プロローグ
僕は歩いている。
行く先が霞み、彼方へ続く一本道を辿っている。
淡く、濃く、すぅっとなめらかに滲んだ水彩画のような世界。
懐かしい顔や街並みが、鮮やかで禍々しい色彩の中に浮かんでは消える。
ひらひらと鱗粉をまく紫色の蝶が目や鼻先を掠めて、約束の地を示していた。
僕は知っている。
これは幾千とくり返される夢。
歌声が聴こえる。
気配を感じて振り返る。
そして、誰もいない。
手を伸ばす。
そして、何も掴めない。
トレースされる動きを俯瞰から眺めるしかない。
歌声が響く。
音階が波打って透き通る高音になる。
瞳から雫が溢れる。
これはあの人の声。
しがみつく。輪郭を抱きしめる。
蝶は群れになり、螺旋になり、僕らを深い闇へと沈めてしまう。
感じるのは肌の匂いと気配だけ。
「由紀子……。」
ループの果てに待つ孤独に怯え、僕は嗚咽する。
遮光カーテンの隙間から漏れる光が、滲んだ瞼を照らす。
朝陽の中の君は、置き去りにした姿のまま。
艶やかな黒髪。
幼さが残る瞳。
美しい音色を奏でる唇。
目覚めれば失われ、眠りとともに陥る儚い逢瀬。
ピピッ…ピピッ…ピピッ。
スマホの無機質な電子音が、僕を日常へ引き戻した。