ずるいのね、あなたは――勝てばいい、戦に勝てば
美しいドレスが、刃によってジョキリ、ジョキリと裂かれていく。
布が断たれるたびに、空気が震えるようだった。
エマは呆然とその光景を眺めていた。
――あのドレスは、シリ様にとって宝物だったはずなのに。
シリは、ためらいひとつ見せず裁断を終えると、針と糸を手に取った。
そこから先の手つきは、決して滑らかではなかった。
けれど――
不器用なその手先も、数年前に比べれば格段に上達していた。
「・・・小袋を、作っているのですか?」
エマは恐る恐る問いかける。
「ええ。娘たちに。それぞれ、ひとつずつ」
シリはうつむきながらも、静かに返す。
「あると・・・心強い“思い出”になるでしょう?」
言葉に重ねるように、針をすっと通した。
「・・・思い出」
エマが、ふとつぶやいたその言葉に、
「そう、思い出よ」
シリは、一瞬だけ手を止め、静かに言った。
彼女の胸元には、小さな小袋がある。
中には――亡き夫と義理の息子の髪が入っている。
ふと思い出すだけで、エマの背にぞわりとしたものが走った。
ーーまさか・・・これは、
遺品として――?
そんな問いが喉元までこみ上げた。
けれど。
淡々と、そしてどこか穏やかに、手を動かし続けるシリの姿に、
エマは、言葉を呑み込んだ。
エマの脳裏に、十年前の争いが蘇った。
あの時のシリは、顔色を失いながらも、毅然として言ったのだ。
『生きる苦しみよりも、好いているグユウさんの元で、最後までいたいの』
誰が止めても、その意思は揺るがなかった。
死ぬことさえ恐れず、ただグユウの隣にいることを望んだ――あれほど強い想い。
けれど、今回の相手はゴロク様だ。
あの頃のような熱情を、シリが抱いているとは思えない。
ーーなのに、なぜ。
なぜ、ここまでの覚悟を背負っているのだろう?
問いは胸の奥で繰り返されるが、答えは出ない。
勝敗は、まだ決まっていない。
エマはそっと息を吐き出した。
ふと、縫い上がった小袋を見る。
縫い目は不揃いで、頼りなかった。
「シリ様、これでは髪の毛が縫い目から落ちてしまいます」
思わず、口元がゆるむ。
「上から補強しますね」
そう言って、針と糸を手に取った。
「ありがとう。助かるわ」
シリがふっと笑う。その笑みに、疲れと優しさが滲んでいた。
ーーまだ、聞かない。
シリ様がどんな覚悟を抱えているのか。
今は、ただ黙って、支えるだけ。
勝てばいい。
戦に、勝てば――それでいいのだ。
◇
ノルド城に、静かな朝が訪れた。
夜明け前、薄明かりの中庭で、シュリはいつものように木剣を構えていた。
剣を振るう腕が白んでいく空に浮かび上がる。
「シュリ君、おはよう」
振り返ると、白い花の咲く木の下に、フィルがもたれかかるように立っていた。
その声は、まるで夢の続きのようにやわらかい。
「お、おはようございます」
思わず姿勢を正すシュリ。
ーーこんな時間に、どうして?
フィルは何も言わず、静かに歩み寄る。
胸元が大胆に開いた衣装に、シュリの視線がちらりと泳いだ。
「ちょっと、いい?」
小首をかしげるフィル。
「・・・はい」
「耳を貸して」
スッと袖を引かれ、思わず身を寄せてしまう。
ーー距離が、近い・・・!
戸惑いながらもフィルの唇に耳を寄せると、囁かれた言葉に、シュリは目を見開いた。
「・・・それは、本当ですか?」
思わず、彼女の細い肩に手を置く。
「ええ。女中たちはその話でもちきりよ」
フィルはうなずき、わずかに口元を緩めた。
「・・・ゴロク様が劣勢だなんて、信じられない」
声は低く、震えていた。
「あなたたち高貴な方には届かないことも、私たち妾の耳には入ってくるのよ」
フィルの言葉の先、彼女の視線がふと横を向く。
少し離れたところで、ユウがまっすぐに見つめていた。
フィルは、シュリに近づき、そっと耳元で囁く。
「・・・あら、姫様が見ているわよ。私たちのことを」
その一言で、シュリは弾かれたように距離をとった。
フィルはくすくすと笑う。
「シュリ君、可愛いのね。・・・そんなに、あの姫様に誤解されるのは嫌?」
「べ、別に・・・」
顔を赤らめたシュリは、目を逸らした。
「それでは・・・またね」
フィルはそっと手を伸ばし、シュリの髪を優しく指ですくい上げる。
そのまま、耳にかけるように撫でた。
その仕草は、まるで別れを惜しむ恋人のように滑らかだった。
だが——
「・・・やめてください」
シュリが一歩引き、低い声で制した。
フィルの手が、空を掴んだまま止まる。
その瞳に、一瞬だけ、動揺の色が走った。
「・・・ふふ、怒られちゃったわね」
冗談めかして笑おうとしたその声は、わずかに震えてい。
フィルが中庭を去っていく。その背中を、どこか寂しげに見送るでもなく、ただ立ち尽くしていたシュリ。
やがて、ぎこちなく顔を上げ、ユウの方を見た。
「・・・おはようございます」
深く頭を下げる。
その動きが、どこか過剰に丁寧だった。
ユウは黙って彼を見ていた。
まっすぐなそのお辞儀の向こうに、なぜか遠さを感じる。
「・・・朝から、にぎやかね」
ようやく返したユウの声は、乾いていた。
その声は、氷の刃のように冷たかった。
「いえ・・・そのようなことは」
おずおずと答えながら、肩をすくめたままユウの顔を見上げる。
ユウは――笑っていた。
けれど、目が笑っていなかった。
射抜くような視線。
まるで心の奥を覗かれているようだった。
形の良い顎が、ほんのわずかに上がっている。
その顔を見ているだけで、汗がじわりと背を伝う。
「フィルと、お付き合いをしているの?」
低く滑らかに問いかけられ、思わず声を詰まらせる。
「そんなことはありません!」
即座に否定し、頭をぶんぶんと振る。
「そうなの?」
その問いかけは、まるで耳元に吹き込まれるような、ぞっとする冷たさを帯びていた。
――怒っている?
なぜ? フィルと話しただけなのに。
理由がわからないまま、シュリの形の良い眉が、困ったように下がっていく。
「ユウ様、怒っているのですか?」
シュリが、恐る恐る問いかけた。
「別に・・・怒ってないわ」
ユウは短く答えたが、その顎はさらにきゅっと上がる。
「そうですか・・・」
――とても、そうは見えない。
「私とフィルが話していたことが・・・不愉快なのですか?」
思い切って問いを重ねると、
「違うわ」
ユウは腰に手を当て、即座に言い返す。
その早さが、逆に図星であることを物語っていた。
――やっぱり、面白くないんだ。
シュリはふっと微笑んだ。
――もしかして、嫉妬・・・?
「何が面白いの?」
ユウの片眉が、鋭く持ち上がる。
「いえ、そんな風に思ってくれるのは・・・嬉しいです」
シュリの口元に、穏やかな微笑みが浮かぶ。
ユウの唇が、ほんのわずかに動いた。
「シュリ、あなたはずるい人ね・・・」
シュリは静かに息を吸った。
「・・・それは、嫉妬・・・ですか?」
シュリの言葉に、ユウの肩が、わずかに震えた。
「・・・私にだけ、そんな顔を見せるユウ様も、ずるいお方です」
シュリの声は静かだったが、目だけはまっすぐだった。
二人の間に言葉はなかった。
けれど、その視線だけが、何より雄弁だった。
次回ーー明日の9時20分
ユウとシュリ――互いの嫉妬が、初めて言葉になった。
一方、シリはついに子どもたちへ「劣勢」を告げる。
揺れる心と迫る戦火。
そしてリオウは、誰にも見られぬ場所で血に濡れていた――。
「あなたにだけは・・・言われたくなかった」
◎お知らせ
本編に関連した短編を新しく公開しました。
視点は家臣オーエン。
「魔女」と噂される妃シリに出会い、無自覚なまま惹かれていく、不器用な恋のお話です。
▶『家臣オーエン、魔女と呼ばれた妃に惑わされる』
https://ncode.syosetu.com/N4509LA/
本編とは少し違った角度から楽しんでいただけると思います。
よろしければ、合わせてご覧ください!




