第13話 『黒き炎は豪雪をも焦がす』
これは、俺たちが戦闘を始めて数分後から辿たちと合流するまでの間に起こった、想定し得る中での最悪の出来事だ。
「さて……まだまだ妹のために死んでもらいますよって……この反応はまさか!?」
魂振化し、焦茶色の髪を揺らしながら、妹を攻撃しようとした有象無象をまるで戦闘狂の如く笑いながら殴り倒していた彼方の動きが止まる。
「あはは……最悪の予想が当たっちゃっいましたね……」
幾度も言うが、【塔】である彼方と遥は能力として、お互いの思念・思考を共有出来る。現在結界を張ったりしている遥の感覚がもし彼方に伝わったとすればそれは——
結界内に止む勢いが無く降り注ぐ雪。幸い、視界を確保出来ないほどのものでは無いその中を、一つの影が空から突然滑空して横切り、空を見上げた俺の視界に入る。
察した俺は、彼方と共に慌てて遥の展開している思念結界の中へ逃げ込む。
そして、体感時間にして2秒後。逃げたことを好機と見たのか、一斉に結界を壊そうと襲いかかる眷属型ライアーに"その影"は牙を剥いた。この場合、例えでは無く物理的に、だ。
体長は平均的な大人の身長を超える……およそ2メートル。ただし2本の脚を除けば4本の腕を持った異形の眷属型ライアーを"それ"は大きく開いた口に捉え、咥えると脚を使い地面を削りながら滑空の勢いを殺して止まる。
「そうだな。【死神】ならこう言うだろう。『緊急事態は懲り懲りだね』とな」
俺の視線の先で、グシャリと聞くに耐えない、様々なものがまとめて潰れる音を立てながら、CODE:Uは口に咥えたその一体を噛み砕く。
「『捕食』……ですね。推測ですが、例えでは無く、眷属型ライアーを構成していた思念をまるまる吸収していると考えられます……」
神妙な面持ちで分析する彼方。そこに先程までの狂気染みた笑顔は無い。
確かに、俺が初めて遭遇した時に彼方はこう言っていた。『この結界内で倒された他のライアーの散った思念を吸収、自らと融合させることで、思念としての反応を見るだけでも超強化されてます』と——つまり、やつ……CODE:Uには自らを強化するために捕食するという本能のようなものがある。
「放置しておく訳にもいかないが、俺たちが摩耗することだけは避けなければならない」
俺はそう判断を下したものの、ライアーとライアーが戦っているという前例の無い状況に、皆と同じように呆気に取られていた。
『弱肉強食』……その言葉の体現。今まで倒すべき存在でしか無かったライアーというものが、自然界における縄張り争いのようなものを起こしている。
強靭な尾が薙ぎ払う。血のような赤い爪が貫く。咥えた口が噛み砕く。
俺たちよりもこの目の前の存在の方が主に害を及ぼすと判断したのだろう。俺たちを無視し、幾度となくCODE:Uへ襲いかかるが無意味。
角や爪などの尖った部位やその鋭い眼に赤色を宿したその竜の黒い巨躯を、眷属型は傷つけることが出来ていない。それどころか、CODE:Uは初遭遇の時に使った熱線や火球すら使っていない。
「あの竜、どこかで……? 確か、アグ……えーっと……」
俺たちが、いつ攻撃がこちらに来ても良いようにと構えている中で、不安を顔に浮かべ、初めから持っていた杖をギュッと握っていた鬼灯から呟かれた言葉を聞く。
「アグ……?」
「はい……。あの竜には、確か名前があったはずなんです」
鬼灯は俺の聞き返しに対して、不確かでごめんなさいと頭を下げながらも話す。
つまりは、良い意味で未確定要素である鬼灯と悪い意味で未確定要素であるCODE:Uに何処か接点がある……ということか?
「【星】! CODE:U……行っちゃうよ?」
俺は脳内に巡らせていた思考を一旦区切り、再度CODE:Uに目を向ける。
すると、辺り一帯の眷属型を喰い尽くしたのか、漆黒の翼を広げ、雪に逆らって飛翔するCODE:Uの姿が見える。
そこでふと、その赤い眼と俺の眼が交錯した気配がした。そしてやつの眼はまるで、俺たちに対する殺気に満ちて……否、俺たちへの殺気では無い……?
「あっ! 花音ちゃん!」
その疑問は、瞬時に確証に変わる。鬼灯が遥の思念結界を抜け出し、方角的に中心部に走り出していたからだ。
「チ……αチームに伝達。鬼灯が其方に向かった。一人でも合流し、彼女を護衛してくれ」
鬼灯と同じ方向へとCODE:Uは悠々と翼をはためかせ、飛んでいく。それと同時にまた湧くように出てくる眷属型ライアー。
俺はその状況に舌打ちすると、向こうに既に着いているであろう3人に念話を飛ばす。
「【星】、こいつらの殲めt……引きつけは後です。俺たちも向かいましょう」
相変わらず実は戦闘狂という一面の垣間見える妹想いだなと思いつつも、俺はショットガンSuper90をいつでも撃てるようにショットシェルを装填すると2人と共に走り出す。
そして———
「【星】! はぁ……全くもって緊急事態は懲り懲りだよ。見てよ、あれ」
そして現在、僕は少し遅れて駆けつけて来た雷牙たちと合流する。
雷牙たちは僕が『あれ』と言ったものを予想していたのか、やっぱりなという一種の納得した表情を僕に見せる。
「元々俺たちの所で暴れていたライアーだからな。そう驚きはしない」
「あー……そういうことね……」
ただ、状況は最悪。こうやって会話が出来る程の時間があるのは、CODE:Uとラーン=テゴスの二体のライアーが僕たちに見向きもせずに争ってくれているから。
滞空しているCODE:Uが口を大きく開けて熱線を吐き出したかと思えば、傷一つ付かなかったラーン=テゴスが大きな鋏の付いた触手を伸ばす。
対してCODE:Uは漆黒の翼を大きく羽ばたかせて旋回。その名状し難い触手を上手く交わしながら立ち回っている。
赤でも無く、青でも無く……闇を放っていると言われても納得してしまう程の黒に染まった炎。それらが放たれる度に起こる深紅の爆発。
「あそこに飛び込む勇気は……ある?」
幸い禁忌区画内に人はいないから、邪神型の結界特有の『結界内に起こったことが現実の物質的なものへ影響する』はあっても人が危険に晒されることは無い。ただ……今頃現実世界のこの場所はとても揺れたり吹き飛んだりはしてるだろうけどね……あはは——その事も考慮して苦笑いしながら僕は雷牙に問う。
「……俺としては、漁夫の利を狙いたいが、CODE:Uの猛攻でラーン=テゴスが傷一つ負っていない。故にCODE:Uが押されるのも時間の問題と考える」
「確かに。ラーン=テゴスは傷を負ってない……って僕はなんで直視出来てる?」
ふと僕はラーン=テゴスのまるでキメラのような……いや、それ以上に複雑でぐちゃぐちゃで名状し難い巨躯をさっきから観察してしまっていても正気度を削られることが無い……つまり幻覚を見ていないことに気付く。
「それは……私の祈りです。邪神にはそれが基本……って何となく思いましたから」
僕は背後からの鬼灯さんの声に振り返ると、目を閉じ、祈るように光る杖を握っている姿が見える。そこには、秀明さんに護衛されながら急いで走ってきた時の焦った雰囲気は無くて、寧ろ神秘的な雰囲気があった。どうやらここに来た時からその祈りとやらをしていたらしい。
「なら、雷牙はいつの間に、アレがラーン=テゴスって知ったの?」
さり気なくさっきの会話でその単語が出てきたけど、あの姿を見た刹那しか分からなかったはず———
「刹那に念話で聞いたまでだ」
あ、ですよねー。なんか、僕がSAN値削られている間にいろいろあり過ぎじゃない? なんというか、損した気分だよ。
「ともあれ、奴が大気の精をモデルにしている以上は、傷一つ付いていないことが『奴自身が空気のような存在』だから、で説明がつく」
「空気……?」
軽く頷く雷牙。
「空気のとりわけ風には、カマイタチや風圧と言った現象が存在する。それらが俺たちには意思を持ち、形を成して見える……そう認識してもほとんど差異は無いだろう」
いや、無理ゲーかよ……。誰がどう見てもそんな一方通行にしか攻撃の通らない相手には僕と同じ事を思う気がする。
「当たりさえすれば、辿くんに頼る賭けは出来るんだけどねぇ……。でもアタシたちが何もやらないわけにはいかないし」
そこで、眉を顰めて聞いていた刹那が、鬼灯さんにあることを依頼する。
「花音ちゃん、『歌』は歌える?」
「えーっと……一つだけ、頭に残っているものがあるので、それなら歌えます」
雷牙が言っていた。僕が眷属型を倒した時に、とある歌……彼曰く、俗にカノンと呼ばれる曲を歌う声が聞こえたって。
いや、ダジャレかよって僕も思ったよ? でも、雷牙の性格とあの時の僅かにある記憶から、それはきっと僕の中の何かを目覚めさせる歌なんだろうって悟った。
「【死神】。俺たちはあの想定外の脅威に対してお前という賭けに出る。あの時の感覚を鬼灯の歌で思い出せ。その間、俺たちが全力でお前と鬼灯を死守する」
もし僕が思い出せなければ、いずれラーン=テゴスが移動しながら結界を拡張して、街に被害が出る。僕としては、出来なければ死ぬと言われている感覚。
けど。だけど、僕は兄さんと約束した。そして、みんなが生きる世界と刹那を託された。焦りが無いと言えば嘘になるし、自分の手に世界の命運がかかっていると思うと逃げ出したい。他の誰かに任せたい。気怠さに任せて放り投げて、布団の中で安眠していたい。
僕はアニメや漫画の主人公じゃない。じゃあ救ってやるなんて簡単に思えない。勇者だとか選ばれた者だとかが羨ましいよ。
ただ。そうじゃなくても。僕は約束を果たしたい。だから……逃げない。
「鬼灯さん、そしてみんな……お願いします」
僕は覚悟を決めると、顔を上げてそう告げる。
「でしたら俺たちは、二人で思念結界を貼りますので、【死神】頑張っちゃって下さい☆」
彼方と遥の【塔】は、懐から取り出した札を使って、周囲に半球状の結界を展開する。
「だったら、アタシたちは結界の外で護衛ってところねぇ」
【審判】である刹那、【戦車】である秀明さん、そして【星】である雷牙は各々の武器を手にしてその結界の外へ歩いていく。
そのタイミングで背後にいる鬼灯さんの歌が始まり歌声が戦場に響く。透明感がありながらも荘厳で、天使を思い浮かばせるような神秘的な歌声。
僕はあの時の感覚をより鮮明に思い出すために、目を閉じてその歌声を聞くことにした。
 




