第69話 絶対不可侵領域
俺とアサトは向かい合うようにして対峙した。
俺たちの間の距離は、おおよそ5メートルといったところだろうか。
アサトのギラついた視線が俺を射抜く。
それを正面から受け止めながら、俺はまるで世間話でもするように話しかけた。
「よく来てくれましたアサト社長。心配してました。逃げるんじゃないかって」
「格下相手に逃げるわけねーだろ。お望みどおり、殺しにきてやったぜ?」
殺す。
アサトのその言葉が、ただのハッタリではないことを示すように、その全身からは殺気がみなぎっている。
「皆守……テメェのせいで俺の会社と俺自身の名誉はズタズタにされた。絶対に許さねえ」
「それは全部アナタの自業自得じゃないですか。俺はただ事実を明らかにしただけですよ」
「んだと……?」
「知ってますかアサト社長? そういうのを世間では逆ギレっていうんです」
《ほんそれwww》
《もっといってやれクロウ!》
《翻訳:ジャパニーズセッキョー イズ ソークール》
《自分の悪事がバレたから開き直ってブチ切れるってそれもう逆ギレでしかないんだよなぁ…》
《逆ギレが通用するのは小学生までやでアサトくん?》
俺の言葉に同調するようにコメント欄に流れていく視聴者からのツッコミの数々。
おそらくアサトもこの配信をリアルタイムで視聴しているのだろう。わかりやすくアサトの顔は怒りに震えて真っ赤になっていった。
「黙れクズども!!」
アサトの咆哮。
それと同時にヤツが全身にまとう魔素がぐらりと揺らぐ。
「スキル発動――! 《絶対不可侵領域》!!」
アサトの掛け声と共に、その全身が眩い光に包まれていく。
バチバチバチと電気の放電音のような音を立てながら、光の粒子はアサトの全身を包むように球状に展開していった。
魔素が変化して出来たその光の障壁。
俺のスキルを使うまでもなく、凄まじいエネルギーを秘めているであろうことが見てとれた。
これがA級探索者、黒末アサトの持つハイスキル。
光の障壁の向こうでアサトは勝ち誇った表情を浮かべる。
「待たせたな? どこからでもかかってこいよ皆守クロウ。お前のクソみたいな下級技能で、絶対不可侵領域を崩せるもんならな!?」
俺は腰にぶら下げたナイフシースからククリナイフを引き抜き、アサトに向かって真っ直ぐに構えた。
そして口ずさむ。
「デュエルのルール――最終確認します」
決闘者――皆守クロウと黒末アサト。
場所――六本木ダンジョン下層十三階。
ただし戦いの最中の層の移動は容認するものとする。
決闘方法――、一対一。
何人たりともいかなる状況においても、他者の関与を禁ずる。
その他一切の制限――無し。
「決闘の決着については、片方の戦闘不能を持ってその決着とする。なお、生死は問わない」
「上等だ」
にらみ合う俺とアサト。
「決闘開始」
どちらともなく、戦いのスタートを告げた。
***
「ほら、どっからでもかかってこいよ無敵のククリーマン! 俺は逃げも隠れもしねー」
光の障壁の向こうで、アサトは両手を広げて俺を挑発するようなポーズをとる。
自分から攻め込んでくることはしないらしい。
当然だ。
アサトのハイスキル《絶対不可侵領域》の特性を踏まえると、敵の攻撃をひたすら待つというスタイルになるだろう。
「なんだなんだ? 散々偉そうな口を叩いておいてビビッてんのか? ほらほら、魔眼バロル(笑)を発動して思いっきりこい。殺してやるから」
もちろん俺も、安い挑発に乗ってうかつに攻撃を仕掛けることはない。
ククリの構えを崩さずに、アサトを見据える。
そうして膠着状態が続いてあっという間に10分が経過した。
《まあお見合い状態になるよな》
《ドキドキする……》
《マジでどうやってアサトのスキルを攻略するんだ?》
《予想以上に地味やな》
《猪木アリ状態やんけ》
《黒末アサトの公開虐殺ショーマダー??》
決闘の配信動画としては動きのない展開を受け、チラホラしびれを切らしたようなコメントも流れ出す。
「おーいクロウ。マジでいつまでこの茶番を続けんだよ。お前のファンも飽きてきてるぞー」
アサトは呆れたような声を上げる。
それから何かを閃いたような表情を浮かべた。
「お前もしかして……俺のスキル切れを狙ってる?」
「……ッ!」
アサトの言葉に俺は目を大きく見開く。
《スキル切れってなんや?》
《簡単にいえばMP切れ。スキル発動には体力やら精神力やら諸々消耗するから、どんな一流ダイバーでも発動しっぱなしだといつかはガス欠する》
《なるほど、まずはアサトに一方的にスキルを発動させてガス欠を狙う作戦か》
《え、でもそれをアサトにバレたらやばくない?》
アサトは光の障壁に包まれたまま、懐から煙草を一本取り出す。余裕しゃくしゃくなそぶりで、一服を始めた。
うまそうに紫煙を吐き出すと、薄ら笑いを浮かべて言葉を継ぐアサト。
「お前らしいセコい悪知恵だが、残念ながらその手は通用しねー。俺のスキルは省エネでな。発動だけなら燃費は殆どかからねぇ。このままぶっ通しで一か月だってお前に付き合えるぜ」
アサトの様子に焦りの色は一つもない。
おそらくその言葉に嘘は含まれていないのだろう。
「だから、覚悟を決めてかかって来い。ほらほら、俺は逃げも隠れもしねーからよ。どうしたサムライカローシくん」
「…………」
アサトの言葉を受けて、俺はしばらく思考を巡らせる。
そして、こちらから動くことにした。
「スキル発動――魔眼バロル・動体視力強化・二倍がけ――!」
ドクン――と眼底の奥に一気に血流が集まるのを感じる。
「やれやれ、やっとスキル発動か。待ちくたびれたぜ」
アサトはニヤリと口角を吊り上げると、煙草を人差し指と中指で挟んで口から離して投げ捨てる。そして、空いたその指をパチンと鳴らした。
それと同時に光の障壁が一段とその輝きを増していく。
「――ふっ!」
俺は短く息を吐いて地面を蹴った。
ククリナイフを振り上げて、光の障壁の向こうのアサトに向かって斬りかかる。
「無駄だバーカ」
瞬間、ククリで切り掛かった右手に感じたのは硬く分厚い岩盤に刃を切りつけたような感触。切りつけたククリが跳ね上がり、ついで、自分の右肩に衝撃が走った。
「ぐッ……!」
即座にバックステップで距離を確保。
ククリを構え直しながら、そっと右肩を撫でるとスーツの袖が破れて血が滲んでいた。
「ひゃひゃひゃ……どうだ? 自分の攻撃の切れ味はよ?」
アサトの嘲り笑いが響く。
《翻訳:何が起きましたか?》
《アサトの能力。たぶんアイツのスキルでクロウの攻撃が反射された》
《反射って、ただバリアで攻撃を防ぐだけしゃないの?》
「俺のスキルの本質は――反射だ」
アサトは得意げに説明を始める。
「俺の《絶対不可侵領域》は、ただ身を守るだけのスキルじゃねえ。この光の障壁に触れたモノをそっくりそのまま跳ね返す」
《つまり……クロウの攻撃が跳ね返されたと?》
《そういうことだ》
《某アクセラなんとかの人やんけ》
《跳ね返す能力ってえぐない?》
「視聴者の足りない頭でもようやく理解してきたみたいだな、皆守クロウの攻撃は俺に通用しねえ」
アサトの言葉を受けて、俺は一度ククリナイフをシースに仕舞う。
「――だったら、これはどうだ?」
鞘に収めた得物を握りなおしてから、抜刀術の要領で渾身の力を込めて逆袈裟に刃を振り抜いた。
音速を超えた剣速が真空の刃を生み出す。
その刃はまっすぐアサトに向かって突き進み――
「無駄だっつの」
光の障壁にぶちあたり、まっすぐ俺に向かって反射された。
「――ッ!」
とっさに身体をひねって直撃を回避。
真空刃は俺の頬を浅く撫でて、そのまま後方の壁面に激突。壁面に横一文字の亀裂を走らせた。
視線を前に戻すと、アサトが愉快そうな笑みを浮かべながら拍手をしている。
「おーおー避けられてよかったな皆守。さすがククリーマン、すごい反射神経だ。自分の攻撃で自分が真っ二つになってたら世話がねえもんなぁ」
「……」
「これでわかったか? 反射の対象は物質に限らねえ。俺が受けた衝撃や熱量といった類のモンも全部まとめて跳ね返す。つまり――お前に勝ち目はねぇ」
《マジでえええええ》
《物理特化のクロウの攻撃が効かないじゃん!》
《やべーよやべーよ》
《なんで本人はクズなのにスキルはこんなに強力なの?》
《翻訳:私は日本の探索者のレベルの高さを目の当たりにして驚愕しています》
目に見えるほどの明らかな劣勢。
焦燥と共に流れるコメント欄のスピードが増していく。
俺はそれらコメントを追いながら、チラリと撮影をしているハルに視線を映す。
(そろそろ頃合いか――)
俺の意図を察したようにハルが頷く。
それを合図に俺は踵を返してアサトに背を向けた。
「は……? まさかオマエ逃げるつもり?」
背後から聞こえるアサトの嘲笑じみた声。
だけど俺はそれを無視して駆け出した。
「おいおいおい、マジで逃げんのかよ! ひっでーな皆守クロウ!」
俺の下した判断を受けコメント欄が一気に加速していく。
《戦略的撤退だ!》
《しゃーない勝てるビジョンが見えない》
《翻訳:三十六計逃げるに如かずと孫子は言います》
《え、逃げるの?》
《劣勢なのはわかるけどちょっとガッカリだわ》
《戦えよクロウ。無様な姿見せるな》
《アンチ乙。これはクロウのクレバーな作戦だから》
《そうそう、アサトはクロウの手のひらの上でダンスしてるだけ》
俺の行動を擁護する意見。
反対に非難する意見。
相反する二種類のコメントが濁流となって視界の端に流れていく。
「おーい、皆守。逃すわけねえだろ? もっと遊ぼうぜ」
当然アサトは俺の後を追ってくる。
ヤツの声を背に受けながら、それでも俺は走り続けた。




