第12話 『その名はラーン=テゴス』
注意!今回のお話には、作者初のホラー演出が試みられています。苦手な方はその部分をさらーっと飛ばして頂けると幸いです。
豪雪と共に吹く風が癖のある僕の黒い髪と、同色では無いもののそれに近い紺色のコートの端を強く揺らす。
「【審判】ッ! 中心部ってもうすぐだよねッ!?」
雷牙筆頭のβチームが引きつけてくれてはいるであろうものの、たまに気分屋なのか僕たちを狙う眷族型はいた——とは言え。
「まだまだまだッ! アタシの女子力ッ!」
僅か3秒程の思い込みが具現化することを利用した刹那はその大剣に苛烈な赤色を宿し、焦がし斬っていて、丁度その炎がポニーテールを元から赤かったみたいに鮮やかに照らしている。
「……せいッ!」
続いては秀明さん。相変わらず……抜刀が速すぎて見えないんだけどね……。しかもいつも使っていると聞いた鉄の刀では無く、刀身が硝子のように透き通った刀が見える。
これについては余談なんだけど———
「ん? これか?」
嘘狩り本部出発前に何やら大きな刀……大太刀って言うんだっけ? 髭を癖なのかたまに摩りながら、それを雷牙の車両に積んでいる秀明さんを見かけて僕は声をかけていた。
「真に試してみてはと提案されてな。今までよりズババー出来るらしいぞ」
この場合のズババーって……斬るってことかな?あれ、でも思念体では武器って持っていけなかったような……。
「真曰く『結界内でも取り出せる武器』だそうだ」
思念体は幽体離脱みたいなものだから、結界の中に物は持ち込めないし、上手くいっても思念には思念でしか太刀打ち出来ない——あれ……と不思議に思っていたのが顔に出ていたのか秀明さんはこう続けた。
「【魔術師】の思念調整能力を応用してカンカンしたそうだ」
カンカンって何……!? 刀……そしてこの擬音。一から作ったってことかな、たぶん。師匠である秀明さんを翻訳してくれる雷牙がいないのが悔やまれるかな。
「異能研の試験作……ってことですかね? 仕組みとかは本人に聞いておきますけど、どんな風に使えるんですか?」
流れで聞いてしまったことを僕はこの時後悔することになる。
「そりゃあ、シャキーンからのズババーっと」
"斬る"という情報しか分からなかった。
ともあれ、名前だけは最後に聞いておいた。『思念刀心映』……(仮)らしいけど。
余談終了。時刻は現在に戻る。
ほのかに輝いても見えるのは硝子のように透き通った刀身。秀明さんの抜刀術も相まって、空中に光の軌跡を描いている。
「て、見惚れてる場合じゃないよねッ!」
僕は距離を詰めてきた眷族型を、今度は腕では無く、それが空振りして体勢を崩したタイミングで首元から身体を斜め下に斬り裂く。
頭部がサイのような見た目をしている割に、身体はゴリラみたいなものだから、まだ僕の鎌が切り裂ける範疇。
「【死神】! あともう少しッ!」
剥き出しになった鉄骨はすでに錆びていて。止まれと書かれた標識やひび割れた信号機は途中で折れて斜めに倒れていて。
瓦葺きの建物の瓦は屋根の形を成していない。そもそもその建物自体も地震にでもあったかのように傾いていたり、瓦礫に押し潰されて原型を留めていなかったりしていて。
たまに奇跡的に立っている電柱や半壊しかしていない建物がそれらの悲惨さをより誇張しているように僕には見えた。
僕たちは、そんな状況の街の、瓦礫や木材の破片で形作られた道をここまで走ってきた。最初は少し転びそうにはなったけど、少し慣れたおかげか今はしっかりと地面を足が捉えれている。
中心部に近づけば近づく程、奇跡的に形を保っている建物などは見なくなっていく。そして今、遂に何も残っていない瓦礫だらけの開けた場所……中心部に到達した。
そしてそこには邪神型ライアーが———いない。思わず足が止まる。
「えっ……!? いない……?」
「そんなはずは無いかな。ここが封印されていた場所のはずだからねぇ……」
鎌を握って警戒しつつも周りをキョロキョロと見渡すと、封印に使われていたものなのか錆び一つも無い金色の千切られてバラバラになった鎖が近くに転がっているのが確認出来た。ということはやっぱりここで間違いは無い……。
ゾクッ……と突然悪寒が身体中を駆け巡る。思念体だから、無意識的に雪から感覚そのものが連想されて寒くなるのは分かる。
けどその悪寒は違う。
例えば眼の前を覆い尽くす耳障りな音を撒き散らして蠢く虫の大群。例えば大量の、血に塗れ、判別もつかなくなった死体。
それらを見た場合の、嫌な意味で鳥肌が立つ感覚が僕の全身を支配していた。
いや、そもそも"見た場合"というのが大前提なのが違う。僕は、僕が、僕の視界にいなかったはずのそいつが、いつから既に"見えて"いたのかな。
ヒュオォォォォ……。
雪を運ぶ、乾いた風の聲が耳を撫でる。
僕の視界にいたもの——歪な肉塊を適当に組み合わせたかのような触手の先端についた鋏状の腕が、6本。円球のように丸い巨大、ソレの頭部らしきところには、複数個の眼と象のような鼻がついていた。
あ、見ちゃいけない。見てはならないのは分かっている、分かっている……それでも、僕は分かっていても目が離せない。身体が、手の先から足の先までが震える。
動けない。まるで逃げるという恐怖に対する本能ですら生きることを辞めてしまったかのように。
ヒュオォォォォ……ぼとり。
へ?
今……何か落ちた……?
なんとか動くことの出来る首と目を使って、落ちた何かを視認しようとする。
「……僕の、腕……?」
左腕が白い地面に横たわっていた。遅れて血が際限なくドバドバと僕の身体から垂れていく。
ガタガタガタガタ……ぼとり……カランカラン。
身体を恐怖で震わす僕の目が一度瞬く。次は右腕が落ちる。右腕が壊れて取れてしまった人形の腕のように無機質に転がった。当然、手を離れた鎌も転がる。
「あれ……?」
雪で染まっていた地面が、赤黒い色で塗り替えられていく。血だよね、確かに両腕が切り落とされたら血が出るのは常識だからね。いや、そんなのはどうでも良いんだよ。僕は鎌を……。
「鎌……拾わ、ないと」
あれ、拾えない。僕の腕が無い。そもそも動けない。いや、そもそも何で腕が転がっているの? いつも身体にあって、動いてたじゃないか。戦いだけじゃなくて、日常でも使えていたじゃないか。腕だけサボるのはズルくない?
ヒュオォォォォ……ぼたぼたぼた。
腕が無い。動かすことが出来ない。血が垂れている。たくさん垂れている。際限なく垂れて、垂れて、垂れて、垂れて、垂れて、垂れて垂れて垂れて垂れてたれてたれてたれてたれてタレテタレテタレテタレテたれて垂れてタレテ。
ガタガタ……ヒュオォォォォ……ぼたぼた。
ふと目の前の怪物と目が合った。感情やそんな表情があるのか僕には分からないけど、こんな僕を嘲笑しているように見えた。
そう、嘲笑。嘲笑う。身体が震える僕を。強く雪と風の吹く中で。血を垂らしている一人の人間を。笑う、嗤う、わらう、わらふ、わlaugh、laugh、laugh laugh laugh laugh laugh laugh laugh laugh……la……。
ヒュン。
あ。
今。
僕の。
僕の首が飛んだ。
僕の身体を離れた。
そうか、僕は死ぬんだね。
あっけない最後。僕は何も出来ずにただ目の前の冒涜的で名状し難いソレに嘲笑われながら死ぬんだね。
親しい誰かに看取られるわけでもなく。歳をとって自然と死ぬわけでもなく。嘲笑うソレの前で。思考がぐちゃぐちゃで、ぐちゃぐちゃに、まとまらないまま、何が起きたかすら分からないまま死ぬ?
あれ?
それじゃあ───兄さんとの約束は?
刹那と、世界を、僕は頼まれなかった?
こんなに簡単に死ぬの?
まだ何も大事なことの一つも成せないまま?
いや…………違う。首も、腕も、まだ、僕にはある。血だって垂れていない——なら……間に合えッ!
まだ僕は死んでないッ……!!
僕は"腕に持っている鎌を"防御するように胸の前に急いで構える。重たい衝撃が鎌から腕を伝わり、身体に響いたかと思えば身体がそのまま宙を舞う。
しかし幸い防御態勢を取っていたために空中で受け身を取ると地面に膝を折りながらも何とか着地する。
「【死神】ッ!」
刹那がすぐさま駆け寄ってくる。
「げほッ……ゴホッ……。あのライアー、僕に何かしたね……?」
重たい衝撃に一瞬にして肺の中の空気を押し出されたせいで、空気を取り入れようと咳き込みながらも愚痴のように恨めしげに言葉を吐く。
ちなみに僕が幻覚だと気付けたのは"痛み"が無かったから。両腕や首が取れていたはずなのに、身体が痛みを訴えなかったから。
「まさか……棒立ちになっていたのはSAN値のせい……? 瞳孔が開いているってことは、恐怖で削られたってことかねぇ?」
刹那は僕の顔を覗き込むと、ハッとした表情で呟く———SAN値? それって確か、俗に言う正気度のことのはず。
「独自で実は調べていたんだけどねぇ。邪神型と言うからには何らかの邪神がモチーフなんじゃないかなってね。そりゃあ見ただけでSAN値が削れるのも納得がいく」
見た……だけで? 息を何とか整えている僕に刹那は続けて語る。
「殺意だけで人を気絶させれる可能性があるって知ってるかな。これ自体は噂話の類なんだけど、邪神の持つ狂気に当てられたとアタシは考えるよ」
ということは、幻覚があのライアーの能力じゃなくて、滲み出る狂気が死を僕に錯覚させた? 思念体だからこそ……いや、思念体じゃなくても、あの幻覚紛いの感覚はしていたとは思うけど。
「……今までのライアーと、格が違い過ぎるよね……」
僕は苦笑いをしながら刹那に告げると、鎌を杖のようにして立ち上がる。けどもしそれなら無理がある。見れば幻覚、見なければ攻撃は当たらない。
なら音は? そう思うけど、あのライアーは吹き飛ばされていた時に見た限りだと浮遊しているために足音は無い。
「アタシに間違いが無ければ、調べた文献からして……大気の精『ラーン=テゴス』」
チラ見程度なら大丈夫なのか、狂気に当てられないように形だけ確認すると、刹那はゆっくりと告げる。
その名前を噛み締める。僕に悍ましい恐怖を体験させた存在——ふとそこまで考えて、秀明さんがいないことに気付く。
「【審判】、【戦車】は……?」
「彼なら、鬼灯さんのところに向かったかな。キミが狂気に当てられていたであろう時に緊急の連絡が念話で入ってねぇ」
連絡の内容を聞こうとして、ふとさっきからラーン=テゴスが攻撃を仕掛けて来ないことに僕は気付く。
何か嫌な予感がして、空を見上げると———紅の光がラーン=テゴスのいた辺りに降り注ぐ。
地面を形成していた瓦礫がさらに吹き飛んで。赤という色の無かった世界に熱を帯びた一筋の赤色が投下される。
「今度はッ……なん……だよッ!」
砂煙ととてつもない風に、腕を顔の前に回して耐えながら、恐る恐る目を開ける。そこにいたのは。
「こいつが……CODE:UNKOWN!?」
漆黒がベースになった身体。爪や角の先端、眼などは血のような赤色。所々機械が生えているような部位も見られる……そんな巨竜。
バサッバサッと腕と一体化した翼を羽ばたかせながら滞空して、さっきの自分の攻撃の結果を見ていたけど、突如左に身体を傾かせたのが見えた瞬間、爆炎の中から触手が伸びる。
「あはは……流石邪神型ってとこだねぇ……」
少しずつ晴れた煙から姿を再び現すラーン=テゴス。身体にはCODE:Uに伸ばした触手を含めて傷一つもついていない。雷牙から聞いた話だと、あの熱線はビルを何個も貫通する威力だったはずなのに——そこで、驚愕する僕たちにかけられた声が一つ。
「辿くんっ!」
背後から秀明さんに眷族型から守られながら、懸命に走る鬼灯さんに声をかけられる。
「【星】たちもCODE:Uを追って、スタタタしている」
「なるほどねぇ。推測するに、みんな急行しているってわけね」
おお……刹那って秀明さんも翻訳出来たのね。いや、今はそれどころじゃない。僕は二人と合流すると目の前の悪夢を見据える。
「はぁ……やるしかないよね」
僕たちにとって、良い意味でも悪い意味でも合流が為された。つまりは狂気と狂気、そして僕たち……戦闘は凶悪で急激な変化を見せていた。




