メリべ村の奇跡の婆さま
「婆さま。婆さま。お客さまが」
村長の孫のリズがわしを呼ぶ。
「雨が降りません」
「どうか我らがリコの町をお助けくださいメリべの村の婆さま」
馬を丸一日走らせてこの婆が住むメリべ村にやって来たという、遠く離れたリコの町の若い町長とその従者。
雨が降らぬ。
それは死活問題だろう。
リコの町の大地はすでにひび割れているところもあるという。
わしは立ち上がった。
「祈祷をしてみよう」
「おお。婆さま」
「婆さま。婆さま」
昔から、わしがひと言祈祷をするといえば皆がこうなる。
地に額がつくほど頭を下げて、わしに祈り感謝をする。
適当にやっているだけなのに。
「はああああああ」
メリべ村の祭壇の上。
わしに助けられたという者たちが感謝の気持ちとして品物などを持って来るから、祭壇は年々豪華に、煌びやかになっていく。
メリべ村の観光名所、“婆さまの祭壇”だ。
「ふぬおおおおお」
わしは幼少時から培ってきた“それらしく見える”祈祷を開始した。
両手をあわせて、いかにも何かしている雰囲気をかもし出すのだ。
「はっ! はっ!」
祭壇に捧げられていた清らかな水。
それも振り撒く。
「おお!」
「婆さま!」
これが人気だとわしは知っている。
だた祭壇において置いただけの井戸水でも、わしがこうしてパッパッと振り撒くと王族や貴族ですら喜ぶのだ。
何故かはわからない。
「雨よ来い来い」
ぶつぶつぶつぶつ。
両手を合わせて呟く。
リコの町の若い町長も従者も「どうか我らに雨を……っ!」とか言っている。
わしよりも必死だ。
ゴロゴロゴロゴロ。
黒い雨雲。そして雷。
「雨の恵みよ! リコの町へ!」
きえええええいっ!
決まった。
「お、あ、ああ……奇跡だ……!」
「雨雲がリコの町の方へ……!」
雨雲はゴロゴロと音を鳴らしながらリコの町へと去っていった。
「メリべの村の婆さま。この御恩は決して忘れません!」
リコの町の若い町長と従者も去った。
「ふぅ……」
「お疲れさまでした婆さま」
村長の孫が差し出してくる果実水を飲んで、ひと息つく。
今日もわしが適当にやっていることはバレなかった。
「いつまで持つか……」
「婆さま?」
「なんでもない。婆はもう寝るよ」
ふかふか。
王族御用達のお布団。
出来ればこのふかふかのお布団に包まれて死にたいものだ。
ピチチチッ!
翌朝――。
小鳥のさえずりに耳を傾ける。
「おはようございます婆さま」
そうしていれば村長の孫。
優しいリズが世話をしに来てくれると婆は知っている。
リズに世話をされて顔を洗うのだ。
「婆さま。また婆さまへの贈り物ですよ。南の国から甘い果物と――」
リズによって並べられる朝食。
メリべ村には日々こうして祈祷の御礼だという贈り物が届くのだ。
「リズも、皆もちゃんとお食べよ」
「ありがとうございます婆さま」
礼なんていらないよ。
婆は共犯者を求めているだけさね。
「ごほんっ! ゴホッゴホ……ッ」
「婆さま! 婆さま! だっ誰か! 誰か来て! 婆さまが!」
ちょっと悪いことを考えたらこれだ。
はじめて食べる南の国の果物が思いのほか瑞々しかったのもある。
「あ〜……」
歳をとると咳き込む回数も増えるね。
ただの老化現象。
そう軽く思ったのは婆だけだった。
「婆さま。暑くないか? 寒くないか?」
「普通だよ」
「婆さま。お水は飲めるかい?」
「さっき果実水を飲んだばかりだよ」
「婆さま! 王さまが国一番の薬師さまを連れて来てくれるからね!」
「王さまは来なくていいよ。仕事をおし」
メリべ村の警備は国から派遣されている。
わしがメリべ村に住むのならそれが条件だと王さまに言われたのは随分と前のこと。
王国騎士団のせいで婆の私生活は王さまに筒抜けなのだ。
「医者も治癒師も来なくていいよ。ちょっと咳き込んだだけさ」
「何を言っているんですか!」
「…………もう来たのかい王さま」
「そりゃあ婆さまに何かあれば国の一大事だ」
「王さまだって来るよ婆さま」
わしの意見はいつもひとりぼっち。
「王さまがこんな婆なんぞのことを心配しなくてもいいんだよ」
「そんなことはありません! 救国の聖女の婆さまをうつろにするなど神が許さない!」
「わしは婆だ。ただの婆なんだよ」
やめておくれ。
聖女なんて罪が重くなりそうな称号は絶対にやめておくれ。
婆はふかふかのお布団で死にたいんだよ。
「婆さま。この御薬湯を飲んで寝ましょう」
「リズ。わしはさっき起きて果実水を飲んだばかりなんだよ」
「わがままは元気になってからですよ婆さま」
とっても優しいリズ。
わしがわがままなのかい?
本当に?
それに……。
「わしは元気だよ」
そう言えば生温かい眼差しに包まれる。
四方八方。
王さまや隣国の王子、帝国の皇子、近くの領主、貴族、ギルド長、なんかいっぱいいる。
偉い方々は高名な魔術師を連れて来ては、メリべ村に転移陣や結界などを勝手に設置して私兵を置いていくのだ。
「わしは、わがままじゃないよ」
「ええ。ええ。リズにはわかっていますよ。さあ、国一番の御薬湯を飲みましょうね婆さま」
ズズッ。
良薬口に苦し。
わしは咳き込まぬように必死に耐えた。
これが適当にやっている罰だと思いながら。
それから三日間。
わしは本当に咳き込まぬように耐えた。
「すっかり良くなりましたね婆さま」
「……そうだね」
咳き込まずに耐えたおかげでようやく周りが静かになった。
「あら? 婆さまー。婆さまの蛇ちゃんが来ましたよ」
「おやおや。あんた今までどこに行っていたんだい?」
わしのペット。
幼少時にわしが助けた白い蛇の蛇ちゃん。
わしがどれだけ愚痴を言っても静かに聞いてくれる蛇ちゃんだ。
「なんだい? くれるのかい?」
蛇ちゃんは口に枝を咥えていた。
枝には見たことがない果実がひとつ。
ちょうど何か食べようと思っていたんだ。
さすがわしの蛇ちゃん。
「ありがとうね蛇ちゃん」
わしが礼を言えば蛇ちゃんはうれしそうに細長い舌を出した。
「美味しそうだ」
枝についている実は小さいが、よく熟れている感じがする。
わしは布で軽く拭いて一口で食べた。
パアアアアアアッ!
「婆さま!?」
「な、なんだい? ひかっちゃよ?」
「ば、ばばば婆さま――ッ!」
その日、わしは若返った。
奇跡だ奇跡だと皆が騒ぐ。
「へびちゃん……」
わしが恨めしげに睨むと、蛇ちゃんはうれしそうにまた舌を出した。