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第83話 さよならブラックカラー《side黒末アサト・前編》

 とある安アパートの一室にて。


「う、うわあああああッ!」


 黒末アサトは、悲鳴をあげてベッドのうえに跳ね起きた。

 荒い息をつきながら、周囲の様子をうかがう。

 闇の中にぼんやりと写るのは、自分の寝室の景色だった。


「ハァ、ハァ……ゆ、夢……か」


 荒い呼吸を鎮めつつ、アサトは安堵のため息をつく。

 まるで全身運動をした後のように、心臓の鼓動が耳奥で高鳴っていて、全身がじっとりと汗にまみれていた。


「くそ……またあの夢だ……」


 アサトは額を抑え、うめくようにつぶやく。


 連日のようにアサトを苛む、とある悪夢。

 それは、皆守クロウとの戦いの記憶だった。


 禍々しいモンスター共に取り囲まれ、自身の無敵の象徴であった、絶対不可侵の技能(スキル)を蝕まれ、ついには丸裸にされてしまったアサト。


 そんな彼のもとに、クロウがゆっくりと近づいてくる。


 モンスターの返り血で真っ赤に染め上がり、殺気を漲らせる瞳は真紅に輝き、身体からは赤い蒸気がもうもうと立ち昇る。その姿はまさに死神(ジェスター)


 アサトはそこに、人間としての面影を見出すことはできなかった。


「くそッ……!」


 アサトは、頭の中でリフレインされる悪夢の光景を振り払おうと、かぶりを振った。


「もう一ヶ月だぞ……? なんで、こんな……」


 戦慄の記憶は一向に薄まる気配はなく、むしろ、それは日を追うごとに鮮明になっていた。


 アサトはベッドサイドに置かれた目覚まし時計に視線を向ける。

 午前二時半を少し回ったところだった。


「ちっ、眠れやしねー……」


 小さく舌打ちをして、アサトはベッドから降りた。

 そのまま寝室からリビングへ移動すると、ダイニングテーブルの上に置かれたままのピルケースから錠剤を数粒取り出して、口の中へ放り込む。そして、側に置かれた水が入ったままのグラスを手に取ると、勢いよく杯をあおった。


「ふぅ……」


 そこでようやくひと心地ついたアサトは、ダイニングソファへ腰を下ろすと、背もたれに身体を預けて天井を仰ぐ。

 天井に貼られたクロスの端が、経年劣化で剥がれかけていた。


「くそ……くそッ……! なんでこんなことに……どうしてこの俺が……!」


 アサトの鬱積した感情が、呪詛のようにあふれ出していく。


 自分は選ばれた人間だったはずだ。


 若くして探索者(ダイバー)として成功し、会社を興し、財を成した。


 勝手に転がり込んでくるカネを、湯水のように使い、車、ブランド品、豪邸など、欲しいものは何でも手に入れてきた。


 数え切れないほどの女をモノにし、あらゆる快楽に興じてきた。

 やがては政界に進出して、この国を支配する本物の力、権力を手に入れるつもりだった。


 そう。自分は、世の中にあふれかえる、自らの力では何ひとつ成すことができない凡俗(ゴミ)とは違う。


 自分の手で輝かしい未来を切り開く。

 富と名声、そして力。そのすべてを手に入れる。


 誰もが羨む存在、絶対的な強者。敗北などありえない。そのはずだったのに――


「あああッ!」


 アサトは、発作的に、グラスを壁に投げつける。ガシャンと、甲高い破砕音が響いた。


 アサトの思い描いていた未来は、無惨に砕け散ってしまった。


 一連の不祥事が明るみになった影響で、会社を失い、多額の借金を負うことになった。

 借金のせいで、これまで住んでいたタワーマンションを引き払い、今は、かつての自分ならブタ小屋と嘲笑ったであろう、安アパートでの暮らしを余儀なくされた。


 クロウとの決闘配信に敗北したせいで、ネット上の評判も地に堕ち、世界中から(あざけ)り笑われるハメになった。


 更には常にマスコミの監視の目にさらされ、おちおち外出もできなくなった。


 地に堕ちたアサトに、手を差し伸べる者は誰もいない。


 かつての職場の人間も、友も、家族すらも。


 それは、彼がこれまでの人生で、自分以外の人間を蔑ろにしていたがゆえの孤独だった。


「違う! 俺は、俺は……俺は……!」


 アサトは小刻みに震えながら、自分の爪をかじりはじめる。


 このクセは、この一ヶ月、ずっと続いているもので、すでに両手の爪はボロボロだ。


 更には、満足に眠れない日々が続き、アサトの目元には濃いクマが浮かんでいる。頬もげっそりと痩けてしまっていて、さながら病人のようだ。


 クロウに刻み込まれた恐怖が、アサトの心を蝕んでいた。


「こ、このままじゃ終わらない……ゼッテー復活してやる……俺は……選ばれた……」


 そのことに、アサト本人は気づいていない。

 虚な表情を浮かべて、爪をかじりながら、ぶつぶつとつぶやくばかりだった。


 そのとき――


 ピンポーン。


 不意に、室内にチャイムの音が鳴り響いた


「……ッ!?」


 突然のことに、アサトはビクリと身体を震わせる。


(深夜に誰だ? まさかまたマスゴミか? クソが……!)


 アサトは苛立った様子でソファから立ち上がると、まずはキッチンに向かい、包丁を手に取った。そして、包丁を握りしめたまま玄関へ移動する。


 ドアスコープを覗き込んだ。

 ドアの向こうには、人影はない。


「嫌がらせか……? クソが……こんな時間に……」


 アサトは小さく舌打ちすると、念のためにドアにチェーンをかける。

 そして踵を返して、リビングへと戻った。


「あ……?」


 そこでアサトは、異変と遭遇した。

 自分しか住人がいないはずのリビングに、人影があった。


 得体の知れない誰かが、さっきまで自分が座っていたソファに腰掛けていた。


 「な、なんだ!? 誰だ……!?」


 突然現れた侵入者を目にして、アサトは狼狽の声を上げる。

 その声に応じるように、侵入者は面を上げて、ゆったりとした所作で立ち上がった。


「やあ、一応インターホンは鳴らしたよ」


 侵入者の背丈はアサトよりも、頭三つ分くらい小さい。

 体型を隠すかのように、オーバーサイズのトレーナーにすっぽりと身を包んでいる。


 髪型は白髪頭のミディアムヘア。

 目元までかくれるくらいの前髪の奥に見え隠れする顔立ちにはあどけなさが残り、男とも女ともつかない中性的なものだった。


 アサトが感じた印象に、あえて一番ふさわしい言葉を当てはめるとしたら――少年。


 けれど身にまとう気配には、常人にはない陰湿な精気のような迫力があった。


 そして、なによりもアサトの目を引いたのは、この少年の持つ双眸だった。



 《《血のような赤》》。



 一ヶ月前にアサトを死の淵に追い込んだ皆守クロウが持つそれと同じく、禍々しい輝きを、少年の瞳は放っていた。


 アサトの本能が自身に迫る危険を告げ、その心臓は早鐘のように高鳴っていく。


 手にした包丁を、震える手で構えた。


「はじめまして、黒末アサトくん――」


 少年が、アサトの名を口にした。

 まるで変声期に入った男児のような、不安定で、それでいてどこか艶かしい声だった。


「何モンだ、てめえ……」


 アサトは震える声で、少年に疑問を投げかける。


「僕はね、君のファンだよ」

「は? ファ、ファン……?」


「黒末アサトくん。年齢二十二歳。今から六年前に異能――《絶対不可侵領域》に覚醒し、探索者(ダイバー)となる。その後は、ダンジョンにおける探索活動にSNSでの実況要素を組み合わせる、今で言うところのダンジョン配信のはしりを行い、一躍有名人に。今や日本を代表する探索者(ダイバー)のひとり。まあ、ここ最近は違う意味でも有名になってきているみたいだけど――」


 少年は、アサトのプロフィールをつらつらと語っていく。

 その語りには、アサト本人しか知り得ない情報も含まれていた。


「ちょ、ちょっと待て! お前、なんで、そんなことまで知ってんだ……!?」

「ファンだって言ったろう? 僕は、寝ても覚めても君たちのことばかり考えているんだ」


 少年はそう言って、クスリと笑った。


「な……何を言って……?」


 アサトが困惑の声を上げた瞬間、少年の身に異変が起きた。

「ひっ……!? そ、そのオーラは……!?」


 少年の身体から、赤い蒸気がもうもうと立ち昇り始める。

 それはダンジョンで、皆守クロウが見せたものと、全く同じもの。


 戦慄の恐怖が、アサトの脳裏にフラッシュバックした。





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