第28話 目を覚ます
「う……イテテテ……」
ズキンズキンと頭に走る鈍い痛みで俺の意識は覚醒した。
片手で頭を押さえながらゆっくりと上体を起こす。
「ここは……? どこだ……? 配信が終わってから……ええと……どうなったんだっけ?」
明かりのついていない薄暗い室内。
目の前に空のワイングラスやビン、ナッツやチーズの乗った小皿などが散らばったテーブルが映った。
寝ぼけた頭で記憶を手繰り寄せる。
視覚情報とおぼろげな記憶の照合。
少しのタイムラグがあってから、自分が何をしていて、そして今どこにいるのかを思い出した。
俺とリンネさんは配信を終えた後ジェスター社に戻った。
イレギュラーを乗り越え六本木ダンジョンから無事に帰還した俺たちを満面の笑みで迎えてくれたヨル社長は、打ち上げと称して祝賀会を開いてくれた。
しかも社長特権で俺とリンネさんを翌日休暇扱いにしてしまい。
一次会、二次会、しまいには会社に戻って社長室での三次会になだれ込んで……
「そのまま酔い潰れたんだな……」
俺はポリポリと頭をかく。
この部屋は社長室だ。
どうやら応接ソファで寝落ちしてしまったらしい。
ワイシャツの袖を鼻元に持っていきクンクンと嗅ぐと、相当に酒臭かった。
そのまま手首に巻かれた腕時計に目をやると時刻はすでに午前1時を過ぎている。
「リンネさんは……社長は……?」
キョロキョロと辺りを見渡す。
「目を覚ましたか、クロウ」
俺の名前を呼ぶ声がした。
その方に視線をやるとヨル社長が両袖机の向こうに腰掛けていた。
「ヨル社長、お疲れ様です……! すいませんっ。俺……!」
「そのままでいいよ。楽にしていてくれ」
あわてて立ち上がりかけた俺をヨル社長が片手で制する。
「ノドが渇いているだろう。水を飲むかい?」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
ヨル社長は席を立ち俺の元へ歩み寄ると、ミネラルウォーターの入ったペットボトルを手渡してくれた。
俺は受け取ったそれを傾けて中身を一気に飲み干す。
それでようやく一息ついた。
「あの、リンネさんは?」
「犀川に頼んで自宅まで送らせた。本人は三次会も付き合うと勇んでいたがね。リンネには悪いが夜を楽しむことができるのは大人だけの特権さ」
飲み会中一人だけシラフにも関わらず、誰よりもはしゃいでいたリンネさんの楽しげな姿を思い出す。帰りたくないとダダをこねる彼女の姿が容易に想像できた。
「ということは途中から俺と社長のサシ飲みだったわけですね……マジですか……」
「なんだ? 私相手じゃ不満だったかい?」
そう言ってヨル社長はイタズラっぽく笑う。
「いえ! そんな滅相もないです……! 実は途中から記憶があいまいで。酔っ払った勢いでなにか社長に粗相をしなかったかちょっと心配でして……」
俺が気まずげにそう言うと、ヨル社長はふっと表情を和らげて、そのまま俺の隣に腰掛けてきた。
「フフッ、とんでもない。キミのおかげでとても楽しい時間を過ごさせてもらったよ。あんなに楽しい酒席は本当に久しぶりだった。ありがとうクロウ」
そういってヨル社長は俺の瞳を見つめて静かにほほ笑む。
「そうだ、この写真。三人でとったんだ。見てくれ、バッチリ映っている」
そういってヨル社長はスマホを取り出すと、俺の身体へ寄り添うようにして画面を見せてくた。
そこには笑顔を浮かべるヨル社長とリンネさん、そしてその二人に挟まれるようにしてアホ面を晒す俺の姿があった……のだが。
「あ……」
俺は思わず間抜けな声をあげてしまう。
なぜならヨル社長が急接近してきたせいで、スマホの画面よりもその向こう側――やや前かがみ気味になった社長の胸もと、ブラウスの隙間から覗く豊かな谷間に目が行ってしまったからだ。
『よく見てくださいあの胸。意外とおっきいでしょ? よーく見ると意外と女性らしいメリハリのある体型をしててですね――』
社長と初対面したときに言われたリンネさんの言葉が頭をよぎる。
まったくもって彼女の言うとおりだ。
ヨル社長はパッと見はちんちくりんで小学生みたいなのに、こうして間近で見るとなかなかどうして色っぽい。
そのスタイルはもちろんのこと、月明かりに照らされる横顔はゾッとするくらい大人びていてどこか妖艶な雰囲気すらある。
(この人……こんなに綺麗だったのか……)
俺はヨル社長の異性としての魅力をハッキリと自覚する。
酔いと眠気が覚めていくにつれて、心臓の鼓動が高まっていった。
「どうだ? よく撮れているだろう? 安心してくれ。後でキミとリンネにもデータで送ってあげよう」
「あ……う……」
「クロウ?」
「ああいえ。なんでもないです!」
不思議そうな顔で首を傾げる社長から俺は慌てて目をそらす。
(言えない。横顔に見惚れてましたなんて。あろうことかオッパイの谷間をガン見してましたなんて死んでも言えない。相手は社長なんだから!)
(というか社長って何歳なんだ? 普通に考えてハタチは超えてるよな? 俺より歳上? 歳下? 三十路超えてる可能性も……ウソだろ? この見た目で?)
思考はぐるぐると加速していく。
(気になる……でも女性に対して面と向かって年齢を聞くなんて失礼だし……でも気になる……めっちゃ気になる)
「クロウ、どうしたんだ? さっきから様子が変だぞ?」
黙り込んでしまった俺の顔をヨル社長が心配そうに覗き込んできた。
「あ……ええと、ははは。ちょっと飲み過ぎたみたいで。すいません」
「大丈夫か? 医務室にいって薬をとってこようか?」
「あ、いや。そこまでじゃないんで全然平気です……さてと」
一人で勝手に気まずさを感じた俺は、その感情のさざなみをごまかすように勢いよくソファから立ち上がった。
背もたれに掛けられていたスーツの上着を手に取って、ヨル社長に向き直る。
「お疲れさまでした社長。私もボチボチ上がります」
「帰るのかい? 朝までここにいてもいいんだよ?」
「いえ、そういうわけには。全身酒臭くて仕方ありませんし、家に帰ってゆっくりさせていただきます」
「そうか。わかった……」
俺の言葉を聞いたヨル社長は少し目を伏せる。
なんというか、その表情が少しだけ寂しげに映ってしまったのは俺の気のせいだろうか。
(もっと俺と一緒にいたいとか……? ハハ、なんてな。んなわけねーだろ。自惚れんな)
「それでは社長、これで失礼します」
挨拶をして社長室を後にしようとしたとき。
「待ってくれ」
ヨル社長が呼び止めた。俺は振り返る。
「はい、何か?」
「クロウ。帰る前に、一つだけお願いがあるんだが聞いてくれないか?」
「お願い? なんですか?」
「一緒についてきてほしい場所があるんだ」
「ついてきてほしい場所? 俺に?」
ヨル社長の提案に俺は首をかしげる。
「なに時間はそれほど取らせない」
「はあ、別に構いませんけれど……」
俺の同意を受けてヨル社長はすっとソファから立ち上がった。
「ありがとう。こっちだ。ついてきてくれ」
そう言って社長はドアを開けて廊下へと出て行く。
俺は言われるがままその後を追った。
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