第29話 その夢を知る
ヨル社長に案内されてやってきたのはジェスター社ビルの屋上だった。
スペースの一画が背の高いフェンスに囲まれていて、ちょっとした屋上庭園として整備されている。
俺とヨル社長はフェンス側まで歩み寄った。
「うわーすっげー景色ですね……」
目前に広がる光景に思わず声をあげる。
空を見上げればそこには満月が照らす群青色の夜空が広がっていた。
眼下に目を移すと高層ビル群が放つ無数のネオンや街灯りで彩られた宝石箱のような東京の夜景が広がっている。
「ここは私のヒミツの場所だ」
そう言いながらヨル社長も隣に立ち、フェンスの向こうの景色を見下ろす。
その銀髪を風が優しくなぶっていた。
「ヒミツの場所ですか?」
「ちょっとしたプライベートガーデンといったところかな。社長特権でね。無理を言って作らせた」
ふふん、と少し自慢気に言うヨル社長。
「へぇ……いいんですか? そんな場所を教えてもらって」
「もちろん。君だから教えたんだ」
「俺だから……それって……?」
俺の問いに答える代わりに、ヨル社長は真っ直ぐ前を向いたまま、その視線の先――夜空の向こうに向かって指差した。
「あの向こう、何があるかクロウは知っているか?」
俺は社長が指差した方角に目を凝らす。
そこに広がるのはただ暗闇。煌びやかな光の群れが広がる夜景の中、ぽっかりと穴が空いたように空虚な闇が広がっていた。
(あの方向は……確か……)
「旧新宿区――」
俺はその名をポツリと口にした。
かつて東京都の行政区の一つに位置付けられていたその区域。
現在は第零号特別汚染区域と呼ばれるその場所。
今から27年前。世界で初めてダンジョン化が確認された、いわば始まりのダンジョンである。
「今、人類はダンジョンと共存している。魔素に適応し、法律を施行し、技術を確立することでダンジョンに一定の秩序を与えている――」
ダンジョンの出入口や安全地点の確保。
D2スーツやスキルをはじめとした魔素やモンスターの脅威に対する対抗手段の技術的確立。
探索者を管理するダンジョン法の施行やダンジョンギルドの設立。
ダンジョンポータルによるリアルタイムの情報管理。
ヨル社長の口から淡々と語られる、人が脈々と築き上げた混沌を律するためのシステム。
「あげくの果てにはダンチューバーによる配信をはじめとした、ダンジョンのエンターテイメント化……くくっ、本当に人の持つ適応能力には恐れ入る」
その声色にはどこか自嘲的な響きがあった。
「だけど、27年前、ダンジョンは人類にとって災厄に他ならなかった。新宿特災。クロウ、キミは当時のことを覚えているかい?」
「知識としては……けれどなにぶん子どもの頃ですから、記憶としてはあまり……」
ヨル社長が淡々と言葉を紡ぐ。
「何の前触れもなく発生したダンジョンは、問答無用で土地と建物……そして数多の命を呑み込んだ。しかもそれは始まりに過ぎなかった。魔素による汚染、モンスターの脅威、社会不安からくる治安の急激な悪化……私もまだ子どもだったが、当時のことはハッキリと覚えている。連日報道される惨状。繰り返される避難指示。不安と混乱。この国を覆う重苦しい空気」
「確か……ちょうど当時の東京都庁の辺りで発生したダンジョンは、その規模を拡大し続けて周辺の土地を侵食し続けていったんですよね。それで当時の政府は苦肉の策で周囲を高い壁で囲って……新宿区を放棄した……」
新宿区を囲った壁は次元の壁と呼ばれている。
今、東京の煌びやかな夜景の中で、旧新宿区一体が光すら通さない暗闇に覆われているのはそのせいだ。
壁の内側は今なお極めて高濃度の魔素で覆われており、ダンジョンランクの推定すら不可能。全域が『深層』と定義されていて、何人もその内部への立ち入りは禁止されている。
「あの壁の向こうに、私の家族がいる」
「え――?」
ヨル社長の口から発せられた予想外の言葉に思わず耳を疑う。
「新宿ダンジョンが発生したとき、当時生まれたばかりの弟と母が新宿区内の病院に入院していたんだ」
「そうだったんですか……それは……その……」
俺は社長に掛ける言葉の続きを見つけることができない。
新宿ダンジョン発生時に区域内にいた推計人口はおよそ20万人。政府の公式発表によるとそのすべてが推定死亡扱いとなっているからだ。
「……社長は、ご家族のためにジェスター社を?」
「会社を興したのは父だ。数年前に父は病に伏して、私がそれを引き継いだ」
社長の口元がほんの少しだけ緩む。
「父は、あるいは二人の無事を願っていたのかもしれないが……あれから27年の時が流れて、その間なんの音沙汰もないんだ。二人が生きていると思うほど、私は楽天家ではないよ」
ヨル社長の声色はどこまでも穏やかだ。
その瞳の奥に隠された感情を推し量ることは俺にはできなかった。
「それじゃあ……」
社長は新宿ダンジョンに何を求めているのだろうか?
「私はただ知りたい。あの中で一体何があったのか。とり残された家族はどうなってしまったのか。その結末を明らかにしたい」
ヨル社長はフェンス越しに下界を見下ろしながらそう言った。
「それがダンジョンに大切なものを奪われた私なりのダンジョンに対する復讐。私の夢だ」
社長はその視線を俺の顔に移し、ついで俺の方へ向き直る。
「正直、私は心のどこかであきらめていた。渋谷ダンジョンでリンネがイレギュラーに襲われ、命の危機に晒されたときに改めて思い知らされたんだ。本質的にダンジョンは人が足を踏み入れていい領域ではないのだと。であるならは私の無謀な夢に皆の命を巻き込むワケにはいかない」
ヨル社長は一瞬だけ瞳を地面に伏せ、すぐに俺の瞳をまっすぐ見つめた。
「だけど今日、深層の敵を圧倒したキミの姿を見て、私は希望を持ってしまった。キミがいればいつかあの暗闇の向こうへ行けるんじゃないかと。キミという存在が、私の胸に火を灯した」
そして社長はゆっくりと俺に向かって頭を下げる。
「クロウ、君に改めて私の願いを。私の夢のため、どうかキミのその力を貸してくれないか」
「社長……」
俺とヨル社長の間に静寂が流れた。
社長の思いを受け取り、返すべき言葉を心のうちで整理する。
そして。
「社長、頭を上げてください」
俺の言葉を受けて、社長はゆっくりと面を上げる。
視線と視線が交わった。
「正直俺にとってダンジョン探索は、生活の糧を稼ぐための手段でしかないです。ダンチューバーとして有名になりたいとか、ダンジョンの深層を目指したいとか、そういうのはないんですよね」
俺は一つ一つの言葉を選び取るように、ゆっくりとヨル社長に届ける。
「でも、俺にも家族がいます。母さんと妹……血は繋がってないんですけど、俺にとってはたったひとつだけの大切な家族です。だから、ヨル社長が家族を大切に想う気持ちは俺にもわかる……つもりです」
「クロウ……」
俺は社長に向かって笑みを浮かべた。
「それに……おかげさまでジェスター社にはビックリするくらいの好待遇で雇ってもらいました。報酬に見合った労働を提供するのが社会人の義務です」
右手を差し出し、言葉を継ぐ。
「俺の力がどこまで役立つかはわかりませんけれど、ジェスター社の社員として、最善を尽くします」
ヨル社長はじっとその手を見つめ、そして口元に笑みを浮かべる。
「ありがとうクロウ。君の言葉に、きっと私は甘えてしまうんだろうな」
社長の小さな手がそっと俺の手のひらを握り返した。
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