女の戦支度
翌朝、早朝稽古をしていたシュリの目に飛び込んできたのは、
塀の修復と、何かの穴を掘る領民たちの姿だった。
「こんな朝早くから?」
思わず声を出す。
「しかも・・・あれはなんだ? 穴を掘っている」
隣にいたリオウも目を細めた。
「あれは・・・落とし穴ではないかと」
「落とし穴?」
リオウが眉を顰める。
「レーク城で、昔作りました。その手伝いを、私・・・したことがあります」
「なぜ、そんなものを・・・?」
リオウの疑問に、シュリは昨日のユウの言葉を思い出していた。
『最近、妙だと思わない?』
——確かに。妙だ。
「今日の午前中に、緊急会議が始まる」
重臣ジャックが現れ、低く声をかけた。
家臣たちの間に、静かなざわめきが走る。
「ホールに集まるように」
重臣ノアもそれに続いた。
「緊急会議・・・?」
リオウがつぶやく。
その時間、自分はユウのそばにいる。
内容を聞くことはできないだろう。
ーー一体、何が起きようとしているのか。
◇
今にも雪が降り出しそうな午前中、三姉妹は部屋に戻り、暖炉の前で手を温めていた。
「ここは寒い」
レイがぼそっと漏らす。
「本当に。ミンスタ領は暖かかったし、冬でもお日様が出ていた」
ウイが頷いた。
「雪が降ると、城の一階が埋まるって、侍女が言ってたわ」
ユウが続ける。
「本当に? そんなに雪が降るの?」
ウイが目を丸くする。
——そのとき、扉が開き、シリが部屋に入ってきた。
「母上?」
レイの声に、少し驚きが混じる。
忙しい母がこんな時間に自分たちの部屋に来るなど、滅多にないことだった。
「あなたたちに、大事なお話があります」
シリはそう言い、ゆっくりと彼女たちの前に立った。
椅子に座った三姉妹。
その後ろには三人の乳母、そしてシュリが控えている。
「キヨが兄上の告別式を、無断で行ったのを知っているかしら?」
静かに問う声に、三人は声を揃えた。
「知っています」
「信じられないわ。モザ家の許可なく、叔父上の告別式をするなんて」
ユウの声には、怒りが込められていた。
「それだけではありません。キヨは好き勝手な振る舞いをしているわ。
このままでは、モザ家が乗っ取られてしまう。ゴロクもマサシも、それを危惧しています」
「シリ様・・・」
エマがそっと口を開いた。
——子どもたちに、そこまで話してよいのか?
『女や子どもは詳しい内情を知らずともよい。争いは男の務め。
子らには、ただ不穏な気配を伝えるだけでいいのではないか』
エマの目には、そう書かれていた。
シリは彼女を見つめ、静かに首を横に振った。
「エマ。この子たちはもう半分、大人です。納得しない限り、前に進めません」
「・・・承知しました」
エマは小さく頭を下げた。
「ゴロクは、キヨに警告をしました。そして、キヨは承諾したのです」
「・・・良かった」
ウイが安堵したように息をついた。
だが、シリの声はさらに静かに、そして鋭くなった。
「けれど、母は信じていません。キヨは、きっと約束を破る」
ウイの背筋がぴんと伸びる。
ユウとレイは、黙って母の顔を見つめていた。
「春になれば、争いが起きるでしょう」
「は・・・母上、それは、もう決まったことなのですか?」
ウイの声がわずかに震える。
ーー争いだなんて。怖い。
「いいえ。まだ決まっていません」
シリは柔らかく言葉を返した。
「けれど、このまま穏やかに収まるとは思えないのです」
ユウが唾を飲み込み、そっとウイと視線を交わす。
彼女たちは覚えていた。
かつて、争いに巻き込まれた記憶を。
その後に訪れた、敗戦の苦しみを。
「争いに・・・負けたら、どうなるの?」
レイが、ぽつりと問うた。
シリは、一瞬だけ言葉を選ぶように息を呑んだ——そして、静かに答えた。
「・・・ゴロクと家臣は、命を落とすでしょう。ノルド城は、滅びます」
「私たちは?」
ウイが不安げに尋ねる。
「女は殺されません。ですが、身柄をキヨに引き渡されることになります」
その言葉に、ユウが椅子から立ち上がる。
「そんなの・・・嫌! キヨだけには・・・絶対に嫌!」
父と兄を殺した男。
あのハゲネズミのような風貌の男に、身を預けるなど想像もしたくなかった。
「母も、同じ気持ちです」
シリは深く頷く。
「だからこそ、城を守る準備をします」
三姉妹は黙って頷いた。
「女の私に、できること・・・」
ウイが、ためらうように呟く。
「あります」
シリが微笑む。
「家臣たちは今頃、ゴロクから説明を受けているでしょう。
男には男の。女には女の争いの備えがあります」
「女の・・・争いの備え」
レイが静かに繰り返す。
「ええ。母は九年前、レーク城でそれを行いました」
その言葉に、ユウとウイはうっすらと記憶を辿る。
母はあの頃、いつも忙しそうにしていた。
「あなたたちは、もう子どもではありません。
ユウとウイは嫁いでもおかしくない年齢です。母が、争いの準備を教えます」
「母上・・・それは、妃としての教養なのですか?」
ウイがためらいながら訊ねる。
「いいえ。それは、一般的にはありません」
エマが優しく応える。
「広い国でも、妃が戦の備えを行うなど・・・おそらく、シリ様だけでしょう」
「でもね」
シリが続ける。
「女は、自分の意思で嫁ぐ相手を選べません。だからこそ、嫁ぎ先で何が起きても大丈夫なように・・・
母は、あなたたちに知っておいてほしいの。もちろん、それが役に立たないことを祈っているけれど」
「手伝います、母上」
ユウが再び立ち上がり、真っ直ぐにシリのもとへ歩み寄った。
「何でもします」
その瞳は、青く燃えていた。
ウイとレイも後に続いた。
「私たちも、手伝います」
「教えてください、母上。争いの準備を」
三人の真剣な眼差しに、シリはふっと微笑んだ。
「それでは、教えましょう。エマ、説明をお願い」
「承知しました」
エマは紙の束を持ち、テーブルの上に並べ始める。
「私はこれから、侍女たちのもとに行ってきます」
シリが部屋を出ようとすると、ふと足を止め、声を潜めるように呟いた。
「最後が、一番厄介ね・・・」
そして、静かに妾たちの部屋へと歩き出した。
次回ーー本日の20時20分
シリが向かった先は、気が重い“妾部屋”。
争いを前に、女たちの協力を求める妃。
ドーラ、プリシア、そして反発するフィル――。
彼女たちが手にした“武器”とは?
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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://ncode.syosetu.com/n2799jo/
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兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
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