第84話 さよならブラックカラー・《side黒末アサト・後編》
「は、ひ……! ば……ば、バケモノ!」
アサトは後じさるが、すぐに壁に突き当たってしまう。
少年は、そんなアサトにゆっくりと歩み寄っていった。
「や、やめろ……! 俺に、近づくんじゃねぇ……! やめろぉ!」
壁を背にしたまま、アサトは手にした包丁を出鱈目に振り回す。
しかし、少年はそんな抵抗をものともせず、ゆっくりと距離を詰めていった。
そして、包丁の切っ先が少年の身体を捉えようとした時。
バチンッ!
包丁が、何かに弾かれたように、アサトの手から離れる。
それはまるで、何か見えない障壁にぶつかったかのようだった。
「は……?」
一瞬、なにが起きたのか理解できなかったアサトだったが、すぐに目前に写る光景を目にして、驚愕に目を見開いた。
「そ、その……障壁……! 俺の……!?」
少年の身体が、赤黒い光の障壁に包まれていた。
光の障壁は、バチバチと電気の放電音のような音を立てながら、少年の全身を球状に覆っていた。
その様は、アサト自身の上級技能――《絶対不可侵領域》、そのものだった。
「なんで俺の……!? そもそも…!? スキルを……!? ここはダンジョンじゃ……!?」
自身の理解を超えた目の前の状況に、パニックに陥り、へたり込むアサト。
それも当然のことだった。
スキルは魔素の力を利用して発動する。
必然、スキルが使用できるのは、魔素に満ちたダンジョン内部のみ。
地上では、スキルは一切使用できない……はずだ。
なのに目の前の侵入者は、平然とスキルを使用している。
しかも、そのスキルは、アサト自身のそれと同じなのだ。
狼狽するアサトを余所に、少年は淡々と語りかける。
「アサトくん。君はさ、自分が振るう力について、こう考えたことはあるかい? どうして、自分はこの力を使うことができるのだろうって」
しかしアサトには、少年の謎掛けめいた問いに応える余力などあろうはずもない。
「そう、君たちは何も知らない。知ろうともしない。君たちが《スキル》と呼ぶその異能は、僕たちの、苦しみの果てに生み出された、血塗られたシロモノだということに」
「なにを……なにを言って……」
「なのに君たちは、その力を、オモチャを振り回すみたいに、無邪気に使ってはしゃぎ回る。その力を、さも自分の力で掴み取ったかのように錯覚して、傲慢に振る舞う。まったく、本当に虫唾が走るぜ」
「お、お前……!? なんだよ……! なんなんだよ!?」
アサトが叫ぶと、少年はニタリと嗤った。
「僕は、そんな傲慢な君たちに、正しい絶望を与える存在さ」
少年がそう語った直後。
ふっ、と少年を包む光の障壁が消失した。
「君の異能――《絶対不可侵領域》。自分を包む形で空間に強力な力場を生み出すことで、あらゆる攻撃を反射する。うん、発想は悪くない。今後の参考にさせてもらうよ。だけど、その使い方はちょっと燃費が悪すぎるな」
そう喋りながら、少年はゆったりとした所作で、右手をアサトにかざした。
「僕だったら、その力はこう使う」
少年がそう口にした、次の瞬間――
ばちゅん。
乾いた炸裂音がアサトの耳に届いた。
「……え?」
「空間に断裂層を生み出して、相手にぶつけるんだ。《《すると、そうなる》》」
続いてアサトが感じたのは、自身の左腕を襲う強烈な熱感だった。
アサトが恐る恐る視線を腕の方へ下げた。
視線の先で、左肘から下の部位が、消失していた。
「うぎゃああああああああッ!」
ほとばしる鮮血。
遅れてやってきた痛みに、アサトは絶叫してのたうち回る。
「俺の! 腕が! 腕がァ!!」
少年は、そんなアサトの様子を見下ろしながら、抑揚のない口調で告げた。
「君たちは、力をすぐに枠にはめようとしがちだけど、力はもっと自由なモノなんだよ。覚えておくといい」
そう言った後、少年はしゃがみこんで、アサトの顔に向けて、右手のひらをかざした。
それから、ふっと口端をイビツに釣り上げる。
「まあ、覚えてたところで、次に活かす機会はなんて、ないんだけれどね」
「や、やめ……」
「死ね」
少年の右手が、まばゆい輝きを放つ。
その輝きは、アサトの視界を赤一色に染め上げ――
ぐしゃり。
アサトの頭部が、跡形もなく吹き飛んだ。
少年は、鮮血に染まった右手を軽く振ると、ゆっくりと立ち上がった。
そしてアサトの亡骸を見下ろした後、ズボンのポケットからスマートホンを取り出し、どこかへ電話をかけはじめる。
「もしもし? うん、終わったよ。悪いんだけど、後処理を頼んでもいいかい? けっこう汚しちゃってさ。うん、悪いね」
少年は、淡々と用件を伝えて、電話を切る。
「さてと……」
そして少年は踵を返して、ベランダへ続く窓の方へ歩いていった。
カーテンを開いて、夜空を見上げると、そこには、赤光を放つ月が、煌々と輝きを放っていた。
少年はしばらく窓越しに月を見上げていた。
やがて、背後に人の気配を感じて、少年は振り返る。
視線の先に、ひとりの女性が立っていた。
ビジネススーツに身を包み、肩にかかるくらいのミディアムヘアを、軽くウェーブさせた女性だった。
年齢は二十代後半くらいだろうか。美人と称してよい整った顔立ち。切れ長の瞳の上にはリムレスの眼鏡がのり、見るものに理知的な印象を与える。
しかし、女は、血溜まりに沈むアサトの凄惨な亡骸を目の当たりにしても、眉ひとつ動かすこと無く、かえってそれが彼女の異質さを際立たせていた。
「やあ、早かったね、三番」
「番号で呼ぶのはやめて。今の私には穂村ミカという名前がある」
「そうだったね、ゴメンゴメン」
少年は軽く首をすくめながら、謝罪する。
ミカ、と名乗った女は、床に転がるアサトの亡骸を一瞥した。
「セロ――結局殺したのね。話をしにいくだけと言っていなかったかしら」
「ああ、そのつもりだったんだけどね。でも、やっぱり直接話したら、なんかムカついてきちゃってさ」
少年――セロと呼ばれた彼は、軽い調子でそう答えた。
その答えに対して、ミカは呆れた様子でため息を吐く。
「まったく……。あなたはいつもそうやって自分の感情を優先するのね」
「いやいや、それだけじゃないよ? コイツ、九番が殺り残した相手だろ? ちゃんと始末しておかなきゃとも思ったんだ。弟の不始末は、兄がつけなきゃね」
「そう。まあ、どうでもいいわ」
ミカは、セロの言葉をさらりと聞き流した。
それから、アサトの死体に歩みよると、膝を折って、その亡骸に手を伸ばした。
すると、アサトの身体から、ぼぅ、と青白い炎が湧き上がった。
炎はまたたく間にアサトの亡骸を包み込み、その身を焼いていく。
一分とかからずに、アサトの亡骸を焼き尽くすと、跡形もなく消え去った。
後には死体はおろか、血溜まりすらも残っていなかった。
「《炎を操る能力》――いつもながら、見事な手際だねぇ」
セロはパチパチと拍手をしながら、ミカに賛辞の言葉を贈る。ミカはそれを軽く受け流すだけだった。
「それで? これからどうするの?」
「どうするって?」
「九番のこと。動画を見た限り、覚醒しかけていたわ。呼び戻すんでしょう?」
「うーん。まあ、そうなんだけどね」
セロは頭をかきながら、言葉を濁す。
「何か問題でもあるの?」
「あいつはちょっと、特別なんだ。引き入れるためには、《《色々と手順を踏む必要がある》》」
「手順?」
「うん、だからもう少しだけ様子見さ。それに、僕の予想だと、そろそろあっちから接触があると思うんだ」
「それって……ダンジョンギルドのこと?」
「ああ、九番の覚醒を、あいつらだって黙って見過ごすわけがない」
セロはニタリと、ほころんだ笑みを浮かべた。
「ダンジョンギルドは、僕たちの敵だ。いずれ必ず、僕の前に現れる。九番は、そのときはあっち側かもしれないけれど……大丈夫、考えはある」
「そう。ならいいわ」
セロの自信に満ちた表情に、ミカも小さく頷く。
「それじゃあ、私はもう行くわ。明日も仕事で早いの」
ミカはそう言って、くるりと踵を返した。
「ああ、いつも悪いね」
セロの労いの言葉に返事をせず、ミカは無言で歩み去っていく。
その背中を見送った後、セロは再び夜空を見上げた。
「九番――いや、今は皆守クロウ、か。君と再会できる日を、楽しみにしているよ」
満月が放つ赤光に、セロはそっと目を細めて、そうつぶやいた。
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本作は書籍版第1巻発売中となりますので、ここまで読んで少しでも面白いと感じていただければ、書籍版もお読みいただければ幸いです!




