うちに双子がやってきた
「広くなったなぁ」
もう娘も出ていった部屋で、僕は一人、畳の上で胡座をかき、木板を抱えて呟いた。
一人娘は、結婚して出ていった。義理の息子に当たる男の子はしっかり者で、心配はしていない。むしろ、娘には過ぎたいい男だ。
彼女は何もかも片付けて、この家から消えた。棚も机も、服も何もかも新居に持っていった。
めでたいのだけど、少し寂しい。もう彼女の生活臭はない。きっともう、戻ってくることはないだろうなぁ。
いや、戻ってきてもらっても困るか。またしても僕は乾いた笑いを浮かべた。
そんな折、トントンと、階段を登ってくる人物の足音が聞こえる。
家に人間は二人しかいない。あとは飼い犬。ということは、彼女だ。
建付けの悪い襖が開いて、そこには目元にシワが目立つ女性が立っていた。
僕の奥さん。カーチャンだ。髪の毛も白髪交じり。いや、人のこと言えないけどね。
「はい。買ってきたわよ」
不機嫌そうに、ぽいと、下手に釘の入った厚手のビニル袋を僕に投げて渡す。
「おっと」
ナイスキャッチ。
「ごめんね」
謝ってもまだ彼女は不機嫌そう。まぁ、更年期らしいからね。
「ほんとよ。板だけ買ってきて、ボケが始まってるんじゃないの?」
痛いことを言われる。彼女が言うとおりだ。だからスーパーに買いに出ていた彼女に連絡して、ホームセンターに回ってもらった。犬の餌も買ってこないといけないからと。
「犬の餌代も後でもらうからね」
「はーい」
ああ、お小遣いが減ってしまった。
そして、彼女も一度部屋を目玉を動かして部屋を一望する。
「広くなったわねぇ……」
「そうだねぇ」
娘と母は喧嘩も良くしたが、その分、心も通じ合っていたように思う。僕も頑張ったけど女性同士の会話っていうのは、血を分けてもなかなか入りにくいものだ。
だから、彼女は半身が無くなったように思っているのかもしれない。
彼女はため息を一つ。僕にではないだろう。遠くを見ている。
「怪我しないでね」
部屋を眺めながら、彼女は僕に言った。
「おや? 心配してくれてる?」
「病院代払うのが馬鹿らしいってこと」
それだけ言うと、興味なさそうに彼女は階段を降り始める。
彼女が階段を降りきってから、僕は一つ呟いた。
「なるほどね。ツンデレってやつかね」
さて、気持ちを切り替えよう。今から僕は、一人でやるには大仕事を始めるんだ。
ブルーシートを敷いて、工具箱を開き、金槌と糸鋸を取り出す。
これから念願の模型部屋を、DIYしなきゃいけないんだからね。
◆◆◆
娘が出ていったことはある意味で決定打になった。
僕と妻は倦怠期で、更年期にもなっており、今まで通りに人生をすり合わせることが難しくなった。
で、結局、僕たちは一階と二階に分かれて別世帯のように生活を始めた。
一階は彼女と飼い犬。二階は僕。顔を突き合わせるのはご飯くらいかな。
でも今の僕らにはソレがベストだ。噛み合わない二人では、お互いを傷つけると分かっていた。
かといって熟年離婚の話はない。今更別れて何になるって境地だ。きっと彼女もそうだろう。
二階を譲ってもらえたのは僕にとっては運が良かった。風が通りやすいのは僕の趣味のプラモデルでは有利だ。乾燥や近隣の迷惑防止って意味でね。
そして、出ていった娘の部屋を僕は模型部屋に改造することにしたのだ。
娘はアプリ越しに快諾してくれた。
「へぇー工房じゃん。面白そう。生まれてくるのが男の子だったらその部屋使わせてねー」
孫が男なら情操教育に良いだろうということだ。
よしよし、その時はおじいちゃん張り切っちゃうぞ。
というわけで出来上がった模型部屋で、僕は、ゴクリと固唾を飲んだ。
「買っちゃった……」
机の上にはプラモデルの箱。そのプラモデルというのが、僕には未知のジャンルのものだった。
アニメ調の美少女が描かれているその箱はいわゆる、美少女プラモ、というやつだ。
なんと言うのだろう? 着ているものはロボットのような鎧で、アンドロイドのようなものなのかもしれない。説明書に設定があればちょっと読み込んでみよう。
僕はどちらかというとミリタリーモノ、特に戦闘機が好きで、キャラプラモにはあまり興味がなかった。
それもこれも相互フォロワーさんが悪い。
事の顛末はこうだ。ある日、僕はアイディアを探してスマホを眺めていたわけだ。
パソコンには強いんだ。PC-98黎明期の人間だからね。で、稲妻が走るってこういうことだろうかね。
尊敬しているモデラーさんの作品に僕は横殴りの衝撃に見舞われたわけだ。
彼は、美少女プラモにドレスのように武装として戦闘機を纏わせていたのだ。
それがまぁ、かっこよくて、かっこよくて……。
僕は突き落とされた。最近では、沼にハマるっていうんだっけ?
上下に分割された箱を開くと、パーツがずらっと並んだ枠組み、【ランナー】っていうものが目に飛び込んでくる。
いや何枚あるんだ。
1/48スケールの大型戦闘機のキットくらいあるか?
「これは……、頑張らないとな」
よし、と気合を入れて袋を開けるも、思いの外サクサク進んだ。
「はぁ~」
もう目は印刷済み。塗装はいらない。接着が要らない。ゲートも見えにくい位置に来る。色分けはパーツをはめ込めばできる。
「へぇ~」
合わせ目だってちょうど隠れる位置にくるので、仮組だけでどんどん進んだ。
「ほぉ~」
スナップフィットもここまできたかと感動すらする。
何がすごいって、スカートは布みたいに波打ってるのに、可動域も計算されてて動くのだ。
おお、足も深く曲がる。正座ができる。
「いやぁ~……。進化してるなぁ」
その時、僕は感心しきりだった。
あと、笑っちゃったのが、パンツへの造形のメーカー側からの執念。
見えないのに頑張りすぎでしょうコレ。
◆◆◆
「みっともない!!」
で、僕は今、カーチャンの前で正座して頭を垂れている。棚の上には完成した美少女プラモ。
改造も済んでて、かっこよく出来たと思う。
でも、彼女はどうやら僕が作ったこの子がお気に召さないらしい。
「こんなの人に見られてどうするの!」
「いや、ウケは良いんだよ?」
SNSアプリの評判は上々だ。そろそろ1000くらい良いねが付きそう。このスコアは僕も今まで無い。
でもカーチャンは知ったことかと、怒りを隠さなかった。
「こんなの捨てるからね!!」
「ちょ、ちょっとまってよ!! ソレ頑張ったんだから!!」
「頑張ったって……、可愛そうでしょう!?」
「え?」
彼女の言い分は僕の想定と違うところにあった。
「こんな、ビキニかレオタードかみたいなもの着せて……。こんなの見せて喜ぶなんて……、この子が可愛そうじゃない」
ああ、そういうことか。
僕は立ち上がって、素組用、スペア用、改造用と、積んでいるプラモデルの中から一つ引き出して、彼女の前に差し出した。
「じゃあ、こういうのはどうだろう?」
◆◆◆
「これ、何の部品使ったんですか?」
「ああ、これは、手芸店に売ってた針金で───」
「この剣とかすごいですね。どの部品です?」
「これは、ウィンナーとか突き刺すあの爪楊枝で───」
展示会で、妻は人気者だった。お盆の上に飾られている、妻の子は、ひときわ輝いて見えた。まるで降り立った妖精のようですらある。
いやぁ、すごいね! 母の愛!
僕の方も頑張ったけど、彼女も同じくらい質問責めにあっている。僕の今までのキャリアは、妻の前では吹き飛んだ。
それがなんとも嬉しい。
あのあと、僕は箱を渡してこう言った。
「女の子の気持ちは僕よりも君がわかるだろう? だから、君はきっと僕よりうまくこの子を育てられる気がするし、引き出せる気がする。やってみない?」
結果は見ての通りだ。僕たちは長年連れ添った。だから相手に要求を通すコツも知っている。
そして、彼女は美少女プラモデルの世界に飛び込んだ。
更年期の苛立ちを彼女はプラモにぶつけていた。針を通す、ニッパーでパーツを切る、ヤスリがけで形を変える、そういったある種の破壊活動が、ストレス解消になるそうだった。
彼女は内職も得意だったし、娘にしてあげていたこともたくさんその子につぎ込んだ。
ミシンでリボンを縫ったり、お菓子のセロファンとか、思いつきもしない素材を持ってきたり、化粧品なんかの使い方は僕より彼女のほうが得意だった。
僕は僕で、彼女に教わることはたくさんあった。そして、僕も彼女に多くの塗装技術や改造技術を教えた。
彼女と会話することも増えたし、同じ趣味に目覚めたことで、夫婦というより彼女は模型仲間にもなった。
出ていった娘は、そんな変化を喜んでくれた。
「じゃあ、妹二人できたようなもんじゃん」
アプリでのやり取りで娘が言った名言だ。
そう、そんな各々の娘たちが、僕たちを繋ぎ止めてくれたようで、言い得て妙と思えて、笑ってしまった。
うちに双子がやってきた。
僕の作った子は男勝りでかっこよくなった。妻の子は可憐で華やかな子になった。元は同じ子でも、育ち方でこうも変わる。
そうして、嬉しいことに僕らの子たちはなんと優秀賞に選ばれるに至った。
取材に来ていた模型雑誌の記者さんからも妻はコメントを求められた。
「この作品についてなにか一言」
あ、それはご法度。
「作品じゃありません! 【うちの娘】です!!」