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第3章:王都フォルカスへの旅路と“魔女狩り”の噂

深い眠りから目覚めたとき、まだ窓の外には夜の気配が残っていた。室内にわずかに差し込む明かりは、廊下に灯されたランプの反射か、あるいは月光か。ジャンヌは寝台の上で身じろぎし、枕元に置いた聖槍――正確には、今は消えているはずの槍の残滓を探した。けれど、その光はもう見当たらない。槍は意志を持つかのように、彼女が必要としない限り具現化しないらしい。


まだ眠気は濃厚に残っている。しかし妙な胸騒ぎがして、これ以上ベッドで横になっているのも落ち着かない。暑いのか寒いのかもよく分からず、緩やかな吐息をこぼしながら起き上がる。部屋は十分に広く、豪奢な装飾がなされているのに、自分にはこの場がどこか居心地悪く感じられた。村の粗末な住居で寝起きしていた頃のほうが、心は落ち着いていた気がする。


「……ここはフォルカス王城。わたしが、獣人族の王……フィンブールに連れられて来た場所」


そんな現実を改めて思い出すと、夢から醒めたような感覚が押し寄せる。あれから数日が経ったろうか。少なくとも数回の夜明けを過ごし、王都フォルカスの賑わいに慣れてきたつもりだった。獣人族の風習や街並みは新鮮で、王宮の盛大な儀礼や会議の様子に圧倒されながらも、自分が“聖槍の乙女”としてこの地で歓迎されていることを嫌でも思い知らされてきた。


しかし、夜になると悪夢が来る。焚刑台の火と嘲笑、熱と裏切りの光景が、意識の奥底でよみがえる。それが本来の記憶なのか、あるいはこの世界と無関係の“前世”というものなのか、自分でも判然としない。ただ一つ確かなのは、その炎にもう一度飲み込まれるのは嫌だということ。そして“魔女狩り”の噂が現実味を帯びるたび、その炎が現実に迫ってくるようで怖いのだ。


「メドラン皇国が、本気で動き始めている……」


ここ数日、王都には続々と兵が集結している。フォルカス王国だけでなく、ガリアス連邦の複数の同盟国から援軍や斥候が派遣され、今や街は戦時体制に突入したも同然だった。辺境の村を焼き、獣人族を“異端”として狩り立てるメドラン皇国は、このままエスカレートすれば王都に攻め込んでくる恐れも十分あるという。すでに複数の集落が“魔女狩り”と称して蹂躙された話は、フォルカスの王宮まで届いていた。


もっとも、メドラン皇国の戦力は膨大らしい。従来の勢力圏に加えて新たな領土を征服し、その資源と軍備を総動員しているという噂だ。中でも“皇王”レオナルト二世が掲げる新興宗教は、民衆の心を掴む洗脳にも等しい仕組みを備えているとか。そこで唱えられる教義の根幹が「人間族こそが唯一、神の恩寵を受ける正統種であり、獣人族やエルフ族、その他の種族はすべて排除すべき異端」という排他思想だというのだから、聞くだけで背筋が寒くなる。


その象徴ともいえるのが“魔女狩り”の制度だ。獣人族はもとより、少しでも“魔術”や“聖女の奇跡”を口にする者は魔女の疑いをかけられ、異端審問の名のもとに裁かれる。その裁きが正当な法手続きなどではなく、ただ“火刑台”に送るための見世物でしかないのは、辺境の被害報告を聞けば明らかだった。


――つまり、もしジャンヌがメドラン皇国の手に落ちれば、彼らは“魔女”として彼女を焚刑に処すだろう。それは、前世と呼べる記憶の悲劇を再演するかのようで、ジャンヌにとってはあまりに耐えがたい悪夢だ。だからこそ、彼女はもう繰り返さないために“戦う道”を選んだ。フィンブールの申し出を受け、フォルカス王国に来て、ともに防衛策を講じる立場を引き受けたのだ。


「こんなに不安なのに、引き返すわけにはいかない……」


そう自問自答しているうちに、部屋の外で控えていた侍女が声をかけてきた。「失礼いたします、ジャンヌ様。もうお目覚めでいらっしゃいますか? 朝食の支度が整いましたが、お部屋でお召し上がりになりますか?」


寝間着姿のまま返事をするのも気恥ずかしく、ジャンヌは小さく咳払いをしてから侍女を部屋へ通した。フォルカス王宮は獣人族が中心だが、人間族やほかの種族の侍女も多く働いている。彼女らはあっさりとした礼儀作法で接してくれ、ジャンヌも過度な緊張は感じずに済むのがありがたい。朝食は簡素なスープとパン、少量の肉料理が用意されていた。日が昇る前にこんな支度をしてくれるとは、王宮の勤勉さに頭が下がるばかりだ。


「ありがとうございます。助かります、夜明け前に目が覚めてしまって……」


侍女は微笑みを浮かべながら手早くテーブルに皿を並べ、ジャンヌが身支度を整えているのを待っている。「今日は陛下より“評議の場”へ招かれるご予定とか。何か必要なものがあれば、手配いたしますね」


「評議……。あ、そうでした。今日こそは正式な会議で、メドラン皇国への対応を論じるって……フィンブールさんが言ってたっけ」


慣れない環境と精神的疲労で忘れかけていたが、そうだった。ここ数日は主に王都の各所を案内してもらったり、フォルカス軍の戦力や獣人族の魔法体系などを大雑把に教わったりしていたが、いよいよ本格的な戦略会議が行われるのだ。それに自分も出席して意見を求められるというから、緊張しないはずがない。


「大丈夫よ。とりあえず食事をしてから準備するから」


侍女が出ていくと、部屋にはまた静寂が戻る。テーブルにつき、湯気の立つスープを一口すすると、胃に温かさが染み渡っていった。パンをちぎりながらしばしぼんやり考える。この国のために自分は何ができるのか。ただ槍を振り回すだけの存在では、到底メドラン皇国の圧倒的な軍事力を抑えることなど不可能だ。


そもそも、自分はどうやって“聖槍”を扱ったらいいのだろう。まだ全貌を理解していないのが実情だった。武具の専門家や魔術師が何人か解析を試みたが、「希少すぎて前例がない」「まるで神術に近い性質を持つ」などと口々に言うばかりで、はっきりとした使い方や弱点は分からないらしい。唯一確かなのは、この槍はジャンヌ本人の意志に呼応して具現化するという点。呪文や鍵が必要というわけではなく、ジャンヌが「戦う」と決めれば手元に現れる不思議な武器だ。


「前世のジャンヌ・ダルク――もしわたしがその人なら、かつて神の啓示を受けていたみたいだけど……この槍も“神の声”みたいなものなのかな」


食事を平らげ、そんな考えに浸っていると、ふと扉がノックされた。返事をすると、今度はエロアムがひょっこり顔を出す。あちこちを巡っている巡礼神官だが、ここ数日は王都でジャンヌの相談相手になってくれている存在だ。


「おはよう、ジャンヌ。気分はどうかな? 早い時間から廊下を歩く音が聞こえてね、もしや寝付けずにいるのではと思って来てみたんだ」


ジャンヌは苦笑しながら肩をすくめる。「まだ慣れなくて……悪夢もあって、熟睡というわけにはいかないわ。エロアムさんこそ早起きですね」


「うむ、神官は早起きが常よ。昔から朝の祈りを欠かしたことがないのでね。――ところで、今日は“評議の場”に招かれる日だったな。わしも一応、神官として出席することになる。君は“聖槍の乙女”としての意見を求められるだろうし、必要があればわしも助言するつもりだ」


「ありがとう。……正直、どんなことを訊かれるのか想像もつきません。フォルカスの軍事や政治には詳しくないし、ただの素人だから」


言いながらジャンヌは眉をひそめる。フィンブールの隣で、果たしてどれだけ話し合いに加われるのか――自分が口出しする分野ではないと思われたらどうしようという不安もある。だが、エロアムは首を振った。


「いや、そういう理屈ではないんだよ。フォルカス王国にとって、君は“伝説の聖槍を扱う者”というだけで大きな存在だ。それも、メドラン皇国が“異端”と断じるであろう神秘的な力だ。つまり、君がどう振る舞うかによって、メドランの主張――『獣人族や魔術を使う者は悪しき魔女だ』という理屈を覆す材料にもなり得る。連中はきっと君の存在を警戒し、同時に排除しようと躍起になるだろう」


ゾクリと胸が冷えるのを感じる。そう、まさに“魔女狩り”の標的になりかねない。ジャンヌがもしメドランの手に落ちれば、焚刑台への道がまっすぐに繋がっていくのだ。それを避けるためにも、フォルカス王国で守ってもらい、彼らの戦力として認められる必要がある。それが結果的にはガリアス連邦全体を護ることに繋がる――エロアムはそう言いたげだった。


「わかりました。自分にできる限りの発言をしてみる。戦うだけでなく、言葉で伝えられることもあるはずだし」


「そうだね、それでいい。さて、会議は朝食後すぐに開かれるそうだから、わしらも支度をしよう。何か分からんことがあれば、遠慮なく質問してくれ」


こうして二人は連れ立って部屋を出、廊下を歩き始めた。王宮は広い回廊と数多の部屋が連なり、特に評議の場は中心部の大広間に設けられているという。道中の壁には獣人族の歴代王の肖像画や、雷を象徴する文様が刻まれていて、見慣れない装飾にジャンヌは心を奪われる。それでも、ほどなくして目的地へと到着した。


扉を開けると、高い天井を支える柱がずらりと並ぶ大広間が広がっていた。中央には大きな楕円形のテーブルが設置され、その周囲に獣人族や人間族、エルフ族といったさまざまな種族の代表者たちが既に顔を揃えている。軍人や文官、魔術師らしき者まで、一堂に会して何やら話し合いを進めていた。


「こちらへどうぞ」


案内役の近衛兵らがジャンヌとエロアムを奥へと通すと、最も奥側に大きな椅子があり、そこにどっしりと腰を下ろしているのはフィンブールだ。彼は目立つ銀色の甲冑を纏ってはいないが、濃紺の装束に獣耳と鋭い眼光というだけで十分な威圧感を放っている。雷の加護を宿す王としての風格は、やはり並大抵ではない。


「来たか、ジャンヌ。眠れていたならいいが」


低い声に促され、ジャンヌは少しばかり緊張を顔に出しながら頭を下げる。「はい、ありがとうございます。なんとか……」


「では、さっそく議事を進めよう。すでにここにいる連邦の代表者たちは、メドラン皇国の最新の動向を知るために集まってもらった。ジャンヌ、お前も耳を傾けてくれ。“魔女狩り”について具体的な報告もある。メドランの異端審問官がどのように行動しているかを知るのは重要だ」


その瞬間、周囲の人々がジャンヌに視線を向けた。彼女は思わず息を呑む。あまりに多くの目が集中するのは落ち着かないが、今はその重圧を受け止めるしかない。フィンブールがテーブル中央を見やり、一人の男性を指し示す。「そちらの隊長、事情を説明してくれ」


呼ばれたのは筋骨隆々の熊獣人で、ガリアス連邦の辺境を守る“辺境警備隊”を束ねる隊長だという。彼は低く響く声で語り始める。


「メドラン皇国が“魔女狩り”を大々的に行っているのは周知のとおりですが、彼らが最近、さらに巧妙な手を使い始めたという情報があります。各地で“潜在的魔女を捜索する”名目の部隊を派遣し、その地域の住民を脅す。獣人族やエルフ族を見つけ次第、連行する。その際、反抗した者は“魔女をかくまった”罪で火刑に処すという手口です」


聞いているだけで吐き気を催すほど、陰惨な手法だった。ジャンヌは身震いしつつ、隊長の言葉に耳を傾ける。さらに隊長は続ける。


「問題は、連中が多数の信者を抱えている点にある。彼らの宗教は“エクシオスの聖典”と呼ばれる独自の経典を掲げ、人間族を神の子とする一方、獣人族やエルフは“神に背いた魔性の種”と断じている。それゆえ、魔女狩りは正義の行いだと吹聴し、民衆を扇動している。特に皇王レオナルト二世はカリスマ性が高く、各地の領主や騎士を統制しているようです」


ガリアス連邦の他の代表者も合いの手を入れる。「ええ、我が国にも密偵が入り込んでいるらしく、獣人やハーフエルフを見つけると執拗に嫌がらせをしてくる例が報告されています。まるで、メドランが“異端の存在”を根絶やしにするまで戦をやめないと誓ったかのように。しかも、その背後には皇王配下の三人の幹部がいるとの情報があります」


ジャンヌは“三人の幹部”という言葉に耳をそばだてた。あらかじめフィンブールから少しだけ話を聞いていたが、メドラン皇国には黒騎士グリオ・ノワール、敬虔な聖騎士ルシャール・ド・リュミエール、そして銀髪の将軍アニェス・ブラントという三名の有力者がいるという。彼らはそれぞれ戦いの場面で重要な役割を担っているらしく、特に皇王レオナルト二世への忠誠心が際立っているそうだ。


フィンブールが視線だけで了解を促すと、別の兵士がその三人の素性について語った。「まず黒騎士グリオ・ノワールは、全身を漆黒の鎧で覆い、その素顔を誰も知らないと言われています。その鎧には呪いが掛かっているとか。彼が出現する戦場は血の海になると恐れられ、敵対する者は“幻影の死神”と呼ぶほど。実際、獣人族の駆逐において大きな戦果を挙げてきた模様です」


まるで伝説めいていて、現実なのか疑いたくなるような話だが、実際に被害が出ている以上、ただの噂話ではすまない。黒い鎧の騎士が獣人族を憎悪しているのか、それともただ命令に忠実なのか――そこまではまだ不明だという。


「次に、敬虔な聖騎士ルシャール・ド・リュミエール。彼はメドラン皇国の新興宗教の象徴的存在ともいえる人物で、民衆からは“神に選ばれし英雄”とも謳われています。純白の鎧を纏い、常に聖典を片手に“魔女狩り”を主導しているそうだ。メドランの各所で演説を行い、異端を滅ぼすことこそが神の意志だと説き、信者を増やしていると聞きます」


ルシャールは表向き清廉な騎士道を重んじる姿勢を取りながら、実際には獣人族を惨殺し、反抗的な人間族すら“魔女の手先”とみなして処罰している――そんな報告が相次いでいるらしい。まるで彼自身が“神の裁き”を執行する代行者だと信じて疑わない様子なのだ。


「そして最後に、銀髪の将軍アニェス・ブラント。皇国軍の実質的な司令官であり、長年の戦闘経験から生まれる的確な用兵術で数々の侵攻を成功させてきた人物です。獣人族やエルフ族の弱点を研究し、冷酷なまでにそこを突く戦略を好むとも聞きます。噂では、かつて家族を異端者として処刑された過去を抱え、それを復讐の糧にしているとか……」


この三人がそろえば、たとえフォルカス王国が持つ雷の力や、聖槍の威光があったとしても楽観視できない。王宮に集う代表者たちも、かすかな不安を隠しきれない様子だった。フィンブールは苦い表情のまま、小さくうなずく。


「やはり、どれも深刻な情報だな。連中は正面攻撃だけでなく、宗教扇動や呪術的な威圧など、あらゆる手段を駆使している。ここフォルカス王国だけで立ち向かうのは容易ではない。故にガリアス連邦全体の支援を仰ぎつつ、防衛線を強化するしかないのだが……」


そこに、連邦の代表を名乗るエルフ族の老練な女性が声を投げかける。「でも、我々はメドラン皇国と正面からぶつかり合う覚悟ができているのでしょうか? 人間族の国の中には、メドランに同調している者もいると聞きます。下手に動けば、内側から崩される恐れもありますわ」


すると、別の人間族の将官らしき人物が腕を組んだまま返す。「確かに、それは大きな懸念事項。メドランのカリスマ性は強烈で、皇王に従えば未来が約束される、逆らえば魔女として火にかけられる――そんな噂が広まれば、戦わずして降伏する領主も出てくるだろう。その対策が必要だ」


あちこちで意見が飛び交い、テーブルの上に地図や報告書が広げられた。フィンブールはやや乱雑にそれらを束ね直し、最終的な方向性を示すかのように声を張り上げる。


「いずれにせよ、メドラン皇国からの侵攻は間違いなく激化する。俺としては、王都を防衛するだけでなく、できるだけ多くの連邦国と連携し、共同戦線を築く方針を取りたい。異端などというレッテルに屈するわけにはいかないからな」


そこで彼はちらりとジャンヌを見やった。ジャンヌも話を振られる予感がして、思わず背筋を伸ばす。実際、フィンブールは静かに「お前の考えを聞きたい」と促すかのように顎をしゃくった。


ジャンヌは急に注目を浴び、ためらいがちに声を発する。「わ、わたしは……メドラン皇国の“魔女狩り”が、どれほど残酷かを知っています。辺境の村で暮らしていた頃にも、獣人族やエルフが殺され、家が焼かれた現場を見ました。もしそれを放置すれば、さらに被害が広がるでしょう。だから、わたしは……」


言葉がつかえて先に進まない。自分が述べられるのは、やはり心情的な部分に限られるのかもしれない。けれど、フィンブールやこの場にいる者たちはそれを求めているのだろう。エロアムが小さくうなずくのを視界の端に感じ、ジャンヌはもう一度、意を決して口を開いた。


「だから、戦うしかありません。戦わなければ、わたしたちも“魔女”という名で火刑に処されてしまうかもしれない。わたしは……そのような最期を知っています。二度と、同じ悲劇を繰り返させたくないんです。もし、この“聖槍”の力が役立つのなら、わたしは喜んで協力します」


最後の一言を発したとき、自分の声が震えているのが分かった。恐怖と決意が綯い交ぜになった複雑な感情だ。周囲には静かな緊張が広がり、皆がジャンヌの表情を窺っている。誰もが“聖槍の乙女”の言葉に重みを感じているのかもしれない。


フィンブールがゆっくりと頷き、「それでいい」と低く呟く。「お前は自分が何者かも分からないまま、ここに来てくれた。だが、その心意気だけで十分だ。実際、お前の力が必要になる。メドランの闇は深い。連中が掲げる“魔女狩り”に対して、お前という光が対抗手段になる可能性がある」


その一言で空気がほっと緩み、同時にこれからの苦難が改めて意識される。評議はさらに具体的な軍事計画や連絡網の確立、同盟諸国の動員などの議題へと移っていったが、ジャンヌはそれらの話を聞きながら、ひたすら心中で自分を鼓舞していた。迷いはある。けれど逃げることはできない。


やがて評議がひと段落し、皆が散会の準備を始めると、フィンブールはジャンヌを自分の近くへ呼んだ。王としての威厳を保ちつつも、どこか人間らしい親しみを滲ませているのは彼の人柄の表れだろう。


「よく言ってくれたな。お前がどんな思いで発言したのか、俺には分かるつもりだ。怖いだろう? 以前、辺境の村で見せたあの火刑台の幻……いや、わざわざ言わなくてもいいか」


「いいえ……正直、怖いです。わたしは昔から、あの“火”に追われている夢を見ていて……。今も続いてます。だから、メドランの“魔女狩り”は悪夢が現実になるようで」


ジャンヌは声を小さく落として打ち明けた。フィンブールは少し躊躇いながらも、彼女の肩に手を置いて小さく頷く。「ならば、その悪夢を振り払うためにも、俺たちと共に戦え。お前だけに負担を押し付けるつもりはない。俺も雷の力を振るうし、獣人族の兵たちも命を懸けてくれる。ガリアス連邦の多くの仲間たちも助力するだろう」


その力強い宣言は、彼が王として、本気で世界を守ろうとしていることを端的に示していた。ジャンヌは気持ちが少し軽くなったのを感じる。もっとも、自分がこの広大な連邦と共にどこまで抗えるのかは分からない。だが、世界のどこかに同じような悲劇に苦しむ人がいるなら、放置するわけにはいかないのだ。


評議を終えた人々は、大広間を後にしつつ、三々五々それぞれの持ち場へ向かう。戦時下ゆえに、とにかくやるべきことが山積みなのだろう。エロアムは「わしも各国の文献や神話を探してくる」と言って去って行った。ジャンヌは広間に残り、フィンブールと数人の重臣に囲まれる形となる。


重臣の一人、狐獣人の女性が皮の地図を取り出し、フィンブールに状況報告を始めた。「陛下、メドランとの境界付近の領主が、再び怪しい動きを見せているとの報せが参りました。どうもメドランと通じている可能性があるとか。表向きは従順に振る舞いながら、裏では敵を王都へ導く密約があるかもしれません」


フィンブールの眉間に皺が寄る。王都内にも人間族は多数暮らしているし、他国の領主や商人が行き来するのも珍しくはない。そうした状況で裏切りを完全に防ぐのは容易ではない。メドランのカリスマ性に屈して寝返る者が出たとしたら、内側から崩される危険すらあるのだ。


「対策を急がねばならんな。ここは連邦諸国に協力を要請し、怪しい領主を監視してもらうしかない。……ジャンヌ、お前にも覚悟しておいてほしい。もし王都内で“魔女狩り”の密偵が動いていたら、お前が標的になる可能性は高い」


驚きと共に、ジャンヌは背筋が寒くなるのを感じた。確かにここは獣人族の王都であり、人間族は少数派ではあるが、完全に排除されているわけではない。兵士や商人の中にはメドランと繋がる者がいても不思議はない。聖槍の乙女を闇討ちしようと企む連中が入り込んでいてもおかしくない。


「はい。わたしも警戒します。槍をいつでも呼び出せるようにしておきます……」


そう返事しながら、胸がドキドキと煩いほど脈打った。生きるか死ぬかの綱渡り――本当に、自分はとんでもない世界に足を踏み入れてしまったのだと再認識する。前世の影や炎のトラウマだけでも苦しいのに、現実の危険も間髪入れずに迫っている。けれど、怖がっているだけでは何も変わらない。


フィンブールは重苦しい空気を払いのけるかのように、大きく息をついた。「では、俺はこれから軍議に参加する。お前はしばし身体を休めておけ。心が落ち着かないなら、王都の巡回に出かけてもいい。だが、できれば近衛兵を連れていくことを勧める」


「ありがとうございます。そうさせてもらいます」


重臣たちも退室しはじめ、広間が閑散とする中、ジャンヌはふと思い立ってエロアムの行き先を尋ねようとした。しかし既に彼はどこかへ行ってしまったらしく、広場の脇を探しても見当たらない。ならば一人で王都を回ってみるのもいいかもしれない。自分が守るべき場所をしっかりと見ておきたいという気持ちもある。


――その後、ジャンヌは小柄な近衛兵を伴い、王都の外郭へ散策に出た。馬車が往来する大通りは商人や旅人で賑わい、街角では露店が並んでいる。外から見ればまるで戦時体制など感じさせないほど活気があるが、その賑やかさの裏には警備兵の増員や検問の強化といった措置がしっかりと取られていた。


「あそこは、獣人族用の薬草屋ですね。私たち人間には効き目の薄い薬もあるそうですが、逆に人間に効くものも扱っているので、意外と繁盛しているんですよ」


案内役を買って出た近衛兵は、虎の耳と尻尾を持つ青年で、名前をラグネルという。彼は人間族にも親切で、ジャンヌの質問に答えながら王都の見どころを教えてくれる。


ふと、ジャンヌは街路の一角で行われている小さな祈りの集いを見つけた。複数の獣人族が祭壇に捧げ物を置き、雷を模した紋様の前で頭を垂れている。ラグネル曰く「ここはフォルカス王国の護り神を祀る場所」なのだという。霊峰に棲むとされる雷の化身が我々に力を授けている――そんな言い伝えが古くからあるのだそうだ。


「魔女だとか異端だとか騒ぐメドラン皇国とは全然違う雰囲気ですね……」


自然とそう呟くと、ラグネルは沈痛な面持ちを見せた。「はい。彼らの宗教もきっと、最初は“神への崇敬”だったのでしょう。でも、いつしか過激な思想を生み出し、他者を排斥する手段と化してしまった。フォルカスでは昔から、雷の神は人間族も獣人族も等しく守ってくれる存在だと信じられています。だから、そういう争いには積極的に加わりたくないのが本音なんですけどね……」


ジャンヌも同感だった。宗教とは本来、人々を救い、心を豊かにするはずのものだ。それが魔女狩りや戦争の大義名分に使われるなんて悲しい限りだ。もし史実のジャンヌ・ダルクがいた世界でも、宗教戦争が絶えなかったとすれば、重なる悲劇は容易に想像がつく。いずれにせよ、メドラン皇国は自らの教義を拠り所に暴虐を正当化していることが分かった。


しばらく歩き回った末、ジャンヌは王都の外郭にある小さな茶屋に腰を下ろし、ラグネルとともに一息つく。ここからは城壁や見張り台がよく見え、兵士たちの往来が絶えない。まるで嵐の前の静けさというか、いつ“魔女狩り”を振りかざすメドラン軍が押し寄せてもおかしくない緊迫感が漂う。


「さて、そろそろ戻りましょうか。陛下がお呼びになるかもしれないし」


ラグネルの提案で立ち上がろうとしたとき、不意に遠くの城壁付近がざわめくのに気づいた。何事かと顔を上げると、複数の衛兵が人混みをかき分けるように走り回っている。なにやら緊急事態か?


二人が駆け寄ると、そこには傷だらけの人間族の男が担ぎ込まれていた。彼は血まみれのまま意識が混濁しており、唇を震わせながら何かを呟いている。近くにいた衛兵に尋ねると、「城門前で倒れていた。馬車で移動してきたらしいが、仲間はおらず、一人きりのようだ」という。さらに男の荷物を調べたところ、メドラン皇国の紋章が入った封書が見つかったとも。


「まさか、メドランの密偵……?」


誰かがそう声をあげたのをきっかけに周囲が一気に警戒ムードになる。ジャンヌとラグネルがかけ寄ると、男の目がふと開き、うわごとのように呟き出した。


「……助けてくれ……追われてる……メドランの、聖騎士……ルシャールが……ああ、俺は、こんなはずじゃ……」


それを聞いて、ジャンヌの胸がわっと熱くなる。ルシャール・ド・リュミエール――例の“敬虔な聖騎士”だ。彼がこの男を追い詰めていたのだろうか。男の身なりを見るに、普通の農民や商人ではなさそうだ。衣服の裏には何やら細工があるし、荷物には暗号らしき文字もある。どこからどう見ても怪しい存在だが、とにかく重傷で命が危ない。


「衛兵さん、この人を治療できる場所へ運んでください! 事情聴取は後でもできますよね?」


そう言いかけると、男はガクリとうなだれ、意識を失った。周囲の衛兵が担架を用意し、近くの医療所へ運び込む手配を進める。ラグネルは険しい顔でジャンヌを促す。「こちらは我々に任せてください。ジャンヌ様は王城へ戻って報告を。メドランの密偵か、あるいは逃亡者か、何か掴めるかもしれません」


頷く間もなく、ジャンヌは引き返すことを決意する。まさかこんな形で“敬虔な聖騎士”ルシャールの名を聞くとは。彼が本当に男を追いかけているなら、既に王都の近辺に潜んでいる恐れもある。最悪の場合、王都へ潜入しているかもしれない。つまり、すぐにでもフィンブールに知らせる必要があるわけだ。


「わたし、すぐ行きます。近衛兵の皆さんも気をつけてください……」


ラグネルに別れを告げ、ジャンヌは足早に城へと向かった。道中、人々は平和そうに買い物や移動を楽しんでいるが、その裏では確実に影が忍び寄っている。敬虔な聖騎士が王都近くに現れるのは、一種の警告だ――まるで、「ここにも魔女狩りの牙が届くぞ」と言わんばかりに。


王宮の門を通り、衛兵に手短に事情を話して通してもらうと、ちょうどフィンブールが廊下の奥で部下と話し込んでいる姿が見えた。ジャンヌは駆け寄り、一礼もそこそこに言う。


「フィンブールさん、大変です。城外で重傷の男が見つかって……メドランの封書を持っていて、敬虔な聖騎士ルシャールに追われているとか……」


フィンブールの表情は一瞬険しくなったが、やがて冷静な声で反応する。「ルシャール、か……ついにあの男の手がここまで伸びたというわけか。連中の狙いは“魔女”の捕獲、あるいは情報収集だろう。この王都に潜入し、何か陰謀を企んでいる可能性がある」


そばにいた重臣も神妙な面持ちで頷く。「加えて、先ほどの評議でも話に出たように、メドランに通じる裏切り者が城内にいるかもしれません。かなり危険な状況ですね。捕虜が何か情報を口にすれば、その真意を探れるかもしれませんが……」


ジャンヌは自分の手が震えていることに気づいた。あまりの急展開に気持ちが追いつかないが、こうして危機が迫っているのは確か。王都を守るには素早い行動が必要だ。フィンブールは部下たちに的確な指示を出し、王宮内の警備を強化するとともに、城外の捜索範囲を拡大することを告げる。


「お前も用心しろ、ジャンヌ。もしルシャールやメドランの暗殺者が狙ってきたら、聖槍を使ってでも自衛しろ。お前が狙われる可能性は高い」


「わかりました……わたしもなるべく部屋に籠もらず、警戒を怠りません」


そう返事したものの、胸の鼓動は早鐘のように鳴り続けている。魔女狩り――その陰鬱な響きが、自分の首に縄をかけようとしている感覚だ。だが、逃げるわけにはいかない。この王都と人々を守るため、自分はここにいると決めたのだから。


そして、その夜。ジャンヌの不安を裏付けるかのように、遠方から新たな報せがもたらされる。メドラン皇国に仕える“銀髪の将軍”アニェス・ブラントが、再編した大軍を率いてフォルカス王国との国境付近へ布陣したというのだ。どうやら本格的な侵攻の前触れであるらしい。つまり、敬虔な聖騎士ルシャールだけでなく、将軍アニェスの手も迫っているということになる。


重圧は増すばかりだった。黒騎士グリオ・ノワールの動向はまだ分からないが、今後いつどこで姿を見せるかも予測不能。フィンブールは王宮の廊下で急ぎ足に歩きながら、ジャンヌにこう言う。


「いよいよ、戦が始まると思ったほうがいい。俺たちは連邦軍と共に国境を守り抜くつもりだが、メドランの“魔女狩り”の手段も警戒せねばならない。やつらは領内に潜伏して工作活動を展開する恐れもある。……ジャンヌ、お前の心構えは大丈夫か?」


その問いに、ジャンヌは唇を噛みながら応じた。「大丈夫じゃない……でも、やるしかないと思っています。わたしは槍を握ることしかできないけど、それで誰かを守れるなら、もう二度と火刑台を見たくないから」


言い終わった瞬間、胸の奥で暗い炎がちろりと揺らめく。そこには前世の記憶とも思しき残像が、焚刑の地獄がこびりついている。今度こそ逃げずに立ち向かい、同じ悲劇を繰り返さないために――そう誓った自分を裏切るわけにはいかない。


フィンブールは彼女の瞳をまっすぐ見つめ、短く微笑んだ。「そうか。お前なら、きっと越えられる。俺たちもお前を一人にはしない。……安心しろとは言えんが、共に戦おう」


その言葉は確かな安心感をもたらしてくれた。獣人族の王、フィンブールが仲間として共闘してくれるのだから、自分は孤独ではない。魔女狩りに対抗する道は険しいが、この王都フォルカスで築き上げた連帯を武器に、いつかメドラン皇国の理不尽に立ち向かえる日が来るはずだ。


そう、決して一人ではない。エロアムも、ラグネルも、連邦の代表者たちも、皆がそれぞれの思いを胸に闘っている。そして聖槍サン・クレールが、自分の手に宿った以上、きっと自分にしか果たせない役割があるのだ。かつてのジャンヌ・ダルクがそうであったように、あるいはそれを超えて、新しい未来を切り拓く役目を――。


夜は、静かな帳を下ろしていく。王宮の回廊には警備が強化され、昼間にも増して人影が動き回っている。ジャンヌはあの重傷の男が運び込まれた医療所を一目見ようかと考えたが、フィンブールに止められた。「お前が行っても混乱するだけだ。明日以降、状況が判明したら聞かせる」と言われ、やむなく自室へ戻る。頭の中はこの先の戦いと、迫る魔女狩りの恐怖でぐるぐるとしていたが、身体は正直に疲れ切っていた。扉を閉めると、一気に力が抜け、膝が震えるほどだった。


「……怖い。でも、逃げない」


ベッドに腰かけ、目を閉じる。まぶたの裏で、焚刑台がちらつく。足元には“聖槍”の光が揺れているような錯覚を覚える。いつでも槍を呼び出せる、それが今の自分の唯一の拠り所だ。前世で炎に焼かれた記憶が何を意味するのかは分からないが、今度こそ燃え尽きずに、誰かの手を掴み、救ってみせたい――それだけは固く信じている。


そして、自分に問いかける。「もし“黒騎士グリオ・ノワール”や“敬虔な聖騎士ルシャール”と遭遇したら、わたしはどうするんだろう。戦うのか、あるいは話し合いは通じるのか……」


けれど、その答えはすぐには出なかった。凶悪な敵を前に、甘い言葉は通用しないだろう。だが、メドラン皇国の中にも葛藤を抱える人はいるかもしれない。あの重傷を負った男のように、体制に疑問を感じて逃げてくる者がいるなら、希望はゼロではない。もしかしたら“敬虔な聖騎士”も、何か事情があってあの立場に身を置いているだけかもしれない――そんな淡い期待が頭をよぎる。


けれど、彼らが一筋縄でいく相手ではないことも明白だった。少なくとも、銀髪の将軍アニェス・ブラントは復讐心に燃える冷徹な策略家と聞くし、黒騎士は血の惨劇を引き起こす呪われた怪物であるとの噂。敬虔な聖騎士ルシャールは、神のためなら何でもする狂信者――それぞれが己の信念や欲望で動いている限り、彼らを説得するのは困難だろう。


重苦しい思いに囚われながら、ジャンヌは衣服を脱ぎ、寝間着に着替える。明日が来れば、また新たな進展や混乱が待ち受けているはずだ。眠れずにいても仕方がない。瞼を閉じ、ゆっくりと呼吸を整える。心に浮かぶのは、フィンブールの力強い言葉――「お前を一人にはしない」。その言葉を思い出すたびに、少しだけ心が安らぐ。メドラン皇国の魔女狩りによる脅威はますます拡大しているが、自分は孤独じゃない。


その夜もまた、炎の夢を見た。燃え上がる火柱、罵声と哭き声、そして背後から感じる冷たい視線。だが、いつもと違って少しだけ様子が違う。炎の中に、雷を帯びた獣人の姿がぼんやりと浮かび、手を差し伸べているように見えたのだ。まるで「ここから出ろ。燃え尽きさせはしない」と言っているかのように。深い闇の中で、ジャンヌはその手を掴もうと伸ばし、やがて意識が途切れた――。


朝の光が射し込む頃、彼女の胸には決意の火が小さく灯っていた。魔女狩りなど、させはしない。過去の悲劇を再演させてたまるものか。やるべきことは山ほどあるが、自分が選んだ道を進むしかない。フィンブールとの約束を守り抜き、聖槍の力でこの理不尽を押し返すためにも、これから始まる試練に立ち向かう準備をするのだ。


微睡みから覚め、ジャンヌは静かに起き上がった。前世の焚刑台の悪夢はまだ消えない。だけど、その炎に焼かれない未来を作り出すため、今度こそ決して逃げない――そう誓いながら、彼女は新しい朝を迎える。メドラン皇国が振りかざす“魔女狩り”と、皇王レオナルト二世の洗脳的な教義。それに翻弄される多くの民を救いだすため、ジャンヌはフォルカス王都で今、力を蓄えようとしていた。自分だけでなく、獣人族もエルフ族も、人間族も、すべての種族が手を携える世界を実現するために――自ら“聖女”など名乗らずとも、その歩みを止めるわけにはいかないのだから。

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