いつも一緒に
「ゴロクが私に何の用があるのだろう」
客間に足を踏み入れたシリは、肘掛け椅子に座っていたゴロクの姿を認めた。
その瞬間、ゴロクは慌てて立ち上がり、ぎこちなく頭を下げた。耳まで赤く染まっている
「ゴロク、座って」
促されると、彼はどこかぎくしゃくした動作で椅子に腰を下ろした。
分厚い体格がこわばり、緊張が全身から伝わってくる。
ミンスタ領 筆頭重臣であるゴロクとは、物心ついた時からそばにいた。
いつも自分を見守り、結婚する時も付き添ってくれた。
ゴロクとは接点が多いけれど、こうして2人で話し合う機会はなかった。
「ゴロク、いろいろ迷惑をかけたわね」
シリは、運ばれたティーカップを見つめながら口にした。
つい4ヶ月前、グユウと別れる際に、シリはゴロクを叱りつけ平伏させた。
自分の行いは後悔していない。
けれど、ミンスタ領の重臣であるゴロクを公衆の面前で平伏させたのは、胸が痛むことだった。
同じ場にキヨもおり、ゴロクと一緒に平伏をしたが、
キヨに関しては全く胸が痛まない。
むしろ、爽快な気持ちがする。
この感情の違いは、ゴロクの人柄とこれまでの働きを思えばこそだった。
「と・・・とんでもございません」
ゴロクの声は緊張のせいかうわずっている。
「今日は、どうしたの?」
シリは単刀直入に質問をした。
ゴロクと世間話をしていても、話が進まないと判断したからだ。
「シリ様にお目にかかりたい人がおります」
11月なのにゴロクは汗だくだ。
「私に?」
シリは頭を傾げる。
「はい。お呼びしてもよろしいですか」
ゴロクはハンカチで汗を拭きながら話す。
シリが頷くと、家来が控え室へ向かい、やがて一人の青年が部屋に現れた。
その瞬間、シリは息を呑んだ。
灰色の瞳、柔らかな表情。――忘れられない面影。
「マナト……!」
椅子を蹴るようにして立ち上がると、彼女は駆け寄り、大きな手をぎゅっと掴んだ。
「マナト、生きていたのね」
マナトは、かつての重臣ジムの孫であり、シンを城外に逃がす際、付き添っていた青年だった。
シンが処刑されたと聞かされたとき、彼も共に命を落としたと、シリは思い込んでいたのだ。。
「シリ様、お久しぶりです」
亡くなったジムと同じように、暖かい穏やかな瞳でシリを見つめた。
「マナト!あなたが生きてくれて嬉しいわ」
唇が震える。
喜びと安堵に、涙がこみ上げた。
「マナトを殺さないように指示をしたのはゼンシ様です」
ゴロクが口を開いた。
「はい。そのお陰でこうして生きています」
マナトが軽く頭を下げる。
「長年、重臣をしていましたが、本来であればマナトは処刑対象です。
マナトが生きているのは、ゼンシ様なりの配慮だと推測されます」
ゴロクの説明に、シリは黙ってうなずいた。
亡くなる直前に、グユウはゼンシに手紙を出した。
自分の命と引き換えに、妻、娘達、家臣、領民達を生かしてほしい。
それが、グユウの願いだった。
けれど、グユウはシンの命については触れなかった。
領主なので、敗戦領の後継は殺されてしまう事を理解はしていたのだろう。
ただ、それを避けるためにシンを逃した。
・・・結果的に殺されてしまったけれど。
「マナトが、シリ様に渡したいものがあると話すので連れてきました」
ゴロクが静かに話した。
「私に?」
「シリ様、これを」
マナトがシリに手渡したものは、水色の小袋だった。
「これは・・・」
シリは掠れた声で小袋を見つめた。
その小袋は、別れの時にシリが渡したものだった。
小袋の中身は、シリとグユウの髪が入っている。
『これでいつも一緒だ』
グユウが髪を一房切った後に、シンに手渡した。
「シン様は、その小袋を大事にしていました。いつも肌身離さず身につけていました」
マナトが説明する。
シリはマナトの顔を見つめた。
「捕まった時に、シン様は私に手渡したのです。これをシリ様に渡してほしい・・・と」
マナトの瞳が揺らいだ。
その時の事を思い出しているのだろう。
シリは小袋を握りしめた。
「中身を・・・ご覧ください」
マナトが促すので、シリは震えながらテーブルに座った。
この小袋の中身は、自分とグユウの髪の毛が入っている。
震える手で小袋を開けて、中身を出してみた。
金色の自分の髪、真っ黒なグユウの髪、そして・・・鳶色の髪の毛がある。
「これは・・・」
シリは、目を見開いてマナトの顔を見上げる。
言わなくてもわかる。
鳶色の髪の毛、シンのものだ。
「シン様の髪です。『これで、いつも一緒だ』と……」
マナトの声が震え、涙が堰を切ったようにあふれ出す。
「あぁ・・・!」
涙がぐっとこみ上げ声が詰まった。
シリは震える手で、シンとグユウの髪の毛を愛おしげに触れた。
「マナト、ありがとう。本当にありがとう。私は、これを生涯大事にする・・・」
その美しい青い瞳に溢れた涙は、悲しみだけではなかった。
「私はゴロク様に仕える事になりました」
マナトは胸に手を当てて話す。
「そうなの?」
「はい。出立ち前にグユウ様が私に感状を渡してくれました。
そのお陰でゴロク様に仕えることができます」
彼の懐には、折り目のついた羊皮紙――グユウの文字が、そこにあった。
「ゴロク、ありがとう」
シリは後ろで座っているゴロクに感謝の言葉を述べる。
彼のお陰でマナトに逢うことができた。
「マナトはシズル領の山奥に潜んでいました。シズル領の領主であれば当然のことです」
ゴロクは少し顔を赤らめ話した。
その日の夜、シリは小袋に淋しく唇を押し当て、ベッドに横たわった。
エマは愛おしげに、シリの髪を撫でる。
「こんなに胸が苦しいのは・・・幸せだったからよ。
幸せが大きれば大きいほど、失った悲しみが深いわ」
シリがつぶやく。
「・・・では、今苦しいのはシリ様が幸せだったことの証明ですね」
エマが静かに話す。
シリは黙ってうなずいた。
「エマ、これを機に私も頑張って裁縫を習うわ」
シリの裁縫の腕前は絶望的だった。
その小袋は、エマが作ったものだった。
「どうしたのですか?」
エマが目を見開いた。
シリが裁縫に興味を持つなんて。
何があったのだろうか。
「上手に作ろうとか・・・そういう野心はないの。でも、小袋くらいは作れるようになりたいわ」
シリは小袋をそっと撫でた。
「そうですね。姫様達と一緒に習いましょうか」
エマは微笑んだ。
「この小袋に紐をつけて身につけておくわ。
そうすれば、いつでも・・・グユウさんとシンと一緒にいられるわ」
明日の10時20分
ゼンシが妹シリに贈ったのは、美しいドレス一式――そして一着の紺の乗馬服だった。
裏切りを許さぬ男が、なぜ彼女を喜ばせるような品を与えるのか。
それは罠か、憐れみか――シリは答えの出ぬまま、贈り物を抱きしめていた。
「兄の愛は毒のように」
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◇登場人物
シリ
ワスト領の元妃。兄ゼンシの支配下で暮らす中、亡き夫と息子の記憶を胸に生きている。
この章では、シンの形見と再会し、深い悲しみと共に“生きる力”を取り戻していく。
ゴロク
ミンスタ領の筆頭重臣。誠実で温厚な人物。
かつてからシリを支えてきた忠臣であり、密かに彼女への想いを胸に抱く。
この章では、マナトを伴ってシリを訪ねる。
マナト
亡き重臣ジムの孫。かつてシンを逃がす任務に就いていた青年。
死んだと思われていたが、ゼンシの配慮で命を拾う。
シンの形見の小袋をシリに届け、その想いを繋ぐ役を果たす。
エマ
シリの乳母
シン
グユウと前妻の息子。幼くして処刑されたが、その髪が形見として母のもとへ戻る。
彼の存在は、シリに“愛の証”を思い出させる。
グユウ
シリの亡き夫。生前、妻と子を守るためゼンシに手紙を送り、
死後もなお、家族を結びつける象徴として描かれる。
◇このお話の前の話。
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寡黙で不器用なグユウと勝気な姫 シリが本当の夫婦になるストーリー
秘密を抱えた政略結婚 〜兄に逆らえず嫁いだ私と、無愛想な夫の城で始まる物語〜
▶︎ https://ncode.syosetu.com/n2799jo/
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