何かが落ちた。


視線を交わせなかった。


最後の言葉を、かけられなかった。


「・・・父上・・・!」


叫んでも、風にかき消された。


その大きな体が泥に沈む音が聞こえた。


ーー見送ることも・・・できないのか。


喉の奥が焼けるように痛む。


ーーでも、泣くな。


父が言った言葉が脳裏をよぎる。


『戦場で、涙は剣を鈍らせるぞ』


フレッドは奥歯を噛み締めた。



灰色の空の下、父の乗っていた馬が空しく駆け去っていく。


鞍に残る血の飛沫が、黒い斑点のように揺れていた。


ーー父がこちらを見ていたのかさえ、わからない。


ただ、視界の隅に映った背は、確かに――


最期まで、自分の方を見てくれたのだと思いたい。


ーー誇りだと・・・と言ってくれたのに。


それに、応えられたのか・・・俺は。


指の震えを、手綱に込めた力で押さえ込む。


胸を貫く悔しさを、剣にのせて前を睨む。


――ゴロク様を、逃がすまでは。


あの方を、ユウ様とシリ様に逢わせるまで・・・。


「・・・進め!俺たちの役目は、ここで終わらせるためのものじゃない!」


父の死に動揺する兵に声をかけ鼓舞する。


馬が泥を蹴り、兵たちがその背を追う。


風が吹いた。


海とは違う、戦の風。


それでも、どこかで――あの約束の匂いがした。


ーーユウ様。海は、見せられそうにないです。


フレッドは静かに、胸の中だけでそう呟いた。


目に涙はなかった。


ただ、父の最期を目に焼きつけたまま、彼は前へと駆けた。




「くっ・・・! あいつら、命が惜しくないのか!」


ロイの叫びが、血の匂い立ち込める空に響いた。


午後に始まった死闘は、夕方になっても決着がつかなかった。


敵兵はわずか三百。

圧倒的にこちらが有利だったはずだ。


だが――


死を恐れぬ者の刃は、時に脅威となる。


彼らは、まるでこの一戦で生を終える覚悟を決めているかのように戦った。


一歩も退かず、笑うでもなく、怒るでもなく、ただ静かに――命を投げ打つように。


「・・・良い騎士だ」


サムが呟いたのは、戦列の中央で傷だらけになりながらも立ち続ける一人の青年を見ていた。


矢が肩に刺さり、血が滲んでも、彼は剣を捨てなかった。


何度も地に膝をつきながら、立ち上がっては前へと進む。


その姿は、すでに戦を超えて“意志”そのもののようだった。


「・・・あぁ」


チャーリーが頷く。


「ワスト領に・・・あのような騎士がいたら・・・」


サムは一瞬だけ目を伏せ、それから静かに言った。


「チャーリー。苦しまずに逝かせてやってくれ」


「承知」


チャーリーは矢筒から一本の矢を抜いた。


狙うは、胸当てのわずかな隙間。


風も止まり、夕日が血のような色で地を照らしていた。


弓を引く。息を殺す。放つ。


風を裂いた弓矢は、音もなくフレッドの鎧の隙間を貫いた。


肺をかすめた矢先に、フレッドの口から赤い血が溢れる。


それでも――


彼は地面に手をつき、泥にまみれながら、這いずるようにワスト領の方角へ進もうとする。


「・・・大した青年だな」


サムが掠れた声でつぶやいた。


「ロイ」


「・・・わかっている」


ロイは剣を手に取り、ゆっくりとフレッドのそばへ歩み寄った。




フレッドは、泥にまみれた地面に膝をついた。


――「誇りだ」と言ってくれた。

「最後まで、戦うぞ」と並んで言った。


「・・・父上」


もう、返事はない。


けれど、心の奥には確かに声がある。


『命をつなげ。それが、生き残った者の責務だ』


ーーでも、自分はもう、ここまでだ。


呼吸は荒く、胸に突き刺さるような痛みが走る。


息を吐くたびに、内側から砕けるような痛みが襲ってくる。


吸うことも、もうできない。


耳鳴りが響き、震える手では、もはや剣を握ることすらできなかった。


――父上。


私は・・・重臣の子として、相応しかったでしょうか。


咳き込むと同時に、熱い血が喉を駆け上がり、口からこぼれる。


意識が、ふっと遠のきかけたそのとき――


視界の端に、茶色いブーツが見えた。


朦朧とした目をゆっくりと上げると、剣を手にした兵が自分のすぐ横に立っていた。


霞む視界の中で、その顔は歪んで見えた。


苦渋に満ちた表情だった。


その男の瞳は、深い緑色をしていた。


――どこか、父の目に似ている。


「・・・立派な戦いぶりだった。敵ながら・・・見事だった」


その言葉は、どこか父のようで。


厳しくも、あたたかく包み込むような声音だった。


フレッドの唇が、わずかにほころぶ。


春とは思えぬ、冷たい風が頬を撫でた。


その風に、どこか遠く、潮の香りが混じっている気がした。


目を閉じると、あの人の顔が浮かぶ。


ユウが、風になびく髪を押さえながら、振り返って笑った。


「・・・フレッド」と、唇が確かに動いた気がした。


声は聞こえない。


だけど――そのまなざしがすべてを伝えていた。


最後に見るものが、あの笑顔でよかった。


風の匂いに、潮の香りがほんのりと混じっていた。


あぁ、やっぱり・・・海は、ここにあったのだ。


「ユウ・・・様・・・」


フレッドの唇が、そう微かに動いた。


その瞬間、風が、ふっと止んだ。


フレッドの頬をかすめるように、刃が静かに振り下ろされた。


風が、ようやく戦場を吹き抜けていく。


フレッドの身体は、音もなく、泥の上に崩れ落ちた。


その顔には、痛みではなく――

どこか、穏やかな安らぎが宿っていた。


ーー


シズル領 筆頭重臣 ジャック・サク(享年39)

フレッド・サク(享年19) ここに戦死す。


風はすでに、彼の死を越えていた。

だが、それを知る者は――まだ、誰もいなかった。


フレッドは、とても好きなキャラクターでした。

だからこそ、本当は――できることなら、死なせたくなかった。


けれど彼には、物語を描き始めたその頃から、この結末が決まっていました。


それでも、彼を書けば、書くほど、どんどん彼のことを好きになっていきました。

素直で、まっすぐで、少し不器用で、それでも仲間のために命を張れる彼を――

誇りに思っています。

フレッドの最期が、どうかあなたの心にも、何か残せていたら嬉しいです


次回ーー本日の20時20分


◇ノルド城 シリの部屋

静けさに包まれた妃の部屋。だが、それは終わりの足音をかき消すための静けさだった。

一方、森を抜ける街道では、シュリとフィルの前に突如、ワスト領の兵が現れる――。


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