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晒された首と許されざる兄

残酷な表現があります。苦手な方はご遠慮ください。


これは、戦で家族を失った母と三人の娘。


愛を捨て、政略結婚と愛なき城から始まる、希望をつなぐ戦いの物語。


そこに横たわっていたのは、年老いた女の遺体だった。


皮膚は紫色に腫れ、肩には縄目の痕が深く刻まれていた。


手はありえない形に折れ曲がり、暴力の痕跡を物語っている。


そして――指が、七本、なかった。



「義母上が・・・殺されたわ」


シリの声は、悲しみと憤りを溶かし込んだかのように震えていた。


手には、羊皮紙の手紙がくしゃりと握られている。


「マコ様が・・・」.

隣にいた乳母のエマがそう口にした後、息を呑んで絶句した。


ここは、ミンスタ領・シュドリー城の一室。


かつて夫と暮らしたワスト領は、半月前に陥落した。


そのとき夫は言った。


『俺の命と引き換えに、妻と娘たち、そして家臣を守ってくれ』


シリは夫を亡くし、三人の娘とともに生家へ戻った。


亡き夫とは、政略結婚だった。

兄ゼンシの命令で嫁ぎ、愛を知らぬまま始まった関係。

だが夫・グユウとは次第に心を通わせ、三人の子を授かった。


・・・けれど、一番上の子の父親は、兄――ゼンシだった。


兄のいるミンスタ領と、夫の治めるワスト領は争い、そしてワスト領は滅んだ。


シリとその子らは、生家であるシュドリー城に保護された。


シリの母は何も言わず、ただ静かにシリを抱きしめた。


弟たち、甥たち、家臣や侍女たちは、傷ついた彼女を思いやり、励まし、気を使ってくれた。


「ゼンシ様は・・・約束を守ってくださいました」

エマの唇が震える。


「ええ、確かに守ったわ」

シリはかすれた声で返す。


「でも・・・夫の首を晒したのよ」


窓の外には、秋の兆しを感じさせる光が差し込んでいた。

けれど、今のシリには、その柔らかさすら残酷に思えた。


「グユウさんだけじゃない。義父のマサキ様も、グユウの友人のトナカも・・・。みんな・・・罪人として首を晒されたわ」

言葉を吐き出すたびに、胸の奥の傷が裂けるようだった。


「それだけじゃないの・・・」

シリは拳を握りしめた。


「義母上を!兄上は!」


シリの声が震えた。荒くなった呼吸が、胸の奥から漏れる。


「逃げる途中で捕まって、柱に縛られて・・・」


言葉が喉で詰まる。


目の奥が熱くなる。


「毎日、一本ずつ・・・指を切り落とされたの。そんな殺し方って・・・ある?」


沈黙。


エマは何も言えず、ただ目を伏せる。


シリの目に浮かぶのは、黒い瞳を持ち、口数の少なかった義母・マコの姿だった。


その静けさと温かさは、確かに夫グユウに似ていた。


「義母上は、何も悪くなかった。ただ・・・グユウさんの母だったってだけで・・・!」


涙がこぼれ落ちる。

シリは、エマの胸に顔を押し当てた。


「どうして・・・どうして、あんなことができるの・・・あの人は・・・私の兄なのに」




部屋の扉――わずかに開いた隙間から、二つの影がじっと様子をうかがっていた。


気づかれることなく、息を潜めて。


金色の髪に青い瞳をもつ少女、ユウ。


シリの長女だ。


そしてその隣には、乳母の子供であるシュリの姿があった。


「おばばさまが・・・死んじゃったの?」

ユウの目が真ん丸くなり、声がふるえた。


「指・・・切られるって・・・そんなの、ひどいよ・・・!」


ユウは顔をくしゃっとゆがめて、乳母子のシュリの袖をぎゅっと握った。


ユウの小さな声が、喉の奥で震える。

想像すらしたくなかった言葉だった。


シュリは答えず、そっとユウの手を取った。


「行きましょう」

その一言で、二人は音を立てないようにその場を離れる。


廊下の突き当たり。陽の当たらない、薄暗いカーテンの裏に身を潜める。



ユウは繰り返し、唇を噛んだ。

その瞳には、涙がにじんでいた。


「指を・・・切られるなんて・・・」

言いかけた言葉が喉で詰まる。


痛みの想像すらできない。


けれど、怖いほど鮮やかに、想像してしまう。


祖母・マコのやさしい声、あの温かい手。

父と同じ黒い瞳で「あなたは美人になるわね」と笑ってくれた顔。


その人が、縛られ、苦しみ、泣いていたかもしれない――。


ユウの体が小刻みに震える。


「シュリ・・・どうして…?」

泣き声混じりに尋ねるユウに、シュリは何も言えなかった。


ーー何が正しくて、何が間違いだったのか。


子供の自分にだって、それは分からない。


「ユウ様、こわいの、だいじょうぶ」

シュリは、小さな声でそう言って、ユウの手をぎゅっと握った。


それでも、ユウは泣きやまない。


ユウの涙を見たシュリは、唇を固く結んだ。


「・・・ユウ様、泣かないで。僕が守ります」

まだ小さな体で、精一杯胸を張る。


その声は幼いのに、不思議と頼もしく響いた。


ユウは涙をこぼしながら、うなずいた。



その頃、謁見の間では――


「逃げた子供を探せ。グユウの長男だ。五歳のシンを――見つけ出して処刑しろ」


ゼンシの低い声が響きわたった。


その声音は冷えきっており、感情の欠片すらなかった。


ざわり、と空気が揺れる。


重臣たちが互いの顔を見合わせる中、ひとりの男が声を上げた。


「お、お待ちを、ゼンシ様!」


重臣の一人、ゴロクが進み出て、深々と頭を下げた。

老齢の彼の肩が震えているのが、遠目にも分かる。


「確かにセン家の血を引くとはいえ、まだ五歳の子でございます。シリ様のお気持ちを・・・お察しになられては・・・」


ゼンシの青い瞳が、氷のように冷たく光った。


「お気持ち?」

ゆっくりと繰り返したその声には、怒気ではなく、静かな侮蔑がにじんでいた。



「ゴロク、領主の命に私情を差し挟むのか?」


ゴロクは思わず口を噤んだ。

口の中の唾が鉄の味に変わる。


「父上・・・」

今度はもうひとりの声が上がった。ゼンシの息子、タダシだった。


「シリ姉は・・・もうこれ以上、失えないはずです。夫も、義母も、義父も・・・。今度は子供まで・・・」


タダシの声も震えていた。

彼とて、セン家の血筋を脅威と捉えることは理解していた。だが――。


「その子は、シリの子ではない」

ゼンシはそう言い切った。


背もたれに身を預け、まるで退屈なことでも話しているように続けた。


「グユウと、その前妻の子だ。モザ家の血は一滴も流れていない。だが、奴はセン家の後継者だ。生かせば、火種になる」


その瞳に浮かぶのは、領主としての冷徹な計算だけだった。


「キヨ」

ゼンシは奥の席に座る男を呼んだ。


「はっ」


頭を下げたのは、鼠のように細く痩せた男――重臣キヨ。


その目は光を失い、まるで命令を疑う余地すらなかった。


「シンを探せ。草の根を分けてもだ。そして見つけ次第、処刑しろ」


「承知しました」


キヨは一度も顔を上げないまま、静かに退室していった。


ゼンシが一度手を振ると、家臣たちは次々に命令を受け、動き出した。


どこかで誰かが息を呑む音がした。


あまりに静かで、寒々しい命令だった。


会議の場に残ったのは、ただ凍りつくような空気だけだった。




半月ほど、手を尽くしても、シンの居場所はどこにもわからなかった。


「息子の居場所をシリに聞く」


ゼンシは独り言をつぶやき、シリの部屋に足を運んだ。


よろしくお願いします。


次回ーー


亡き夫の母を失い、哀しみに暮れるシリのもとに現れたのは、かつて彼女の人生を翻弄した兄・ゼンシだった。かつての記憶と、今なお続く支配の影。シンの命を狙う兄の冷酷な思惑を前に、シリとユウ、シュリはどう動くのか——。

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前作のご案内


この物語は、完結済『秘密を抱えた政略結婚』の続編です。

兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。


▶︎ https://ncode.syosetu.com/n2799jo/

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