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果たせなかった、あの日の約束

風が吹き抜けるノルド城。

見送りの人々の中で静寂が戻る中、シリは静かに佇んでいた。


「無事に・・・生家に戻ることができれば・・・」


その時ーー


報告を携えたハンスが駆け込んできた。


「ゴロク様からの文です」


シリが封を切ると、そこには簡潔な筆致で現状が綴られていた。


『敵兵、想定を上回る数。戦況、不利。補給に遅れ。持ちこたえられるか微妙――』


読み進めるうちに、シリの顔色が変わった。


「・・・ゴロクは無事に帰れるのかしら」


シリがつぶやく。


ゴロクの手紙を読み終えた後も、シリは黙って考えていた。


すぐに涙するのではなく、まず冷静に次の策を考える。


――それが妃の仕事なのだと、ユウは気づかされた。


「ハンス、部屋に戻ります」

シリは静かに告げた。


「母上・・・」

振り返ると、ユウが真剣な眼差しでシリを見つめていた。


「私たちも・・・ご一緒してもよろしいですか」


ーーこの不安な状況の中、母のそばにいたい。


話すことはできなくても、せめて、そばにいたら。


ユウの後ろには、少し怯えたようなウイ、静かな表情のレイがいた。


迷ったようなシリの表情を見て、ユウが口を開く。


「母上、私達はいずれ妃になるのでしょう? 妃の仕事を見させてください」


ユウの表情をシリは、じっと見つめた。


「そう・・・ね」

シリは躊躇いながら話した。


ーー落城寸前のこの城で、彼女達に何か残せるものがあるのなら。


「一緒にいましょう」

シリは静かに微笑んだ。



「いくら逃げても、敵が迫ってくる」


ジャックは低く唸るように言った。


悔しさを押し殺した声だった。


その間にも、次々と報告の兵が駆け込んでくる。


「前線、総崩れ!兵が逃げ出しています!」


「部隊の統率がとれません!」


西側丘陵は敵に占拠され、残る砦は三つのみ。


補給路も、すでに包囲の中にあった。


その言葉に、フレッドは唇を強く噛みしめた。


すぐ先の丘の向こうには、キヨの軍、黄色の旗印を掲げた大軍勢が、まるで波のように押し寄せてくる。


張り詰めた空気の中でも、フレッドの表情はどこか落ち着いていた。


ひたむきに、そして誠実に。


焦りを見せることなく、淡々と現実を受け止めようとしていた。


「・・・このままでは、本陣まで危ういですね」


目の前の状況に顔を曇らせながらも、どこか少年のようなあどけなさを残した声だった。


空を仰ぎ見たフレッドの横で、ジャックが静かに口を開いた。


「・・・フレッド、いいか?」


その一言に、フレッドはすぐに察した。


父の手が肩に置かれる。


多くを語らずとも、その仕草に込められた決意は痛いほど伝わった。


「・・・もちろんです」


その返事は、はっきりとした声だった。


迷いはない。


「さすがだ。重臣の息子だな」


ジャックの言葉に、フレッドは照れくさそうに、けれど誇らしげに笑った。


「父上こそ、まだまだ現役ですよ。僕はその背中を見て育ちましたから」


そんな冗談を挟むあたりが、彼の人柄だ。


重たい空気の中で、フレッドの明るさは周囲の兵たちの緊張を、ほんのわずかでも和らげていた。


ジャックは一度深く頷くと、配下の兵たちを引き連れて本陣へと向かった。



「ゴロク様! よろしいでしょうか」


突然の訪問に、ゴロクは目を見開いた。そこにはジャックとフレッドの姿があった。


「ジャック、守備は・・・」


動揺を隠せずマナトが問いかける。


「我らが敵を引きつけます。その間に、ゴロク様は後退を」


ジャックが膝をついて、声をかけた。


その声音はいつもの豪胆さを欠き、静かであった。


その背後では、従う家臣たちが無言で頷いている。


「逃げ道は確保しています。私たちが時間を稼ぎます」


フレッドの声は明るい。


それは、自分の運命を重く背負い込んだ者の声ではなかった。


「なにを・・・ふざけたことを言っているんだ!」


ゴロクは声を張った。


「わしも戦うぞ! お前たちを見殺しになどーー!」


「戦場を見極めるのも、領主の責務です」


ジャックの言葉に、ゴロクの拳が震える。


ゴロクの怒声に、フレッドは力まず、まっすぐに笑って答えた。


「妃様と、お姫様方が、ゴロク様の帰りをお待ちです」


言葉の一つ一つに、誠実さがにじむ。


「・・・お前たち、無茶はするなよ・・・」


掠れた声で、ようやく承諾の言葉を絞り出す。


「任せてください」


少年のような笑顔で、しかし目には戦う覚悟が宿っていた。


ジャックとゴロクが静かに打ち合わせをしていると、

フレッドがそっとマナトに近づいた。


「マナト殿」

フレッドが声をかけると、マナトは苦しげに首を横に振る。


「・・・お前はまだ若い。こんな役目を負わせるわけにはいかない」


「重臣の息子として、今できる務めを果たしたいのです」


フレッドは穏やかに、しかし揺るぎない笑みで答えた。


マナトはその笑顔を見て、言葉を失った。


マナトの顔をじっと見つめた後、フレッドは小さく息を吐いた。


「これまで、ゴロク様に守っていただきました。

・・・そのおかげで、俺は、楽しくて平和な時間を過ごせたんです。

だから今度は、自分の手で少しでも恩返しができたらって・・・そう思ってます」


フレッドの言葉は、笑顔を浮かべながらも揺らがなかった。


「・・・フレッド」


マナトは、胸の奥をぎゅっと掴まれたような気がした。


――明るく、朗らか。誰にでも分け隔てなく接し、多くの少年兵に慕われてきた青年。


シズル領の未来に、なくてはならない存在。


そんな彼を、今、自分は見送ろうとしている。


「・・・けれど、一つだけ、心残りがあります」


ぽつりと、フレッドがつぶやいた。


「言ってみろ。私にできることがあるなら・・・なんでも言ってくれ」


マナトは身を乗り出して、真っ直ぐにその目を見つめる。


「ユウ様に・・・伝えていただけませんか」


「ユウ様に・・・?」


思わず繰り返した問いに、フレッドは小さくうなずいた。


フレッドは少しだけ目を伏せた。


ーーノルド城で別れを告げた時、


あの時の、あたたかいぬくもり。


抱きしめた細い肩。


どこか儚げで、けれど強く、彼を見上げていた瞳。


「はい。以前、約束したんです。争いが終わったら・・・海を見せるって」


その言葉には、にじむような後悔と、優しさがあった。


「約束を・・・果たせなくて申し訳ないって。そう、お伝えください」


そのとき、フレッドの瞳に、一瞬だけ影が落ちた。


その一瞬を、マナトは見逃さなかった。


それは、若き戦士が隠しきれなかった“別れ”の色だった。


「・・・わかった」


マナトは、言葉に詰まりながらも、そっとフレッドの手を握る。


「必ず・・・必ず、ユウ様に伝える」


しぼり出すような声だった。


「・・・でしたら、もう悔いはありません」


フレッドは、いつものように。


あっけらかんとした、でもどこか子供のような無垢な笑顔を浮かべた。


それが、マナトの胸に、またひとつ鋭い痛みを残した。


フレッドの目は真っ直ぐだった。


その瞳に、マナトはかつてのグユウの面影を見た。


「・・・気をつけろよ」


ようやくしぼり出したその言葉に、フレッドはうれしそうに頷いた。


「マナトさんも、必ず生きて帰ってください」


ーーその言葉が、別れになる。


二人は、そう思った。



次回ーー本日の20時20分


母の背中を見て、娘たちは学ぶ。

父子の絆を胸に、兵たちは死地へと駆ける。

それぞれの「家族の想い」が交錯する時、

戦いの行方は大きく動き出す――。


「果たせぬ約束を胸に」


⚫︎お知らせ スピンオフ 短編


『寡黙な領主、初めて嫉妬した夜に妻を独り占めしたくなった』 を公開しました。


嫉妬に戸惑うグユウと、規格外の妃シリの物語。

本編とは少し違う甘めの一幕を楽しんでいただけたら嬉しいです。


▼こちらから全文読めます

https://ncode.syosetu.com/n0923lb/


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