白百合のそば、母の裁縫
──ゼンシの命令によって、また一つの城が炎に包まれた。
けれど、その災禍はシュドリー城まで届かない。
それから月日は流れ、今、シリと娘たちは静かな日々を紡いでいた。
「やっぱり上手くいかないわ」
部屋にシリの嘆きが聞こえる。
針を持つ手が汗で滑る。
「昔に比べたら・・・上手になりました」
慰めるようにエマが話す。
シリの手元には、小袋らしきものがある。
よく見ると、縫い目があちこちに飛び散っている。
それでも、薄目で見れば小袋に見えなくもない。
シリはため息をつきながら後ろを振り向いた。
そこには、別れの時に夫から手渡された木像が置いてある。
木像のそばには香り高い白百合が飾られていた。
「母上・・・頑張っていますね」
次女のウイが控えめに声をかけた。
「あなたの裁縫の腕前は見事よ」
シリは微笑みながら話す。
グユウが亡くなって6年の月日が経った。
シリは再婚せず、3人の娘たちとともに静かに暮らしていた。
シリは31歳、目の前で金褐色の髪を揺らす少女は9歳になった。
ウイは、シリが逆立ちをしてもできないような手の込んだ刺繍をしている。
褒められて嬉しいのだろう。
群青色の瞳を細めて、ウイは微笑んだ。
ゼンシ率いるミンスタ領は、相変わらず戦いに明け暮れている。
けれど、争いは遠くで行なっているので、シュドリー城は平和そのものだった。
こうして、娘達と一緒に裁縫をする時間がある。
「母上、どうして裁縫をしなくてはいけないの?」
長女のユウが、布を放り投げてふてくされた声を出す。
彼女の裁縫の腕も、シリに劣らず酷い。
「母もそう思っていたわ。でも、裁縫は上手な方がいいのよ」
黙々と針を進める三女 レイの姿を見ながら、シリはつぶやく。
「どうして?」
母親譲りの美貌を持つユウは、不満げな顔をする。
「争いが始まった時に、裁縫ができなくて苦労したのよ。
包帯ひとつ作れない自分を呪ったわ。あなた達にそんな苦労はさせたくないの」
シリはため息をつきながら、自分がつくった小袋を眺める。
袋の底に大きな隙間を見つけ、うんざりした顔をした。
「叔父上が頑張っている限り、ここは大丈夫よ」
ユウの声は反抗的な響きがあった。
シリは針を持つ手を止めた。
「人生は何があるかわからないわ。今は平和だとしても・・・
再び争いが起こる日が来るかもしれない。
その時のために、こうして備えるのよ」
黒いドレスをまとったシリは、美しい瞳に毅然とした強さをたたえていた。
その声は真剣味を帯びている。
「・・・わかったわ」
シリの表情を見て、ため息をつきながらユウは針を持った。
傍にいたエマは複雑そうな顔をした。
本来、裁縫は女性の嗜みのひとつなのだ。
争いにむけて、腕を上げるようなものではないのだ。
けれど、シリはそうではなかった。
文字も教え、薬草も教えた。
「情勢を読むには文字が要るわ」
「この葉っぱは煎じて飲むの。体を温めるのよ」
花を愛でる代わりに、効能を教えた。
独特の方法で、シリは3人の娘を育てている。
その背景には悲しい経験があるからだ。
この静けさが続くことはない。
シリだけでなく、幼い娘たちにも次々と試練が押し寄せる。
これは――その前に訪れた、ほんのひとときの安らぎだった。
そして、皮肉なことに娘たちは、その学びを活かす道を歩む。
次回ーー
グユウを失って七年。
ようやく笑顔を取り戻しつつあるシリの心に、ふいに過去の影が差す。
そして、成長した娘ユウがゼンシの前に立つ――。




