第48話「バカップル」
「まなちゃん、お別れする時はおとなしかったね」
夜の九時過ぎ、送ってくれるという美優さんの車に乗ってすぐに春野先輩が話しかけてきた。
少し遠い目をしているのはまなたちと別れた時の事を思い出しているんだろう。
「我が儘を言っても俺たちを困らせるだけで一緒にはいられないと理解しているんですよ。だから我が儘を言わずにおとなしかったんです」
まなが別れ際に我が儘を言ったのは、あの子が俺に懐いた初日だけだった。
その時は凄く泣き喚いて俺についていくとか、ここに残れとか言ってきたけど、俺はどちらも受け入れる事はなく帰ってしまった。
それでこれはどれだけ我が儘を言っても駄目なんだという事をまなは学んでいる。
だからその次からは別れる際に我が儘を言う事はなかった。
ただ、それでも寂しそうな表情はしていたのだけど。
「まなちゃんって本当に賢いね」
「本当にそうですね。まぁそのせいで厄介ってところもあるんですけど」
我が儘を言っても無駄な事には素直でおとなしいけど、逆に言えば我が儘さえ言えば自分の要求が通るとわかっている事に関しては一切譲らない。
たまに周りを味方につけてまで駄々をこねる時があるから、本当に厄介でもあるのだ。
「でもかわいいからいいと思う。私もあんなかわいい妹が欲しかったなぁ」
どうやら春野先輩はとてもまなの事を気に入ったらしい。
まぁ駄々をこねていない時はかなりの甘えん坊なため、誰だってまなに甘えられればこうなるだろう。
「いいじゃん、もうまなちゃんにはお姉ちゃんって思われてるんだから」
春野先輩とまなの話をしていると、運転席で車を運転していた美優さんが拗ねた声を出した。
ミラー越しに見える口元は少し尖っている。
「拗ねないでくださいよ。まなの事はいつもの事じゃないですか」
「だって、みこちゃんはすぐに認めてもらえたじゃん。私もう一年以上の付き合いなんだよ?」
「引き取った時から面倒を見てる職員さんでさえ拒絶されてるんですから、仕方ないですよ」
まなは職員さんにさえ撫でる事を許さない。
面倒を見てもらってるのだけど、まなは嫌がってしまうのだ。
「どうしてあそこまで家族じゃないと嫌がるんだろう」
「……もしかしてですけど、家族にこだわりたいんじゃないでしょうか?」
「というと?」
「兄の俺が言うのもあれですが、まなは本当に賢いです。そんな子が、両親の事を覚えていないとは思えないんですよ。実際、孤児院に来たばかりの頃はずっと隅に座って塞ぎ込んでいましたしね」
おそらくすぐに自分が捨てられたと気付いたのだろう。
まなは隅に座って誰とも関わろうとせず、一人寂しそうにしていた。
だから俺がまなにかかりきりになってしまったところがある。
血が繋がっているから特別視しているところはあるかもしれないけど、それだけなら多分他の子より少し優遇していただけだ。
何回も言うように、施設にいる子たちも俺の家族だと思っているから。
でも、施設に来たばかりのまなの様子を見て俺は放っておけなかった。
だから実の兄妹だとわかってからは俺が兄だと教え込み、たくさん甘やかしまくった。
それでもまなが心を開いてくれるには一か月かかったものだ。
そして俺から離れなくもなってしまった。
まるで、失った家族を今度はもう離さないようにするかのように。
「春野先輩を姉だと思い込むようになってからの甘えようを見るに、家族という事を特別視しているのは明らかです。本当なら親に捨てられたら恨んだり、もう家族はいらないと思うようになると思いますが、まなの場合は逆に家族を欲し、家族以外は自分に必要ないと思い込んでしまったのかもしれません」
あくまで憶測ではあるけど、姉と認識するまでの春野先輩への態度の違いと、長い間一緒にいる人たちでも心を開かないところを見るにそう思ってしまった。
「だったら、あれかもね。最初は両親の事を恨んでいたけど、優君という自分を大切にしてくれるお兄ちゃんが現れた。それにより、自分が必要なのはやっぱり家族なんだって思ったのかも。ほら、優君甘やかすとなると加減を知らないし」
「いや、最後の一言はどういう意味ですか? そんな事ないと思いますけど?」
「よく言うよ。ねっ、みこちゃん?」
美優さんが話を振った事で春野先輩に視線を向ける。
すると、先輩は恥ずかしそうに両指を合わせてモジモジとし始めた。
明かりが少ないからわかりづらいけど、多分頬が赤くなってるんじゃないだろうか。
「なんで急に照れてるんですか?」
「さっきの事を思い出してるんでしょ。意外とやるよね、優君は。手取り足取りをあやじゃなくて実践する人は初めて見たよ」
「~~~~~っ!」
美優さんの言葉を聞くと春野先輩はその時の事を思い出しているのか、声にならない声を出して顔を両手で覆ってしまった。
めちゃくちゃ照れているらしい。
そして俺も全身が熱くなる感覚に襲われた。
料理中はあまり気にしていなかったけど、今思い返してみれば俺はとてつもない事をしていたらしい。
春野先輩が照れるのも当然だ。
「本当、目を離せばすぐいちゃつくんだから……もう立派なバカップルだね」
「全然嬉しくありません……!」
楽しそうに笑って俺たちをバカップルだと言う美優さんに、俺は心の底から全力で否定しておいた。