第82話 さよならブラックカラー
「ここ……だよな。あいつが入院している場所って」
スマホのナビを頼りに目的地にたどり着いた俺は、辺りの様子をきょろきょろと見渡した。
広い駐車場にはタクシーや乗用車がずらりと並んでおり、その奥には複数の棟に分かれた大きな建物がそびえている。
建物の正面入口からは、初老のガードマンが立つ傍ら、多くの人が、ひっきりなしに出入りしていた。
ここは都内某所にある総合病院だ。
といっても、俺が入院していた病院とは別の場所である。
ようやくヨル社長から退院の許可が出たのは、今から三日前のことだった。
入院期間中に、体力がフル充電になっていた俺は、さっそく仕事に取り掛かりたかったのだけれど。
社長から言い渡されたのは、そこから更に一週間の療養休暇だった。
『あの……社長、流石にもう大丈夫なんですが……』
『いや、ダメだ。そもそもキミは働き過ぎなんだ。有休も全然消化していなかっただろ。自分の生活を見つめ直す、いい機会だと思ってゆっくりしたまえ』
こうして、半ば強引に休暇を取らされてしまった俺。
すぐに仕事に戻れないことは、正直歯がゆい思いだったけれど。この機会を利用して、ブラックカラーに積み残してしまった、《《最後のやり残し》》を片付けることにしたのだ。
「……よし、行くか」
俺はスマホをポケットにしまうと、病院の中へ足を踏み入れた。
受付で面会の手続きを終えると、エレベーターを使って三階まで上がる。そしてそのまま廊下を歩いていき、とある病室の前で立ち止まった。
扉の上には、患者名札が掛けられている。
そこには『雛森ミクル』の文字が記されていた。
一度だけ、扉の前で深呼吸。
それから意を決して、扉をノックした。
「……誰」
扉の奥からは、警戒したような色を帯びた声が聞こえてきた。
「あの……俺です。皆守クロウです」
「……え?」
「久しぶりです、ミクルさん。あなたと直接話したいことがあって……入ってもいいですか」
「……」
返事はない。
だけど、その沈黙を俺は肯定と受け取った。
「失礼します」
控えめにドアを開き、俺は病室の中へと足を踏み入れる。
殺風景な、白い病室。
その中にぽつんと、ベッドの上で身を起こした少女の姿があった。
「久しぶりですね、ミクルさん」
俺はミクルに声をかける。
半年ぶりに会う彼女は、青い入院服に身をまとい、顔には包帯がグルグル巻きにされていた。
「……今更、なにしに来たんだよ」
「すいません、突然で。ミクルさんの意識が戻ったというニュースを見たものですから。本当は事前に連絡してからとは思ったのですが、そうしたらきっと断られてしまうと思って」
「……」
少しの沈黙。
そして……
「私のこと、笑いに来たんだろ……?」
ミクルは自嘲するように、そう呟いた。
「え?」
「みたけりゃ見せてやるよ……」
ミクルはそう言って、顔にかかった包帯をスルスルとほどいていく。
包帯の下には、モンスターにやられた傷痕が痛々しく残っていて、そこにかつての美少女ダンチューバー、雛森ミクルの面影はなかった。
「どう? これで満足? 見たかったものが見れた?」
「ミクルさん……」
「調子に乗っていた小娘は、無様に負けて、このとおり顔もグチャグチャになったよ。会社からも、ファンからも、みーんなから見捨てられて……! 何もかも失いましたとさ!」
ミクルは自暴自棄に吐き捨てる。
「ねえ、気持ちいいでしょ? スカッとした!? 自分のこと散々バカにしてたヤツがさぁ……! 自業自得で墓穴掘ってさぁ……!」
ミクルの語気は荒い。
だけどその声音には隠し切れない絶望と悲しみの色が滲んでいた。
「ミクルさん……もういいです、やめてください」
「あははっ、マジウケる。最高だよね……! 笑えよ! ねえ、笑えってば!」
「ミクルッ!」
俺は声を張り上げた。
ミクルの肩が、ビクッと震える。
「……すまない、大きな声をだして。でも、俺はそんなことのために来たんじゃない」
俺はミクルのベッドサイドまで歩み寄り、懐から取り出した小瓶を差し出した。
「今日ここに来たのは、君にこれを渡したかったんだ」
ミクルは瓶を受け取ると、まじまじと見つめる。
「なに、これ」
「ソーマ」
「ソーマ……!? これが……!?」
俺は頷く。
当然ミクルも探索者のはしくれ。ソーマの持つ効能は知っているはずだ。
「これを飲めば、君が負った傷は回復するはずだ。もちろん、その顔の傷跡も含めて」
ミクルは瓶と俺を、交互に見つめた。
そしてしばらくの間、発する言葉を探しているかのように黙り込んだあと。
「なんで……」
ぽつりとそう呟いた。
「どうして……私にこんなものをくれるんだよ」
「なんでって。だって俺は君の――」
「同情はいらないッ!」
ミクルは、投げつけるようにソーマの瓶を突き返した。
「ホント何様!? みじめな傷物になった私に施しをして、聖人アピール!? そうだよねぇ、あんたは優しいもんねぇ! ふざけんな! オナニーなら一人でやれよ!」
ミクルは、そうやってひとしきり喚き散らした後、黙りこんでうつむいてしまう。
やがて、その肩が小刻みに震えだした。
か細い嗚咽が、静まり返った病室に響き渡る。
「ミクル……」
「もう、放っておいて……あんたと私は、何の関係もない、他人なんだから……」
「いや、関係ならある」
俺は、ミクルにかけられた言葉に対して、静かに反論する。
ミクルの、涙で濡れた目が俺に向けられた。
俺はその瞳をまっすぐ受け止めて、こう言葉を続けた。
「だって俺は、君のマネージャーだったから」
「は?」
「この機会だ。正直に言う。ハッキリ言って、俺はお前のことが嫌いだった! 礼儀も分別もなっていない、クソ生意気なガキ。仕事とはいえ、ガキに散々バカにされて、振り回される日々にホトホト嫌気がさしてたよ」
俺は、大人の仮面を脱ぎ捨てて、ミクルに本音をぶつける。
傷つき、すべてを失って、丸裸になってしまった彼女に対しては、それが正解だと思った。
「だから、お前がイレギュラーに遭ったとき、ざまみろって気持ちがゼロだったかというと、そんなことはない。むしろ結構ざまみろって思ってたわ。悪い」
俺の言葉に、ミクルは呆けたような顔を浮かべる。
「だけどな、会社を離れて、会社が、アサトがやっていたことを知って……思い知ったんだよ。俺だって、会社の一員として、やらなきゃいけないことから、ずっと目をそらしてたって……」
「やらなくちゃいけないこと……?」
「ダメなことはダメって、ちゃんと言うこと」
俺はミクルの目をまっすぐ見つめて、そう答えた。
「俺はお前のマネージャーだったけど、それをしなかった。コイツにはなにを言っても無駄だって、シャットダウンして、お前のダメな部分にちゃんと向き合わなかった」
そう言って、俺はミクルに向かって深く頭を下げる。
「本当にごめんなさい。俺は、あなたのマネージャー失格でした」
頭を下げたまま、病室に沈黙が続く。
やがてその沈黙は、ミクルの戸惑いを帯びた声によって破られた。
「わけわかんない……なんで……あんたが……謝るんだよ……だって、あんたは……なんにも……」
俺は顔を上げて、再びミクルを見つめる。
「俺はマネージャーとして、お前の間違った行動を止めることができなかった。そのせいで、お前は大きな傷を負ってしまった。俺はそう考えてる。だから、大人として、俺はお前に謝らないといけない」
「もう……なんも関係ないじゃん。わたしもアンタも……会社の人間じゃないんだし……」
「確かに。だけど昔、俺が社会人としてペーペーの頃、ある人から、こう教わったんだよ」
俺は、少しだけ笑いながら、その言葉を口にする。
「一度始めたことを投げ出さない。自分の行動に、責任を取れ」
「せき、にん……?」
俺は頷き、言葉を継ぐ。
「ミクルが寝ている間さ、俺にも色々あったんだよ。それで、段々と、俺がやるべきこと、やりたいことが、おぼろげだけど見えてきたんだ」
ミクルはじっと俺の顔を見つめている。
「いや、《《思い出した》》っていうのが、正しいのかな……」
俺はちょっとだけ顔を伏せてから、もう一度面をあげて、その先の言葉を告げた。
「俺は、ダンジョンに渦巻く悪意や理不尽……それに落とし前をつけさせたい。それによって傷ついた《《皆を守りたい》》」
実際に口にしてみると、随分とクサイ台詞だなと、恥ずかしくなる。
「……そうは言っても、俺一人にできることなんて限界があるけどさ」
俺は照れ隠しにそう一言加えてから、ソーマの小瓶をベッドサイドの机に置いた。
「……だからこれを受け取ってくれ。このソーマをお前に渡すのが、俺のやりたいことの第一歩なんだ」
そう言ってから、俺は冗談めかして笑う。
「大丈夫、これさえ渡せたら、俺はもう二度とお前の前に姿を表さないから。俺の顔をもう見たくないなら、今ここで素直に受け取っておいた方がいいぞ」
ミクルはじっとソーマの小瓶に視線を注いでいたけれど、その表情から戸惑いの色は消えていないように見えた。
ちょっと余計な自分語りをしてしまった気もするけど、とにかく、俺がミクルに伝えたかったことは全部伝えた。
あとは、彼女自身が決めることだろう。
「とにかく、お大事に。じゃあな」
俺はそう言って、ミクルに背を向けた。
そしてそのまま病室のドアに手をかけた――そのとき。
「――さい」
背後から、か細い声がした。
俺はドアノブから手を離して、振り返る。
視線の先には、
ぽろぽろと大粒の涙を流す、
ミクルの泣き顔があった。
「ごめんなさい……」
ミクルは、しゃくりあげながら言う。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
彼女は繰り返し、謝罪の言葉を口にする。
俺はそんな彼女の元へ歩み寄り、そっと肩に手を置いた。
「大丈夫だよ、子どもの間違いを許すのが、大人なんだから」
俺のかけたその言葉をきっかけに、堰を切ったかのように、ミクルはわんわんと泣きじゃくり始めた。
俺はそんな彼女の背中を、優しくなで続けた。




