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第7章:迫り来る“魔女狩り”と前世の教訓

 朝焼けの薄明かりが王都フォルカスを覆い始める頃、城門付近には騒然とした人だかりができていた。ごわごわとした麻布の衣をまとい、粗末な木の十字架や聖典を掲げる民衆が、口々に「魔女を追い払え!」と叫んでいる。彼らの目は熱に浮かされたように血走り、まるで近寄る者を片っ端から糾弾しそうな危うさを漂わせていた。誰かが低い唸り声をあげ、「魔女など許せぬ、火刑で清めろ!」と声を上げると、周囲の人々が拍子を合わせるかのように同調する。まるで“魔女狩り”を待ち望むような狂騒が、王都をじわじわ侵蝕しているのだ。


 獣王フィンブールが国境の砦でアニェスと交戦し、痛手を負いながら撤退を余儀なくされたという報せは、すでに市民のあいだにも広がっている。アニェスの軍勢が近づく恐怖からか、一部の住民たちは“この敗北は、魔女を庇護しているせいではないのか”と噂し始めた。しかも、それを煽り立てるかのように、メドラン皇国が仕掛けている情報操作や扇動が水面下で進んでいるらしい。そうした煽りを真に受けた市民が、この朝、ぞろぞろと集まり“魔女退治”を叫び出したのだ。


 「おい、やめろ! ここは王都だぞ。勝手に火刑台など作っていいわけがないだろうが!」


 王宮の衛兵が市民を制止するが、興奮状態の人々は聞く耳を持たない。「魔女を放置すれば、我々はアニェスの炎に焼かれるんだ!」「そもそも獣人族を匿うなんて、神に背く行いだ!」といった言葉が次々に浴びせられ、衛兵も対処に苦慮している。一昔前なら、獣人族と人間族が平和に共存してきた証として自慢げに語られたフォルカス王国の王都。だが、いまやメドラン皇国の圧力と敗戦の混乱で、内部から不協和音が噴出しているのが現実だった。


 そんな中、王宮の回廊でも息の詰まるような緊迫が漂っている。フィンブールは深刻な傷を抱え、ようやく体調が回復したばかりだが、未だ満足に動ける状態ではない。しかも、砦陥落の後処理や兵の再編を進めるには王自らの采配が不可欠なため、連日寝る間を削って公務に追われている。近衛兵や獣人族の重臣たちが悲壮な面持ちで報告を持ち寄り、王都で暴徒化しかけている市民への対処や、迫りくるアニェス軍への次の防衛策に頭を悩ませていた。


 ジャンヌは重苦しい空気の中で、王の執務室に赴く。ドアをノックすると、中からフィンブールのしわがれ声が聞こえる。「入れ」と言われ、部屋に入ると、積み上げられた書簡と地図の山に囲まれた王が机に伏せるようにして息をついていた。まだ包帯の巻かれた腕や首に痛々しい痕跡が残り、目の下には濃い影ができている。それでも、獣王としての威厳だけは失っておらず、ジャンヌが近づけば、ゆっくりと顔を上げてくれた。


 「来たか、ジャンヌ……。そろそろ、お前にも聞いておいてもらいたいことがある」


 フィンブールは左手でこめかみを押さえながら、いくつかの書簡を示す。「ここのところ、王都の中で“魔女狩り”を求める動きが激化しているのは知っているな。実はそれを裏で煽っている者がいるらしい。うちの情報員の話では、メドラン皇国の従者が密かに王都に紛れ込み、市民を扇動している可能性が高い。しかも、何者かが『異端を庇えば、王都はアニェスの炎に包まれる』と触れ回っているようなんだ」


 驚くほど直截的な破壊工作だが、先日アニェスとの交戦で敗北を喫した事実がある以上、その主張を全面否定するのは難しい。市民の中にも不安を募らせている者は多く、中にはメドラン側と内通してでも火刑を免れようと考える輩も出てくるかもしれない。フィンブールは書簡の一部を渡しながら、深い溜め息をついた。


 「内容を読めば分かるが、『ジャンヌ・ダルクこそが魔女だ。あの聖槍は邪神の槍であり、彼女を排除すれば王都は救われる』と……、そういう扇動ビラが出回っているんだ。実に馬鹿らしいが、不安な市民にとっては藁にもすがる思いで信じてしまうのだろう」


 ジャンヌは受け取った紙を視線で追い、心が軋むような痛みを覚えた。“魔女裁判”“火刑台”という言葉が踊り、まるで自分の前世を嘲笑うかのように書かれている。しかも扇動ビラには「我らがメドラン皇王の御心に従えば、異端の火から免れられる。神の子たる人間族を裏切るな」といった文句まであった。


 「そんなの……私がここで戦っている理由を知れば、分かってもらえると思ってました。なのに、何故こんな極端な考えに走ってしまうんでしょう……」


 呆然と呟くと、フィンブールがやや暗い笑みを浮かべる。「恐怖は人を狂わせるものだ。メドラン皇国の“魔女狩り”がここまで広まれば、人間族の一部が“あいつらがいるから俺たちも危険だ”と思い込むのも無理はない。しかも、ルシャールや黒騎士が動いているなら、王都を内部から崩すなんて容易いことだろう」


 そう――ルシャールは“敬虔な聖騎士”として名高く、狂信に近い方法で異端狩りを推し進めてきた男。もし王都に潜入し、宗教的な洗脳や政治工作をしているのであれば、民衆を熱狂させることは容易かもしれない。そして、その果てには“火刑台”が再現される危険が高い。


 「火刑台……」


 声に出すだけで、ジャンヌの身体が強張った。前世で焚刑に処された記憶――史実のジャンヌ・ダルクがたどった末路が頭をよぎる。自分が本当にその人の生まれ変わりなのかは依然として不確かだが、炎に焼かれて死んだあの感触だけは鮮明に覚えている。先日も、アニェスの炎を目にした瞬間に思わず足がすくみ、戦いが怖くなった。もし今回も同じように“魔女”として捕らえられたら、そんな最期が繰り返されるのではないか――恐怖が全身を駆け巡る。


 「ジャンヌ……無理はするなよ。お前が怖がるのも当たり前だ。俺だって、黒騎士やルシャール、それにアニェスが本気で王都を狙ってくるのは恐ろしい。だが、だからこそ、こんな工作に負けるわけにはいかない。市民が暴走する前に手を打たねばならんし、お前を犠牲にさせる気はない」


 フィンブールの言葉は力強く、それでいて傷を抱えた身の儚さもにじませている。まだ包帯の巻かれた身体だが、王としての使命感に駆り立てられているのだ。ジャンヌはそんな彼の姿を見て、“今度こそ前世のように一人で炎に呑まれない”と少しだけ胸を張れる気がした。王や仲間たちが、自分を守ってくれる。前世で孤独に斃れた史実のジャンヌ・ダルクとは違うのだ、と。


 とはいえ、外の群衆の勢いは侮れない。あわや王宮前に火刑台を作ろうかという過激な声まで出ており、衛兵と衝突すれば暴動に発展しかねない。そうした混乱を避けるため、フィンブールは「まずはお前を安全な場所に移そう」と提案する。実際、ジャンヌが姿を見せれば、彼女を魔女と疑う者たちが騒ぎをさらにエスカレートさせる恐れがあるからだ。


 「けれど、わたしは王都の中でこの危機をどうにかしたいんです。逃げてばかりでは、いつかルシャールが本気で襲ってきたとき、同じことが起きます」


 ジャンヌの真剣な訴えに、フィンブールは少し考え込み、やがて低い声で答える。「分かった。なら、俺の部下が管理している離れの屋敷へ移ってくれ。そこなら目立ちにくいし、護衛もしやすい。今のまま王宮で過ごしていれば、お前の動向を探っている工作員に狙われるかもしれないからな」


 それは確かに得策だった。王宮内には獣王に忠誠を誓う兵が多いが、人の出入りが激しく、監視の目も届かないところがある。メドラン皇国の間者や、狂信者が潜んでいても不思議ではない状況だ。離れの屋敷なら警護を集中的に配置しやすいし、ジャンヌ自身も一定の自由が利く。


 「ありがとう。わたし、そちらに移ります。きっと、またルシャールが何かを仕掛けてくるでしょうし……そのときには、まず扇動されている市民に直接語りかける機会が欲しいんです。わたしが本当に“魔女”なのかどうか、聞いてほしいと思います」


 フィンブールは苦笑しながら、「市民の多くは、そこまで理性的に話を聞いてくれるかどうか……」と漏らす。それでも、ジャンヌの強い決意を受け止め、「少なくとも、お前は一度捕縛されかけても逃げ切るくらいの運は持っているからな。王の俺が軽々しく言うのもなんだが、あまり悲観しすぎるな。前世のようにはさせない」と語る。その言葉が、ジャンヌの胸の奥に小さな灯をともしてくれた。


 かくして、ジャンヌは少数の護衛を連れて王宮を出ることになった。夜明け前の薄暗い時間帯を狙って移動することで、外の騒ぎと衝突することを避ける手筈だ。フィンブールが信頼を置く近衛兵が先導し、ジャンヌを馬車に乗せて王都の裏路地を通る。なるべく見つからないように遠回りをして目的地を目指すのだ。


 道中、通りの片隅に座り込んだ人間族の老女や、祈りの言葉をブツブツ唱える神官らしき男の姿が目につく。どの顔も不安に歪み、戦時下の混乱をありありと伝えている。彼らの多くは、メドラン皇国が迫る恐怖から逃れたいだけなのかもしれない。だからこそ“魔女を差し出せば解決する”と囁く工作に、つい乗ってしまうのだろう。


 馬車が裏道を抜けて三つほど角を曲がったとき、不意に護衛が小さく声を上げた。「誰かがつけてきている……。馬車を降りて、徒歩で屋敷に向かいましょう。もうすぐですから」

 ジャンヌはドキリとする。ルシャールの手の者か、あるいは狂信的な市民か。まったく予断を許さない状況だった。急いで馬車を降り、裏通りの石畳を駆け足で進む。二人の護衛が後ろを警戒しながら、ジャンヌを先導する。


 「こっちです。あと数分で到着――」


 護衛がそう言いかけた瞬間、視界の端に鈍い光が揺れていた。誰かが右手の路地から飛び出し、鋭い音を立てて短剣を構えている。「見つけたぞ、魔女……!」という低い声が聞こえ、ジャンヌは反射的に身をかがめる。護衛がすかさず剣を抜き、短剣の持ち主へ斬りかかった。


 「くっ、こいつは……人間族か?」


 見る限り、相手はまだ若い男で、粗末なマントと不自然に歪んだ笑みを浮かべていた。狂信者なのか工作員なのか分からないが、ジャンヌを見る目が明らかに尋常ではない憎悪を宿している。男は短剣を振り回しながら、「メドラン皇国の審問官が言っていた……魔女さえ殺せば、我々は救われるんだ! この街から獣人族と魔女を追い払えば……!」と喚く。


 護衛の剣が男の腕を切り裂き、血が飛び散るが、それでも男は怯まずジャンヌににじり寄ろうとする。「ええい、しつこい……!」と護衛が拳で男のこめかみを殴りつけ、ようやく男は意識を失って倒れこんだ。あまりに執着的な動きに、護衛自身も息をのんでいる。「恐ろしい……どうしてこんな無謀な行為に走れるんだ」


 ジャンヌはその場に立ち尽くし、倒れた男を見下ろす。鼻孔に血の臭いが入り込み、前世で見た火刑台の記憶が蘇りかけるが、必死に頭を振って振り払う。こんな形で殺意を向けられることなど、辺境の村で暮らしていたころには想像もしなかった。自分が“魔女”と名指しされるだけで、ここまで人を狂わせるのか――。


 「ひとまず、先を急ぎましょう。大きな騒ぎになる前に……!」


 護衛の一人が男の短剣を蹴り遠ざけ、彼を路地の端へ引きずる。応急処置程度の手当はするが、連れて行く余裕はない。下手に動かせば、仲間が現れるかもしれない。ジャンヌは胸の痛みを覚えながら、その場を後にするしかなかった。


 こうして辛くも難を逃れた一行は、なんとか“離れの屋敷”に到着した。そこは王都の一角にある古い貴族の屋敷跡で、現当主が領地へ移った後は王宮の管理下にあったという。建物は人目を避ける立地にあり、壁をつたう蔦が年季を感じさせる。護衛が扉を開け、中の様子を確かめる。先に配置されていた兵が無事に控えていて、周辺の警戒も進めているとのことだった。


 ジャンヌはほっと息をつき、屋敷の一室でようやく落ち着く。このまま籠城していていいのか疑問はあるが、とにかく外で“魔女狩り”を叫ぶ人々に飛び込めば、先ほどの男のように襲われる危険が高い。一度捕縛でもされれば、ルシャールが現れて本当に火刑台が用意されてしまうかもしれない。先日のルシャールとの激突を思い出すだけで、体が震えてくる。


 (わたしは……本当に史実のジャンヌ・ダルクのように、再び火刑に処されて終わるのだろうか。そうならないために、ここまで来たのに……)


 心の声がふと漏れそうになる。前世の記憶――あの焚刑台での苦しみがフラッシュバックすると、息苦しくなって地面に崩れそうだった。けれど、守られているという実感も確かにある。フィンブールや仲間たちが助けてくれると信じるからこそ、前世の結末を変えられるのではないか、とすがる思いでいるのだ。


 外からは、まだ遠くで人の罵声が聞こえる。まるで病魔のように拡散する“魔女狩り”の熱狂。そんな中、護衛が部屋のドアをノックして小声で言う。「周囲に不審者はいないようですが、どうも市中には“王都を救うための魔女火刑を要求する”一団が広がっているようです。手には松明や十字架を持っているとのこと……万が一、こちらを突き止められたら、厄介なことになるかもしれません」


 ジャンヌは息を呑む。“前世の教訓”を活かすなら、ここで下手に姿を現さず、静観すべきだろう。史実のジャンヌ・ダルクは自ら戦場に立ち、最終的に裁判で炎に呑まれた。もし同じ轍を踏みたくなければ、目立たないほうが安全だ。だが、何もせずに引っ込んでいれば、ルシャールや黒騎士は王都の不安を拡散し続け、アニェスの大軍も近づいてくる。結局、どこかで身を挺して動かねばならない瞬間が来るのは分かっている。


 護衛が続ける。「さらに、奇妙な噂も入っています。どうやらルシャールが“メドラン皇王レオナルト二世のお慈悲に従え”と扇動する書簡を流布しているらしく、王都のいくつかの貧民街では、それを真に受ける者が増えているようです。生き延びるためならメドランに降ってしまえ、という考え方ですね」


 市民がアニェスやルシャールに下るとなれば、フォルカス王国は内部から瓦解し、獣王フィンブールは孤立無援に陥るだろう。そのシナリオが、メドラン皇国の狙いなのだ。一度は国境の砦を落とし、アニェスが実力を見せつけた今、誰もが「次は王都が炎に呑まれるかもしれない」と恐怖している。ルシャールが“火刑を免れたいなら魔女を差し出せ”とでも囁けば、目の前の恐怖に負けて手を挙げる者が出るのも不思議ではない。


 (このままじゃ、わたしは本当に“悪夢どおり”に焼かれる運命なの?)


 不意に、廊下から小走りの足音が近づいてきた。ドアが再びノックされ、別の近衛兵が緊迫した声で呼びかける。「失礼します! 今、王宮から報告が入りました。ルシャールが王都の中央広場で演説を行うとの情報があり、民衆が集まりつつあるようです。陛下は警戒態勢を強めるよう命じています」


 ルシャール……! ジャンヌの胸がいっそう強くざわめく。自分を“魔女”と断じたあの聖騎士が、今まさに王都の民を“メドラン皇王に降伏すべき”と説き、フォルカス王家を異端認定しようとしているのだろう。広場に集まった市民の熱狂が火刑台を呼び起こすかもしれない。否応なく、ジャンヌの中で焚刑台の記憶が鮮明に蘇る。――史実のジャンヌ・ダルクが囚われた場所でも、同じように騒ぐ群衆がいたのではないかと想像すると、息苦しくてたまらない。


 しかし、ここで逃げては何も変わらない。護衛たちが「屋敷で待機を」と勧めるのを振り切り、ジャンヌは固い意志で言い放つ。「わたし、広場へ行きます。ルシャールが何を言っているのか、自分の耳で確かめたい。勝手な理屈で火刑を焚きつけられてたまるものですか」


 「それは無謀です、ジャンヌ様! 市民の一団が敵意をむき出しにしていたら、取り囲まれて捕縛されかねません!」


 「分かってます。けど、隠れ続けても状況は好転しない。扇動が拡がれば、犠牲がさらに増えます。わたしは前世の焚刑台の記憶を繰り返したくない。自分が捕まらないよう、全力を尽くします。……お願いします、協力して」


 護衛たちが苦い顔をするが、ジャンヌの決意が揺るがないことを知ると、やむなく折れる。「分かりました……少数で、素早く移動しましょう。万が一のときは、すぐに退避できるようにしてください」


 こうしてジャンヌは護衛を従え、急ぎ広場へ向かうことになった。ルシャールがそこまで露骨に表へ出るということは、恐らく“罠”の可能性も高い。ジャンヌが現れれば、一気に囲んで火刑を始めるシナリオさえあり得る。だが、それを恐れていては何も変えられない。前世の悲劇を回避するため、今度こそ自分の意志で立ち向かわねば――そう念じながら、痛む足を踏みしめた。


 案の定、広場には既に多くの人々が集まっていた。中心部には簡易的な高台が設けられ、ローブを着込んだ何者かが説法のように声を張り上げている。その言葉をはっきり捉えるために、ジャンヌは人混みの外縁に身を潜め、注意深く様子をうかがう。視線を巡らせると、何名かの衛兵が広場に入りづらそうに立っているが、それ以上に黒っぽい修道服や鎧を纏った連中が並んでいるのが目につく。


 「あれは……ルシャールの聖騎士団かもしれない。市民を守るどころか、彼らを煽っているんだ……!」


 ジャンヌの背筋が寒くなる。修道服を着た神官らしき一団が高台のあたりに整列していて、その中心に、聖典をかざす騎士の姿があった。金色の髪を持つルシャールとは対照的に、やや白みがかった鎧を纏い、厳粛な面持ちで“メドラン皇王の偉大さ”を説いている。その物腰は優雅で静かだが、どこか背後にある狂信を感じさせるオーラが漂っている。


 「市民よ、聞くがいい。汝らが獣王フィンブールなどという獣を王と仰ぐ限り、神の祝福は得られぬだろう。アニェス将軍が砦を落としたのは、その証左だ。だが、我らがメドラン皇王に恭順を誓い、人間族の神聖なる血筋を守ろうとすれば、火刑の厄災から解放されるのだ」


 ルシャールの語りは丁寧で落ち着いているが、その内容は“魔女”や“異端”を排除しろという論調で一貫している。群衆の中から「我らが火刑に怯えずに済むなら、従ったほうがいいのか?」「でも、この街には獣人族もいるじゃないか……」と混乱の声が上がり、ルシャールの隣の神官が「神の名に誓えば、獣人族も魔女も排斥されるだろう」と畳みかける。少しずつ熱気が増し、何人かが手を挙げて「そうだ、魔女を追い出せ!」と叫び始める。


 (このままじゃ、本当に火刑台が用意されるかもしれない……!)


 ジャンヌの心臓が高鳴る。前世の光景と重なりすぎて、吐き気さえ覚える。けれど、ここで黙っていたら、同じ破滅が繰り返されるだけだ。意を決し、護衛を振り払いながら、人混みの隙間を縫って高台に近づこうとする。護衛はあわてて引き留めるが、ジャンヌの決意は固い。


 「待ってください、危険です!」


 「分かってる。でも、止めなきゃ……!」


 ルシャールの声が一段と大きくなる。「さあ、皆の者、獣人族や魔女を信じるか、我らが神と皇王を信じるか――その選択を迫る時が来た。ここに“魔女”が現れれば、我々は神の裁きを執行するまでだ!」


 その発言に呼応するように、人々がざわめき、空気に刺々しい緊張が走る。まさに、“魔女が現れたら火刑にかける”というシナリオが現実味を帯びている。護衛は青ざめて「絶対に名乗り出てはいけません!」と声をかけるが、ジャンヌは首を横に振る。確かに怖い。けれど、もう逃げるばかりでは負の連鎖を断ち切れない。


 人垣を押し分けて前に進んだ瞬間、誰かが「何者だ?」と振り向き、その視線がジャンヌの姿に注がれる。とっさにフードを外したジャンヌは息をこらし、まっすぐルシャールを見据える。広場の人々が一瞬どよめき、静寂が流れた。

 「私がジャンヌ・ダルクです。――もし私を“魔女”と断じるなら、その理由を教えてください。わたしは、ただ異世界から来たわけでもなく、メドランを裏切ったわけでもない。むしろ、この王都を守るために戦っているだけ……!」


 ルシャールの瞳が揺れ動く。聖典を胸に抱えながら、ゆっくりと口の端を上げた。まるで予想どおりだとでも言わんばかりの薄笑い。「お前が出てきたか、ジャンヌ・ダルク……。よほど死にたいらしいな。いや、これで市民にも分かっただろう。こいつが獣人族の魔女だ。聖槍を操り、邪悪な力で我々を破滅に導く元凶だ!」


 ルシャールは声を張り上げ、周囲の神官や聖騎士たちが一斉に「魔女……!」と呟く。集まった民衆の中にも、恐怖心を煽られて「そいつを捕らえろ!」「火刑にしろ!」と叫ぶ者が出始め、現場の熱狂は一気に高まっていく。護衛が「まずい、下がるんだ!」とジャンヌの腕を引こうとするが、ジャンヌはそれを振り解いた。


 「みなさん……落ち着いて聞いてください! 私はメドラン皇国と戦う獣人族を助けているだけで、誰も脅かそうとしていません。火刑に処されるのは、根拠のない迫害です。ルシャールさん、あなたの正義は本当に神のものなんですか? 幼い子どもや罪のない人まで焼き殺しておいて、それが本当に救いをもたらすと思っているの……!?」


 必死の訴え。だが、ルシャールは口元に冷えた笑みを浮かべ、「救いだとも。お前らが滅びることで、人間族の神聖なる血が守られる。私の信仰は絶対だ」と言い放つ。その真っ直ぐな狂信に、ジャンヌは寒気を感じる。市民の一部が「そうだ、メドラン皇王に背くから敗北したんだ」と口々に叫び、護衛が「撤退を!」と焦った声を上げる。火刑台こそまだ設置されていないが、今にも火種を投げ込まれそうな殺伐とした空気が漂う。


 そして、広場のはずれから金属音が聞こえ、武装した十数名の男たちが姿を現した。彼らはメドラン皇国の紋章こそ示さないが、明らかに何らかの隊列を組んでいる。中心人物らしき者が「異端の魔女を捕らえろ!」と号令を発し、一気に群衆をかき分けてジャンヌのほうへ突撃を開始した。

 「こいつを差し出せば、我々は助かるんだ……!」

 「火刑だ、火刑にしろ!」


 暴徒化した人々も加わりかねない状況だ。ジャンヌは恐怖で膝が震えそうになるが、同じ過去を二度繰り返したくない気持ちで必死に踏みとどまる。前世の教訓――史実のジャンヌ・ダルクが孤独に燃え尽きた記憶を乗り越えるため、ここで立ち止まるわけにはいかないのだ。護衛数名はジャンヌを囲む形で剣を抜き、「下がれ、無礼者!」と牽制を飛ばすが、相手は人数が多いうえに血走っている。いずれ包囲網を突破されるのは時間の問題だ。


 まさに絶体絶命かと思われたとき、周囲がざわつき、別の声が響いた。「退け、無法者め! こちらは王の名でお前たちを制止する。下手に騒ぐと衛兵隊を呼んで一網打尽だぞ!」

 声を上げたのはフォルカス王国の近衛兵や騎士たちで、明らかに増援が駆けつけたらしい。どこからか「王命だ、道を開けろ!」という喊声が上がり、混乱していた群衆の一部が怖じ気づくように後退する。敵が多いのは変わらないが、少なくともルシャールの手勢だけではいきなり火刑に持ち込むのが難しい状況になった。


 「くっ……余計な割り込みを」


 ルシャールが悔しそうに舌打ちしながら、神官たちに退却を指示する。「仕方ない、今はここまでにしておく。民衆よ、よく覚えておけ。魔女を放置すれば、獣王とともに全員が神罰を受けることになるのだぞ。いずれ再び、神の裁きの時が来る――!」

 そのまま聖騎士団らしき集団が足早に散っていき、煽動されかけていた群衆も、割れたように動揺を見せる。まさか本当に火刑が始まるところだったのか、あるいは衛兵隊の介入で逮捕される可能性を恐れたのか、叫び声は次第に小さくなり、人々は霧散していく。


 ジャンヌは護衛の助けで広場から離れ、近衛兵と合流する。胸の鼓動がうるさいほど響き、汗が背中を伝うのを感じた。ほんの一歩の差で前世のような火刑が再現されるところだったかもしれない、と思うと震えが止まらない。

 (前世と同じ悲劇を繰り返すな――そう誓ったのに、あわや捕まるところだった。危ない……でも、助かった……)


 近衛兵の隊長が「陛下が懸命に調整してくれたおかげで、こちらに増援を回せました。ルシャールを逃したのは痛いですが、あなたが捕縛されるよりはマシです」と言い、ジャンヌを安心させる。たしかに、ルシャールの工作は止まっていないが、今のところ正面衝突には至っていない。

 ジャンヌはぐったりと力が抜けそうになりながらも、「皆さん、ありがとうございました。わたしが名乗り出たばかりに……」と申し訳なさそうに頭を下げるが、隊長は首を振る。「いえ、あのまま扇動が続いていたら、市民の不満がさらに膨れ上がったでしょう。あなたが話しかけたことで、恐怖より理性を取り戻した人もいると思います。今は、これ以上の暴動を防ぐのが先決です」


 歴史は繰り返すかもしれない。それでも、前世と同じ末路にならないようにするために、こうして仲間たちが守ってくれている。ジャンヌは護られている実感を胸に抱き、“魔女狩り”の嵐をくぐり抜ける方法を模索しようと決意を新たにする。フィンブールや友軍の支えがある限り、前世の焚刑のように孤独に死ぬことはないはずだ――。


 屋敷へ戻る道すがら、ジャンヌは空を見上げて思う。ルシャールや黒騎士、そしてアニェスの大軍が迫るこの王都で、自分は何ができるのか。迫り来る“魔女狩り”は、史実でジャンヌ・ダルクを焚刑に追い込んだように、この世界でも同じ結末へ向かわせようとしている気さえする。けれど、前世の教訓を活かすなら、今度こそ最後まで抗わなければならない。獣王フィンブールもまた、そのために自ら血を流して戦っているのだ。


 ――扉を開ければ、温かい灯火がジャンヌを迎える。仲間たちの気遣いがしみ入り、再び立ち上がる勇気を奮い起こす。史実とは違う結末を得るために、彼女は“魔女狩り”の恐怖に飲まれず、最後の瞬間までこの街を護ると誓った。もし再び火刑が企てられたとしても、今度は独りではない。かつて孤独に燃え尽きたジャンヌ・ダルクとは違う運命を切り拓くため、ジャンヌは自分の命を賭してでも戦うつもりだった。


 外には暗雲が垂れこめ、いつまた暴動が起きてもおかしくない。ルシャールの潜入は続き、メドラン皇国の影はますます広がる。それでも、“魔女”と呼ばれるこの娘は前世の焚刑に囚われるだけでなく、仲間の手を借りながら一歩ずつ歩みを進める。史実での破滅的な結末は、あくまで“過去の教訓”として活かすためにある。彼女の胸の中で、その言葉が絶えず響く――今度こそ、火刑台に倒れず生き延びてみせる、と。沈む太陽の赤い光が、獣人族と人間族が混じり合うこの王都の建物を染めながら、静かに夜の帳を下ろしていくのであった。

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